N響オーチャード定期

2020-2021 SERIES

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角田鋼亮

今回、NHK交響楽団と初共演する、指揮者の角田鋼亮さんに公演への抱負などを聞きました。(6月15日・Bunkamuraにて)

音楽との出会いをお話しいただけますか?
母がピアノ教師をしていた影響で、幼少期からピアノを始めました。また音楽教室では作曲も習いました。小学生の時に、家の近くにあった杉並公会堂で、小澤征爾さんがお話しと指揮を務められた演奏会があったのですが、それが最初のオーケストラ体験でした。
指揮者になろうと思ったきっかけは何ですか?
中学・高校(注・名古屋の東海中学校・高校)でオーケストラ部に入り、オーボエを吹いて、仲間と一緒に音楽を作る楽しさを知りました。そこには一人でピアノを弾いたり、作曲をするのとは異なる、仲間との音でのコミニュケーションがあり、次第にその面白さに引き込まれていきました。そして中学3年生のときに学生指揮者に選ばれて、高校2年生まで務めました。オーケストラ部の同級生には東京フィルのコンサートマスターの近藤薫くんがいました。彼とはソルフェージュのクラスにも一緒に通いましたし、その後大学院まで学友でした。卒業生の中には、ほかにも、オーケストラのプレイヤーや、オーケストラの事務局で働いている人もいます。また吹奏楽部には、4年上に園田隆一郎(指揮者)さんもいました。そういった素晴らしい仲間に恵まれ、刺激され、指揮者への道を志しました。指揮者の勉強は、最初は地元の先生についていましたが、もっと専門的にしたいと思い、佐藤功太郎先生の門を叩きました。
そして東京藝術大学に入学したのですね。
藝大では佐藤功太郎先生と松尾葉子先生に師事しました。藝大の大学院に進んで、大学院の2年のときに、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学に留学しました。クリスティアン・エーヴァルト先生に学びました。今、世界中の指揮者コンクールの入賞者の多くがエーヴァルト先生の門下生というような名教師です。先生は、音楽が西洋文化のなかでどういう位置にあるのかということを、音楽を文学、歴史、哲学と結びつけて教えられます。たとえば、ベートーヴェンの作品の背景にはギリシャの詩の韻律のリズムが含まれているとか、ソナタ形式の中にはヘーゲルやショーペンハウエルの哲学的なものが影響しているとか。また先生は、オーケストラの響き、あるいは各作曲家ごとの響きはこうあるべきという確固たるイメージを持っていらして、それを得るには、どうリハーサルして、どう指揮したらよいかということを教えてくださいました。そして2006年、ドイツ全音楽大学・指揮者コンクールで最高位をいただきました。
N響に対してはどのようなイメージを持っていますか?
最初の印象は「N響アワー」でした。中村紘子さんが司会をされていました。名演をたくさん録画して、ビデオテープが擦り切れるまで見ました(笑)。藝大に入学してからは、NHKホールに通い、ほぼすべての演奏会に行っていました。一糸乱れぬアンサンブルと、味わい深い響きに魅了されました。また、NHKホールの奥の広いスペースでプレコンサートの室内楽を、ホールの売店で買ってきたまい泉のヒレかつサンドを食べながら聴くのが好きでした。今でも、すごく印象に残っているのは、2002年のパーヴォ・ヤルヴィさんが指揮した3つのプログラム。本当に素晴らしくて、「のちのち彼はN響の音楽監督になるに違いない」と友達に言いました。
N響との初共演に際して何を思いますか?
日本で生まれて指揮者を志したからには、N響を指揮するというのは一つの大きな目標なのです。4月に私のマネージャーから電話で、代役という形でN響を振ることが決まりましたと言われて、私は人生で初めて武者震いしましたね。緊張、興奮、楽しみ、いろんな感情が混ざり合って、震えました。
チャイコフスキーの交響曲第4番の魅力について、お話しください。
チャイコフスキーはすごく好きな作曲家です。中学2年生の時にオーケストラ部で交響曲第5番のオーボエパートを吹き、その世界を体験しましたが、若い人の心をつかんではなさない力を持っていますよね。また、彼の音楽からは強い主観性や激流のような感情のうねりと、それを効果的に伝える客観性の両方を感じますが、そういったものを持ち合わせることは、指揮者にも必要だと思います。そういう意味では、チャイコフスキーは一つの理想像でもあります。
交響曲第4番の第1楽章は、楽譜を読めば読むほど、シンプルな対位法で書かれていて、明確な横のラインの関係性でできている音楽だと思います。その意味では、バッハのスコアを読む感覚と変わりません。また和音が味わい深いと思います。第2楽章は、憂いや孤独感を意味するロシア語に“タスカー”という言葉がありますが、広大な景色の中に、一人ポツンと立っているような孤独感があります。第3楽章は非常にユニークですよね。弦楽器はピッツィカートだけ。そして、弦楽器だけ、木管楽器だけ、金管楽器だけのところに分かれます。初演当時の人々は驚いたのではないでしょうか?第4楽章は喜びを爆発させたような音楽。タスカーのある人にも喜びが感じられます。悲しみが根底にはありますが、人生は悲しいだけではない。喜びが表現されています。
エルガーのチェロ協奏曲についてはいかがですか?
第一次世界大戦の影や自らの病気などで、根底に諦念があり、所々夢を見ても悲嘆にくれますが、それぞれの楽想に歌謡性があって、親しみやすいです。モチーフの展開も素晴らしく、最初の独り言のようなチェロの独奏、そのあとのヴィオラの主題がすべての楽章のパーツになっています。こういったモチーフの有機的な展開は、チャイコフスキーの第4番の中にも見てとれますね。
チェロの横坂源さんとは共演されたことがあるのですか?
横坂源さんとは初めてですが、とても楽しみです。協奏曲は、私の最も好きなジャンルなのです。もちろん、最終的にはソリストと心を通い合わせて演奏しますが、その過程でソリストとお互いの考えや感じていることを読み合う頭脳戦のようなところがあって、その駆け引きが好きなのです。横坂さんが曲をどうとらえてられるかを音から読み取ることにワクワクします。
今回の演奏会で楽しみにしていることは何ですか?
リハーサル中も、本番中もN響から学ぶべきことがいっぱいあると思います。自分がこうしたいという提示も大事ですが、N響のみなさんが奏でる音楽をきちんと受信できるようにしたいです。6月にN響のリハーサルに立ち会わせていただいたのですが、指揮者が何を考えているのか、オーケストラ全体がどこを目指して動いているのかを察知する能力の高さに圧倒されました。そういう環境に身を置くことは、怖くもありますが、これが言葉を超えたところにあるオーケストラの醍醐味なんだろうとも思いますので、非常に楽しみです。こんなに素晴らしいオーケストラと素晴らしい曲をできるのはなかなかある機会ではないので、楽しみ、味わい尽くしたいと思います。
オーチャードホールやBunkamuraについてはどのような印象や思い出がありますか?
オーチャードホールはシューボックス型なので想像通りの音が返ってきて音楽が作りやすいですね。Bunkamuraは、学生時代から、シアターコクーンで蜷川幸雄さんや「滝の白糸」などの演劇を観たり、ザ・ミュージアムの「タンタンの冒険」展に行ったり、ル・シネマで映画を見たり、ドゥ マゴ パリのタルトタタンを食べたり、すごく楽しみに来ていた思い出の場所の一つです。
現在、常任指揮者を務めているセントラル愛知交響楽団の活動について教えてください。
名古屋には素晴らしいオーケストラが沢山ありますが、それらのほかのオーケストラとは一線を画すような活動をしていきたいと思っています。今は就任して3年目になりますが、1年目はバッハの作品を集中的に取り組みました。そこから少しずつバッハ以後の作品を取り上げ、また編成も拡大させていき、音楽史の流れが見えるような活動をしています。今年度は「バッハの影響の時間的、空間的広がり」という観点で、例えば先月はバッハ=ウェーベルンの「リチェルカーレ」、ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」第2番、終楽章にバッハもよく用いた形式で書かれたパッサカリアを持つブラームスの第4番を演奏しました。さらにこれから、オーケストラに声の要素も加わえていきたいと思いますが、その試みの幕開けとして、来年にはモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」も演奏します。同時に、なかなか演奏されない秘曲の発掘や紹介も心がけています。こういったプログラミングは、ありがたい事にご好評頂いています。
コンサート前にはプレトークの時間も設け、プログラム冊子には書ききれないような、楽譜の中身に書かれている細かなことを掘り下げるとか、特殊楽器を使うならその楽器の響きを先に知ってもらうとか、知的好奇心を掻き立てるような、分析的なレクチャーもしています。
ご自身のこれからの活動についてはどのように考えていますか?
元々、ドイツ・オペラが好きで、ベルリンに留学をしましたし、20代から30代前半までは様々なオペラのプロダクションで副指揮者を務めてきました。そういった経験をいかすべく、これから更にオペラの作品で指揮できたらと思っています。それは「声」との共演が増えていきそうなセントラル愛知響との活動ともリンクしていくと思います。また後期ロマン派、末期ロマン派のレパートリーも開拓し、深めていきたと思っています。
最後に7月3日のN響オーチャード定期への抱負をお話しください。
N響へのデビュー・コンサートとなりますが、自分が目立つのではなく、良い作品を聴いたと思っていただけるようにしたいです。今はインターネットでいろいろな情報にたどり着けるようになりました。それでも、音楽の生の演奏には、更に人の心の深い場所に到達できる力があります。音楽は人を人らしくさせる道具だと思います。心の振り子を最大限に揺らして、人間的な感情を体感していただく機会になればと思います。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)