N響オーチャード定期

2019-2020 SERIES

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井上道義

井上道義さんの自宅にうかがい、N響とのこと、チャイコフスキーのこと、今回の演奏会のことについて、話していただきました。(2019年12月18日・東京都内の井上邸にて)

2018年のN響のベトナム公演を率いたり、昨年の定期公演でショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」を指揮したり、N響との共演が続いていますね。
「昨年、(イタリアの巨匠)リッカルド・ムーティと話をしたとき、リッカルドが、『ウイーン・フィルを振り始めた頃は、“プロフェッソーリ(教授のみなさん)”と楽員に話しかけていたけど、今は楽員のことを“バンビーニ(子供たち)”と呼んでいる。いつの間にか私が最長老になってしまった』と言っていましたが、僕もN響に対して同じことを感じます。僕が若かった頃、N響はほとんどが男で、芸大や音大で先生をしている人たちもいて、おっかなかったですが、今は若返って、必要のないおっかなさはなくなりました。今のN響は、ポジティヴにお互いの能力を引き出すことを常に考えるオーケストラだと思います」
マエストロは、昨年、N響から「有馬賞」(注:N響の発展に功績を残した者に贈られる)を贈られましたね。
「うれしかったね」
チャイコフスキーの交響曲第4番は、N響のベトナム公演でも取り上げた曲ですね。
「チャイコフスキーならば、交響曲第4番が一番チャイコフスキーらしいと僕は思っています。N響も僕もチャイコフスキーの第4番を日本でまたやりたいなと強く思いました。今、N響とは良い結果をたくさん生んでいるので、N響とチャイコフスキーの第4番で二度と聴けないような良い演奏をしたいと思います。オーチャードホールは、天井が高く、金管楽器がよく響き、チャイコフスキーにぴったりなのです」
チャイコフスキーの第4番の聴きどころを教えてください。
「チャイコフスキーが、自分の性格や境遇がまわりとうまくいかず、非常に不安にかられていた時代に書かれた作品で、それが120パーセント出ています。渋谷の雑踏を歩いていて孤独を感じる人には是非、この作品を聴いてほしいと思います。チャイコフスキーはオーケストレーション(管弦楽法)が素晴らしく、オーケストラがよく鳴ります」
マエストロは、チャイコフスキーだけでなく、ショスタコーヴィチにも取り組まれ、ロシア音楽を得意とされていますね。
「チャイコフスキーがいた頃の、西ヨーロッパに追いつこうとしていたサンクトペテルブルグは、美しいイタリア風の建築や運河があり、本当に音楽的な街でした。ヨハン・シュトラウス2世が演奏に訪れ、ヴェルディがサンクトペテルブルグの宮廷歌劇場の委嘱に応えて「運命の力」を書くなど、ヨーロッパで成功した人たちがそこでより一層活躍しました。ショスタコーヴィチはその街(注:当時の名はレニングラード)で作曲し、歩いて映画会社に行って映画音楽を書き、若い頃には、街の映画館でピアノを弾いていました。 ロシアの風土は、日本と思い切り違います。冬が長くて暗くて辛いですよ。何でも凍ってしまう。そういうところでは、本当に音楽が必要なのです」
今回共演する松田華音さんは、幼くしてモスクワに渡り、今はモスクワ音楽院大学院で研鑽を積まれています。共演されたことはありますか?
「今回が初めてです。ロシアで勉強した人にとって、チャイコフスキーやショスタコーヴィチはわかりやすいし、そういう人がチャイコフスキーの演奏するのはとてもいいと思います」
マエストロは、オーチャードホールの「トゥーランドット」を振ったり、N響オーチャード定期で指揮されたり、何度もオーチャードホールに出演されていますが、オーチャードホールに対してはどのような印象をお持ちですか?
「Bunkamuraがつくられた頃は、音楽や美術を近くで楽しめるようにしたいという高い志を持った人がいました。だからこういうものができた。今の人にもいつも未来を見て、ホールを運営していただきたいと思います」
今は、何でもパソコンやスマートフォンで済ませる傾向があります。そんな今だからこそ、音楽を聴きにホールに足を運んでほしいですね。
「最近は、旅をするにしても、スマートフォンで見たところに行って、スマートフォンで調べたものを見て、写真を撮ってSNSに載せて終わりというのばかりだけれど、そうではなくて、そこに行っていろいろなものを発見して感じるのが大事。そうしないと面白くないでしょう。演奏も同じです」
現在、マエストロは、オペラの作曲に取り組んでいるとききました。
「『正義』(注:正義はマエストロの父の名前)という2時間ほどのオペラです。父親の時代の、戦争中の話です。僕は(作曲については)素人だから、めっちゃくちゃ時間が掛かっています。オペラは演奏者が関わってくるので、僕の指揮者としての名誉を傷つけないようにしないと(笑)。オリンピックが終わる頃にはできている予定です」
オペラの上演がすごく楽しみです。ありがとうございました。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)