N響オーチャード定期

2018-2019 SERIES

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中村恵理

今回の演奏会でリヒャルト・シュトラウスの歌曲を歌うソプラノの中村恵理さんにインタビューしました。(3月11日・Bunkamuraにて)

中村さんは国際的に活躍されていますが、現在のお住まいはどちらですか?
「ミュンヘンです。バイエルン州立歌劇場の専属は離れましたが、フリーランスとしてミュンヘンに住んでいます。そして、今もロンドンに通ってロイヤル・オペラでレッスンを受けています。日本では、2018年から東京音楽大学で非常勤講師をし、今年4月からは大阪音楽大学の客員教授も務めます。私はスター歌手たちのコーチングをしている人にレッスンを受けているので、ロンドンで習っていることをダイレクトに若い方に伝えることができれば、と思っています」
中村さんはいつから歌手になろうと思われたのですか?
「もともと学校の先生になりたいと思っていました。それで教職を取るために大阪音楽大学に入りました。音楽家になるつもりはありませんでした。高校時代はピアノを1日、4,5時間弾いていましたが、阪神淡路大震災があって、電気やガスが止まり、ショックを受けて、しばらくピアノを弾く気になりませんでした。震災の年に、高校でベートーヴェンの『第九』(吹奏楽版)の第4楽章の演奏があり、合唱でソプラノを歌ったら、私は高い声が出ることに気が付きました。それでピアノの弾き歌いを始めて、先生にみせたら、すぐに声楽の先生を紹介されました。そして大阪音大の声楽科に入り、大学院まで勉強しました。そのあと、新国立劇場のオペラ研修所を受験しました。受かるとは思っていなかったので、ほぼ思い出受験でしたね(笑)。これがダメなら学校の先生になろうと思っていました。でも受かってしまった。プロになりたいと思ったのはそれからです。3年間勉強して、新国立劇場の『フィガロの結婚』のバルバリーナの役をいただいて、デビューしました」
アンドレアス・ホモキ演出のニュー・プロダクション(2003年)でしたね。その公演は見ました。
「この『フィガロの結婚』で目が覚めて、こういうところで歌える歌手になりたいと思いました。意識が変わって、英語の勉強も始めました。2005年に新国立劇場の研修所が終わってからは、海外でオーディションを受けるようになりました。ホモキさんの招きで彼がインテンダント(総裁)を務めるベルリン・コーミッシェオーパーのオーディションも受けました。ドイツ語で歌う劇場と知らずに(笑)。そうして、アムステルダムのオペラ・スタジオ・ネザーランドに入り、2年間歌いました。そのあと、ロイヤル・オペラの育成プログラムのオーディションに受かり、『エレクトラ』の第5の侍女でロイヤル・オペラにデビューしました。そのほか、ロイヤル・オペラでは『ヘンゼルとグレーテル』の眠りの精も歌いました」
そして、ロイヤル・オペラの『カプレーティ家とモンテッキ家』で、ネトレプコの代役でジュリエッタを歌ったわけですね。
「その頃、カーディフの国際声楽コンクールに出て(注:ファイナリストになる)、マネージャーが決まりました。ヴィザなどの関係もあり、ドイツ語圏の劇場と契約したいと思ったので、バイエルン州立歌劇場の方に聴いてもらい、ミュンヘンに行くことになったのです。バイエルンのような大きな劇場ではスター歌手がプリマドンナの役を歌うので、本当は中堅劇場でプリマドンナ役を歌いたいと思っていたのですが。

今、私は、転換期でレパートリーを変えています。今までの(比較的軽い)レパートリーは歌わないことにして、プリマドンナの役への新たな挑戦をしています。もう一度、勉強し、お稽古に通っています。声も変わってきたと思います。昨年、『椿姫』のヴィオレッタを歌いましたが、自分の音楽的な性格とヴェルディの激するドラマ性の高いものとが合うようになったと思いました。来年4月には、オペラ・フィラデルフィアで『蝶々夫人』を歌います。宮崎国際音楽祭の演奏会形式で歌ったことはあるのですが、舞台で蝶々さんを演じるのはフィラデルフィアが初めてです」
今回のN響オーチャード定期ではリヒャルト・シュトラウスの歌曲を歌われますね。
「マエストロが推薦された曲でして、これは自分にとっての挑戦だなと思います。5曲中2曲は、新しいレパートリーで、4曲はオーケストラと歌うのが初めてです。シュトラウスの歌曲は、リサイタルではよく歌っています。彼は、オペラ作曲家なので、スケールが大きいところが私の音楽的なキャラクターと合っています。『献呈』は何度も歌っています。『チェチーリエ』は一度、オーケストラと歌ったことがあります」
今回の5曲の聴きどころはどのようなところにありますか?
「人間讃歌というか、人間が生きていく上での大きな感情、感謝、喜び、哀しみ、辛さ、つまり喜怒哀楽が表されています。『献呈』は、愛する人への、言わずにはいられない、溢れ出てくる感謝を歌います。『憩え、わが魂』では、暗くて重いものが増えている時代に、希望を見つけようとさまよう心を表現したいと思います。

 とても親しいミュンヘン出身の友人がいて、彼女の結婚式で『チェチーリエ』を歌いました。また、彼女のお母さまが亡くなったときに、お葬式でその友人の旦那さんが『あすの朝』を歌っていたのを思い出します。そういうご家族と時間を共有できたのは人生の喜びですし、これらの歌には思い出す情景があります。何となくこういう曲ではなく、具体的な絵が見えるのです。個人的で人間らしいものの近くに音楽がある。聴かれる方もそれぞれにそれぞれの思い出があると思いますので、それに触れていただきたいですね。

 今回、作品27の『4つの歌曲』から3曲、歌いますが、作品27は、シュトラウスが結婚するときに、歌手である奥さんに贈った歌曲集です。『チェチーリエ』は、文句を言っているようにも聞こえますが、それは親密さと大きな愛情なのです。人生の節目での大きな感情の昂ぶりが表れています」
エド・デ・ワールトさんと共演されたことはありますか?
「2013年末のN響の『第九』でご一緒しました。今回の共演は、そのご縁だと思っています。『第九』のときに、マエストロはオランダ出身で、私もロンドンの前に2年間アムステルダムに住んでいましたので、気さくなマエストロといろいろお話しすることができました。マエストロは、居方がゆったりとされていて、安心感があります。個人的には、少しサー・コリン・デイヴィスを思い出します。『第九』のときも、難しい箇所もいっしょにいるから大丈夫と、温かく見守っていただきました。音楽に包容力があるのです」
NHK交響楽団の印象はいかがでしたか?
「緊張しすぎてよく分かりませんでしたが(笑)、荘厳というか、あるべきところにちゃんと統制されてあるという美しさでしょうか。すごくバランスが良くて、かといって淡白でもない。大きな素晴らしい門のような感じですね」
オーチャードホールについてはいかがですか?
「素敵なホールですね。『第九』で歌いましたが、良い思い出しかありません。響きも良いイメージがあります。私がワーッと歌うタイプなので、ドラマが十分に伝わるほどよいサイズだと思います。シュトラウスの歌曲のスケール感にぴったりの空間ですね」
最後に今回の演奏会についてメッセージをお願いいたします。
「マエストロの思っているスタイルと私の伝えたいドラマ性が良くブレンドされて、空間に響けばいいなと思っています。お客さまの身近な人や風景に寄り添える表現になるよう、歌いたいと思います。お客さまと思いを共有できたらうれしいですね」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)
写真:☆.Hikaru