今回のN響楽員インタビューは、クラリネットの山根孝司(やまね たかし)さん。2005年9月1日入団のクラリネット奏者。国立音楽大学、ベルギーのアントワープ王立音楽院およびリエージュ王立音楽院卒業、昭和音楽大学の講師として後進の指導にもあたっている山根さんにお話を伺いました。

今回のオーチャード定期の演奏曲が「トゥランガリラ交響曲」ですが、N響の事務局の方から、「今回の楽員インタビューは山根さんがぴったりです!」と強く推薦していただきました。現代音楽をよく演奏されていたとか? まずはクラリネットとの出会いについて教えてください。

中学の吹奏楽部に入部したのがきっかけです。最初は柔道部に入ったのですが、一緒に柔道部に入った友人に、「クラリネットをやるから一緒にやろう」と誘われて吹奏楽部に入部しました。僕はトロンボーンを希望していたのですが、既に枠が埋まっていたのでクラリネットになりました。
両親は音楽に携わる仕事はしていませんが、父も母も音楽を聴くのは好きでした。父は、ベニー・グッドマンなどをよく聴いたり、初めて母親に連れて行ってもらったコンサートはポール・モーリア楽団だったりしました。

ジャズやムード音楽をよく聴いていらしたご両親のもとで育ち、吹奏楽部に入ってクラリネットを吹き、いつから「クラシック音楽」へ向かって行かれたのでしょうか?

これは人に話したことがないのですが、生まれて初めて聴いたオーケストラのコンサートがN響だったのです。中学一年生の時でした。山口県の下関でのコンサートだったのですが、生でオーケストラを聴いたのが初めてで、とにかく衝撃を受けました。
実はその時、後につながるドラマがあったのです。N響の下関公演の際、クラリネットの首席奏者の方が中高生を対象に講習会を開催していました。ちょうどその少し前に右手を骨折していた僕は、ギプスを付けたまま講習会に参加していたのです。すると、その講師役のN響奏者の方から「おーい、そこのギプス! ちょっと吹いてみろ」と言われて、みんなの前で吹いたことがありました。
その時の講師が、後に大学で四年間もお世話になることとなる浜中浩一先生でした。もちろん当時は、大学で再び出会うことになるとは夢にも思っていませんでした。

運命的な出会いがあったのですね!

他にも出会いがありました。後で振り返ると中高生の頃に、後につながる濃い出会いがギュッと凝縮していたように思います。中でも印象深いのが、N響の僕の前任者でもある内山洋さんとの出会いです。これも僕が中学生の夏に二泊三日で講習会があり、親も快諾してくれたので参加しました。そこで講師をしていらしたのが内山先生でした。
僕がN響に入団できたのは、内山先生が背中を押してくださったことも大きいのです。
2003年、僕がN響に入団する前の頃ですが、内山先生の引退公演があり、その公演には出てくれとお話しをいただいていました。内山先生の最後の演奏会で、先生の隣で演奏するのは光栄なことでした。でも実は、その引退公演の直前に受けていたN響オーディションに最後の最後で落ちてしまい、少し複雑な思いも抱えていました。
引退公演での演目は、準・メルクル指揮でのマーラーの「復活」。演奏を終えた後、内山先生が僕に、「せっかく今日、『復活』を演ったんだから、おまえももう一度受けて復活しろ!」と、背中を押していただき、もう一度トライしてN響に入団することが出来ました。

見事な復活ですね! N響に入団される前は、ベルギーに留学を?

はい。私はベルギーのイクトゥス・アンサンブルの創立メンバーなのです。
もとは別のアンサンブルに所属していたのですが、イクトゥスを作ろうとしているメンバーが私が出ていた演奏会を何度か見に来ていたようで、終演後に「一緒にやらないか?」と声を掛けられたのが始まりでした。1993年、アンサンブルとしての最初の演奏はウェーベルンとベルクだけのコンサートでした。

Ictusのホームページより

このアンサンブルの良かったところは、現代音楽も、そしてクラシックもよく演奏していたことです。ブラームスのクラリネット五重奏曲とフェルドマンのクラリネット五重奏曲を組み合わせてコンサートを行ったりしていました。現代音楽もクラシックも演奏するので、いろいろな知識が必要で、練習も膨大にしていました。とても楽しかったです。
メンバーの中で、たとえばクラリネットと弦楽四重奏で作ったユニットでしばらく旅に出たり、木管五重奏でベルギー国内中のカルチャーセンターを回ったりしました。
いわゆる普通のコンサートではないものもよくやっていました。ダンスカンパニーの作品の中で演奏をしたりしていたのです。特に、先日(4月)ちょうど来日していたダンスカンパニーの「ローザス」とは、かなり密接に仕事をしていました。ローザスの公演で僕も二度ほど来日したことがあります。埼玉と横浜での公演だったと思います。今でもローザスが来日した時は、仲間に会いに観に行っています。

Ictusのホームページより。演奏したローザスの公演

ベルギーは、昔から現代音楽が盛んな国だったのでしょうか?

僕がベルギーにいた頃から、すごく盛んになっていったような気がします。盛り上がっていく様子を見ているのは面白かったです。

山根さんは、オリヴィエ・メシアンに会ったことがあると伺ったのですが。

お会いして、こんにちは程度のお話しをしました。ベルギーで習っていたワルテル・ブイケンス先生は、以前も何度かメシアンの前で「世の終わりのための四重奏曲」を演奏していたのですが、その日もブイケンス先生の演奏会にメシアンが聴きにいらしていたのです。そこで先生が、「彼がメシアンだよ」と紹介してくださいました。
お会いして挨拶をしたのはその一回だけなのですが、メシアンの姿は何度も見ているのです。僕が演奏するために各地の音楽祭に行くと、メシアンは必ず招かれていて、彼の大作品が演奏されていました。ご自身でオルガンを演奏しているのを聴いたこともあります。
また、メシアンがパリのある教会でミサの時に演奏するという機会があったので、ベルギーから行ったことがありました。ただ、あまりにもメシアンのファンが集まっていたため、教会の中に入ることが出来ず、教会の外で一緒に行った友人と耳をすませながら聴いていました。バッハの曲などを演奏していました。

今回の「トゥランガリラ交響曲」の面白さや聴きどころは?

メシアンは何が面白いかというと、自分で作った音階で作曲をしている点です。いわゆるドレミファソラシドとは違う音階を、曲ごとに使い分けて作曲しました。その中には、インドの音階やギリシャの音階なども聴こえてきます。ヨーロッパだけではなく、東からの風というものをすごく感じていらしたのだなと思うのですが、それが曲に色濃く表れていますね。ギリシャやインドの音楽や、さらに奥の地域の秘境などにも興味があった作曲家ですから。

実際に演奏するのは大変ですか?

とても大変です(笑)!
曲が複雑なため、みんなで合わせて演奏するのは大変です。自分のパートを演奏するにあたって重要なパートがあるのですが、そこに対してのアンテナを張り巡らし、研ぎ澄ました集中力を張り続けなければいけないという意味で、厳しい曲ですね。
メシアンはオーケストラという楽器の中の一つの色を組合せることによって、今までに聴いたことのない音色を作るという次元のことを行っていた方だと思います。新しい音を求めていたのだろうなということを強く感じます。
でも、オンド・マルトノに全部持っていかれてしまいますけどね(笑)。やっぱり、カッコいいですから。