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2025.10.30 UP

作家・平松洋子が語る 麿 赤兒

麿 赤兒に魅せられ長年大駱駝艦の公演も観てこられた、エッセイスト・作家の平松洋子さんにエッセイをお寄せいただきました。


 大駱駝艦・天賦典式『パラダイス』 撮影:川島浩之

 たったいま、何を見たのか。
 麿赤兒の舞踏を観たあと、いつも同じことを思う。劇場を出て駅に向かっているのに、迷路のどん詰まりで生け捕りにされたみたいに射すくめられ、言葉が追いつかない。ようやく動悸が収まると、やっぱり答えも同じである。
 〈見たことのないもの〉を見た。
 マボロシでも記憶違いでもない、〈見たことのないもの〉を自分の目で確かに見た、見てしまった。その衝撃が全身を駆け巡っているから、ついさっきまで目をカッと見開いて出くわした〈見たことのないもの〉を引き寄せ、懸命に追いかけたくなるのだ。そうこうするうちに気づく。ああ、またしても麿赤兒によって世界が更新された、と。
 そもそも、初めてマロアカジという名前に出会ったときには、かなりの衝撃が走った。正体不明。年齢、性別、不詳。魑魅魍魎と闇取り引きしているような怪しさ。有無を言わせぬ実在感。そして、どこかひとを食っている──。


 唐十郎が主宰する状況劇場在団時の麿赤兒 撮影:井出情児

 名前の由来について、みずから説明するくだりが『完本 麿赤兒自伝』(中公文庫)のなかにある。いわく、奈良の三輪山の麓で育ったから、少年時代、あちこちの石碑に刻まれた柿本人麿の「麿」や山部赤人の「赤」に親しんでいた。しかし、この過去は美しすぎるぞと照れたのか、トイレでほとばしった痔の鮮血を見て閃いたと嘯いてもいる。大和国(現在の奈良)に伝承される妖怪“赤子”、民草、嬰児などの意味合いを重ねる妙味もあるのだけれど、これもまた仕掛けのひとつだろうから要注意。むやみに多重露光する麿赤兒の三文字は、一九六九年、かつて新宿にあった伝説の喫茶店「風月堂」で運命的な出会いを果たした唐十郎との紐帯を示してもいるだろう。
 国内外の劇場。路上。野外舞台。アトリエ「壺中天」……さまざまな公演に足を運びながら、あるとき、ふと愉しい妄想がよぎった。
 罠を仕掛けていると見せかけているけれど、じつは、もっとも罠に嵌っているのは当の麿赤兒そのひとではないのか。身にまとわりつく罠を解き、落とし穴から抜け出ようとする身ぶり手ぶり足ぶりの一部始終が「をどり」だとすれば、当の本人が罠に嵌れば嵌るほど「をどり」という表現の綱渡りはいっそう過激にも優雅にもなるだろう。


 大駱駝艦・天賦典式『はじまり』 撮影:川島浩之

 麿赤兒は、自身の存在や「をどり」を「見世物」と呼ぶ。いかがわしい気配を放つ「見世物」という言葉は、しかし、へりくだりでも遠慮でもない。不敵な笑いを浮かべながら、麿赤兒は続けて言うだろう。私は身をもって縄抜けする姿を晒しました、あとは野となれ山となれ、ご覧になったみなさんにすっかりお預けしますよ、と。
 あの天下一品の啖呵も聞こえてくる。
 「こちとら裸だ」
 裸で「をどる」必要があるのだ。旧約聖書「創世記」には、神様が人間を創造したとき「よし、と見たもうた」と言ったと書かれている。これは、ひとりひとりが宝物で、生きているだけで価値があるのだから、人間にはよいも悪いもないという意味。麿赤兒もまた、「この世に生まれ入ったことこそ大いなる天賦の才」と定義し、自身の舞台表現として「天賦典式」を掲げる。この世に生まれ入ったときの姿、つまり裸こそ無限の才能のシンボル。
 ついでに古代に目を向け、ウロボロスの龍を思い出したい。自分の尾を噛んでひとつの環となった龍、あるいは蛇の図。始まりも終わりもなく、死と再生、破壊と創造、永続性などを表す。みずから罠に嵌り、自分で自分の尾を噛み続ける麿赤兒の狂おしい姿は、どこかウロボロスを連想させ、人間離れして神々しい。
 〈見たことのないもの〉をいったん見てしまったら、もう引き返せない。まぶたの裏でナニカが蠢き、産毛がざわざわと揺れ、血を滾らせる。ああ、またしてもこんな悦楽を捕まえてしまった! ひとりほくそ笑むのも、いつものこと。


 大駱駝艦・天賦典式『パラダイス』 撮影:川島浩之


平松洋子(ひらまつ ようこ)プロフィール
エッセイスト 、作家
1958年岡山県倉敷市生まれ。
東京女子大学文理学部社会学科卒業。
食文化、文芸などの分野を中心に広く執筆活動を行う。
2006年『買えない味』(筑摩書房) 第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。
2012年『野蛮な読書』(集英社) 第28回講談社エッセイ賞受賞。
2022年『父のビスコ』(小学館) 第73回読売文学賞受賞
近著に『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』(新潮社)など。


 撮影:目黒智子