N響オーチャード定期

2025-2026 SERIES

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広上淳一

広上淳一さんに今回のプログラムについて、N響やオーチャードホールとの思い出について、語っていただきました。(2025年7月1日・東京音楽大学にて)

広上淳一さんの写真1
まず、伊福部昭「SF交響ファンタジー」第1番を演奏されますね。
伊福部昭先生は僕が1979年に東京音楽大学に入学したときの学長でした。入学式のあいさつで「いつでも学長室に遊びにいらしてください」とおっしゃっていたので、行きました。でも、行ったのは僕だけでした(笑)。それで、歓待してくださって、お茶を淹れてくださって、にこやかにお話しをしました。そして「日本人作曲家の作品も聴くといいですよ」とアドバイスをされました。
そのうち、伊福部先生がたいへん偉大な方だとだんだんと気づいていきました。教育者として、芥川也寸志、黛敏郎、石井真木、松村禎三らいろんな作曲家を育てられましたが、自分の型にはめず、個性を生かす先生だったのですね。ご自身が独学で作曲を始められたからでしょうが、独創的な教育方針だったのです。心のうちにものすごく強い信念がおありでした。
東京音大を卒業されてからの伊福部先生とのおつきあいはいかがでしたか?
コンクールに入賞したときに挨拶に行ったり、ときどきお会いしていました。そして、日本フィルで伊福部先生の作品集のCDを作る時に監修していただきました。先生からは、テンポやバランスなどに細かい指示をいただきました。あと、作品を書いた動機の話には説得力がありましたね。
「SF交響ファンタジー」は映画音楽を組曲にまとめた作品ですね。演奏すると一つの世界に惹きこまれてしまいます。白黒のイメージを起こさせる、ユニゾンの多い、すごい作品だと思いますよ。伊福部先生の作品は、美しいというよりは土俗的。これでもかこれでもかという執拗なまでのオスティナート(繰り返し)に良い意味で執拗な執着心を感じます。3度を使わず、5度を使う。そういうこだわりが作品の力強さや何とも言えない哀愁をかもし出します。土俗性を共感として注入されたのでしょう。『ゴジラ』を含めて、アイデンティティというか、日本民族としての矜持を感じます。
そして『みじかくも美しく燃え』に使われたモーツァルトのピアノ協奏曲第21番ですね。
第2楽章は美しい長調で書かれています。モーツァルト先生の長調は優しいけど、哀しいんですよ。そして何かを見据えている怖さがあります。映画監督もそういうところに惹かれたのではないでしょうか。モーツァルト先生の場合は、美しいけど哀しい。特に長調が哀しく、短調は怖いのです。才能豊かなピアニスト、小林海都くんがどう弾いてくれるのか楽しみです。
広上淳一さんの写真2
ラヴェルの「ボレロ」はいかがですか?
「ボレロ」は、繰り返し(オスティナート)が伊福部先生の音楽に似ていますね。爆発的なオーケストレーションで仕上げたところに凄さがあります。
指揮者としては、ソロを吹く奏者にプレッシャーを与えないことが大切です。一人ひとり、がんばれよ!と伝えていく、でも、寄り添い過ぎて邪魔になってもいけません。その見守る兼ね合いで指揮者の能力が試されます。子供を育てる親の気分ですよ(笑)。なので(各楽器のソロが終わって)楽器が増えてくると安心します。
ファリャの『三角帽子』は、第1、第2組曲ですね。
『三角帽子』は、僕が日本フィルの正指揮者をしているときに、ヨーロッパ公演に全曲を持っていきました。思い出深い作品ですね。ファリャ先生には、スペイン生まれ独特のオーケストレーションの輝きやフラメンコのようなリズム感があります。ラヴェルとはまた違うきらびやかなオーケストレーションを楽しんでいただきたいと思います。
N響との関係は長いですね。
N響と日本フィルは、僕が30代の頃から、僕を温かく見守って、育ててくれたオーケストラです。
N響は、もうすぐ100歳ですね。国内外の凄い指揮者の薫陶のもとに、世界のトップクラスのオーケストラとして、日本のオーケストラ界の旗手として、音楽界を牽引しています。
そんなN響が、1991年に定期公演デビューして以来ずっと、僕に手を差し伸べてくれました。今は、N響に少しでも恩返しができればいいなと思っているところです。
N響とは何度も大河ドラマのテーマ音楽の録音をされていますね。
レコーディングは疲れるので、集中して良い音を効率良くあげていくことを心掛けています。2分40秒ぴったりに収めなければならないのもしんどいですよね。
N響オーチャード定期には6度目のご出演で、指揮者としては最多ですね。
オーチャードホールでは、N響オーチャード定期以外にも東急ジルベスターコンサート(2017年)や25周年ガラコンサート(2014年)にも出ました。2001年9月のN響オーチャード定期を指揮していた日に娘が生まれました。その後、休養からの復帰演奏会(2002年)もオーチャードホールでした。考えてみたら、指揮者人生の節目節目はみんなオーチャードホールですね。オーチャードホールとは縁があります。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)