N響オーチャード定期

2020-2021 SERIES

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沼尻竜典

今年に入って外国人の入国制限が強化されるなか、N響1月公演や新国立劇場《フィガロの結婚》で来日できなかった指揮者の代役を急遽務めるなど、ここというときに最も頼りになるマエストロ、沼尻竜典さんにリモートでインタビューしました。

まず、N響との出会いを教えてください。
学生時代、桐朋学園大学で室内楽のレッスンを受けていた、N響のピアニストでもあった本荘玲子さんに呼ばれて、エキストラの鍵盤楽器奏者(ピアノやチェレスタ)としてN響に参加したのが最初です。
当時は、指揮者を目指すかどうかも決めていませんでしたが(高校はピアノ科、大学は作曲科でした)、デュトワ、サヴァリッシュ、ベルティーニら、名指揮者のリハーサルに出て、チェレスタなどは出番も少ないですから、スコアを見ながら聴いていて、とても勉強になりました。
N響を初めて指揮したのは?
1990年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した直後にN響から電話がかかってきて、1991年1月の「若い芽のコンサート」(注:若手演奏家がN響と共演する企画)に出演させていただくことになり、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》組曲第2番を振りました。
それまでにプロのオーケストラは指揮していたのですか?
 小澤征爾さんのアシスタントをしていた関係で、新日本フィルの中学生向け鑑賞教室の公演などを指揮したことはありましたが、公開での日本のプロ・オーケストラのコンサートへのデビューは、この「若い芽のコンサート」でした。
N響との初共演はいかがでしたか?
リハーサルは、学生時代にエキストラとして通い慣れた練習場でしたし、そんなに怖くなかったです。それでも緊張して手が震え、あるオーケストラのメンバーから「最初の12連音符(注:とても細かい動き)は振らなくてもいいですから」と言われました(笑)。《ダフニスとクロエ》第2組曲は、それ以前に、鍵盤楽器奏者としてデュトワの練習に参加していたので、そのときデュトワが言っていたこと(弓の弾く場所を変えてみるとか、冒頭の楽器間のバランスとか)を、リハーサルで言ってみたりしました。本番は割とうまくいって、幸せなデビューを飾ることができました。それ以降、N響にはピアニストではなく指揮者として呼ばれるようになりました。
1993年11月には、今のN響オーチャード定期の前身である「N響オーチャード・スペシャル」(メンデルスゾーンの交響曲第4番《イタリア》、ヴァイオリン協奏曲(独奏:徳永二男)、ストラヴィンスキーの《火の鳥》組曲)を指揮されましたね。
徳永二男さん(注:1994年までコンサートマスターを務めた)が退団される直前の演奏会だったと思います。このときもオーケストラは温かく対応してくださいました。古典派とロマン派の過渡期の作品である《イタリア》が、若い自分にはめちゃくちゃ難しかったです。《火の鳥》は、(オーケストラの)ピアノ・パートを何回も弾いたことのある曲でした。サヴァリッシュの指揮でもピアノを弾いたことがあり、休憩のとき、マエストロが見本を弾いてくださったこともありました。
1997年3月に再び、「N響オーチャード・スペシャル」(モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》ほか)に出演されていますね。
《ジュピター》は、N響が世界の巨匠たちと頻繁に演奏している曲ですが、私にも真剣に対峙してくださいました。デビュー当時の私にとって、N響の一つひとつの演奏会はとても貴重な体験でした。
時間は流れて、今年1月にもN響を指揮されました。
世代交代が進みましたね。私が桐朋や藝大で教えた人たちがたくさんいます。N響はより柔軟性が増し、機能的になった気がします。
今回のベートーヴェンの交響曲第5番《運命》では、どのような演奏を聴かせてくださるのでしょうか?
最近はベーレンライターなどの新しい版を使うことが多いのですが、今回はあえて、N響が所有する古いブライトコプフ版の楽譜を使います。ベーレンライター版は、確かに学術的には素晴らしいですが、いろんなオーケストラの伝統を切ってしまっている面もあります。昔のプレイヤーたちの書き込みでびっしりの譜面は、N響の伝統そのものです。コンピューター浄書ではなく、職人さんが銅板を打ち抜いて印刷した楽譜は、ある意味、それ自体が芸術になっているような気がするのです。
今回来日できなかったシュテファン・ヴラダーさんは、リューベック歌劇場の音楽総監督として私の後任にあたります。ピアニストとしてあれだけ有名になったのに、ウィーン室内管弦楽団の指揮者としても活躍した経験があり、さらにフィールドを広げるべくオペラを指揮したいということで、リューベックに居を移しました。本来なら彼は、この「N響オーチャード定期」に出た後すぐ、京都市交響楽団と私と一緒に《皇帝》を演奏する予定でした。
ピアノ協奏曲第5番《皇帝》で共演する清水和音さんについてお話しください。
清水さんは、今は桐朋学園大学での教師仲間です(注:ともに桐朋学園大学教授)。彼がロン・ティボー・コンクールで優勝したとき(注:1981年)、私は高校生でした。学校の中にも女性ファンが一杯いました。彼は20歳にして、ぶれない自分の音楽を持っていました。音楽的に突っ張っていたところがあり、ちょっと悪い子に見られていました(笑)。今でもその名残りを感じます。彼と一緒に演奏するのは久しぶりなので楽しみです。2月にもN響と《皇帝》を弾いているそうですが、彼は二回と同じようには弾かないでしょう。
オーチャードホールの思い出をきかせてください。
私が東京フィルの正指揮者だった(1999-2003年)関係で、オーチャードホールでは、フィリップ・グラスの交響曲第5番の日本初演(2000年)やストラヴィンスキーの《夜鳴きうぐいす》(2001年)、こちらも日本初演となったブゾーニの《ファウスト博士》(2002年)など、たくさんのチャレンジングな曲を演奏させていただきました。
オーチャードホールでの《運命》といえば、昨年6月20日に、東京フィルとソーシャル・ディスタンスの実験のための試演会(注:「Orchard Artists Opinion 第1回スペシャル」)で、第1楽章を演奏しました。ただでさえ合わせにくい曲を、奏者間の距離を4メートル離すなどして演奏したのです。
また「未来の巨匠」という企画で、いま世界中で活躍している、各国の才能豊かなアーティストたちと共演しました。たくさんの思い出が詰まったホールです。
最後に4月29日の演奏会に向けてメッセージを。
何十年来のお付き合いのあるNHK交響楽団、清水和音さんとの共演はたいへん楽しみです。「N響オーチャード定期」の良さは、アットホームな雰囲気だと思います。是非お越しください。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)