N響オーチャード定期

2018-2019 SERIES

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ローレンス・レネス

ローレンス・レネスさんが東京都交響楽団に客演した際に、今回のN響オーチャード定期についてお話を伺いました。(2018年9月21日・東京都交響楽団練習所にて)

©Lawrence Renes

2017年6月の「Music Tomorrow 2017」で、NHK交響楽団と初共演されましたが、そのときの感想からお話しいただけますか?
「N響は世界でも評判が高く、アジアのベルリン・フィルとかコンセルトヘボウ管弦楽団とか言われています。N響に呼んでいただいて、とてもうれしく思いました。そのときは、新作ばかり(ターネイジのピアノ協奏曲の日本初演、ほか)でしたが、オーケストラが素晴らしい準備をしてきてくれて、とても感銘を受けました。
リハーサルはやりやすかったです。居心地よく感じました。私はちょっと神経質なのですが、楽員の方々がうまく緊張を取り払ってくれました。N響とは1回しか共演していないのですが、彼らとは信頼関係を感じます。彼らは経験豊かで音楽のことをよく知っているので、今回のマーラーの交響曲第4番は、リハーサルの一日目から一緒に音楽を作る気持ちになると思います。親密な体験となるに違いありません」
マーラーの交響曲第4番の聴きどころを教えていただけますか?
「私は、マーラーの伝統を持つアムステルダムで育ちましたから、マーラーを近く感じます。
交響曲第4番はとても室内楽的で、オーケストラの一人ひとりの個性を要求される曲なので、個性的なプレーヤーが数多くいるN響にぴったりの作品だと思って選びました。
マーラーの音楽には二面性があります。第1楽章の冒頭は、シンプルに幸せとは言い切れない、哲学的な要素があります。ときに幸せで、ときに注意深く、決して単純ではないと思います。第2楽章のヴァイオリン・ソロは、少し悪魔的です。ちょっと死の踊りのよう。第3楽章は対照的に天国のイメージです。でも単純なキリスト教の天国ではありません。それは完璧な平和です。第4楽章は、天国の歌。美しいだけでなく、醜いところもあります。動物を殺すなど、残酷なところもあるのです。牛を殺そうとすると牛の鳴き声が聞こえてきます。年を重ねて、この交響曲がシンプルではないということを理解しました。
天国ですら複雑なのですね。そして、素晴らしい交響曲の終わりで、私は、聴衆のみなさんと抱擁するかのような気持ちになります」
先ほど、マーラーの伝統とおっしゃられましたが、レネスさんはマーラー演奏では誰から最も影響を受けられましたか?
「私にとっては、コンセルトヘボウ管弦楽団の影響が最も大きいです。彼らは、音、フレーズ、音楽性が独特なのです。メンゲルベルク、ベイヌム、ハイティンクの3人の指揮者がコンセルトヘボウ管のマーラー演奏の伝統を作り上げました。マーラー自身もコンセルトヘボウ管を振っています。
次に、エド・デ・ワールトさん(注:5月のN響オーチャード定期を指揮したばかり)からの影響ですね。私は最初、デ・ワールトさんのアシスタントを務めていました。彼は私の師匠であり、25年かけて、今ではとても親しい友人となりました。毎週、連絡を取り合っています」
独唱者のマリン・ビストレムさんについては、いかがですか?
「彼女はよく知っています。私は、スウェーデン王立オペラで音楽監督をしていましたが、そこで彼女とは『ばらの騎士』『イェヌーファ』などを共演しました。それ以外にも、彼女とは、コンサートなどでたくさん一緒に仕事をしています。世界クラスの素晴らしい歌手だと思います。
マーラーの交響曲第4番では、いろいろなタイプの歌手が可能だと思うのですが、私は、若くて、とても美しい声のソプラノを選びたいと思いました。彼女のキャラクターもこの曲のテキストに合っています」
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」についてはいかがですか?
「私はヴァイオリンを勉強し、ヘルマン・クレバースに師事していましたから、この曲はよく知っています。また、私はバロック・ヴァイオリンも勉強しました。アムステルダムで学生の頃には、ブリュッヘン、ガーディナー、ヘレヴェッヘ、コープマンらの新しいバロックのスタイルの影響を受けました。そういう経験を今回のN響との共演でも活かせたらと思います」
ヴァイオリンの服部百音さんについては?
「共演したことはありませんが、彼女は素晴らしい才能を持っていると聞いています」
マエストロは、どのように指揮者になられたのですか?その歩みを教えてください。
「私は、小さいとき、体操をしていました。9歳のときに、体操で、オランダで一番になったのです。そして、国のオリンピックを目指す若手選手に選ばれました。でも、母は、「職業的な体操選手になるのはダメ」と言いました。とても悲しかったですね。それまで私は、毎日2時間、体操の練習をしていました。体操をやめてから、母に「何か新しいことを始めなさい」と言われました。それで、親友がヴァイオリンをやっていたので、僕も始めました。
14歳から、オランダのナショナル・ユース・オーケストラで弾くようになりました。そのとき演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番が信じられないような素晴らしい体験で、指揮者になりたいと思いました。
18歳のときから、ヴァイオリンと指揮を学ぶようになりました。しかし、クレバース先生は、「2つやるのは無理だから、どちらかを選びなさい」と言いました。私は、ヴァイオリンを弾くときはとても緊張するのですが、指揮するときはとてもハッピーなので、それで指揮を選びました」
日本へは何度も来てられるのですね。
「25年以上前、オランダとの交流のあった関西学院大学のオーケストラで、ヴァイオリンを弾いたことがありました。18歳の頃でしょうか。関学のオーケストラとは、四国や北海道のツアーにも帯同しました。そのときの指揮者であった中田昌樹さんが、私に指揮の機会を与えてくれました。それが私の初めてのオーケストラの指揮でした。その後、京都に3か月滞在することもありました。そんな特別な経験で私は日本が大好きになりました。今でも日本にはたくさん友人がいます。日本人の暮らし方や美意識は、私の心に近いと思います」
最後に今回のN響オーチャード定期で特に楽しみにしていることを教えてください。
「オーケストラとの関係を一層深化させ、お客様との関係も深めたいと思っています。N響と共演させていただくのはとても光栄なことです。お客様には、リラックスして、心を開いて、美しく有意義な体験をしていただきたいですね」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)