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2025.07.03 UP
森山開次×麿赤兒 特別対談@ミルハス・タイムズ2025夏号
12月26日〜28日に東京・池袋にある東京建物Brillia HALLにて初演するKバレエ・オプト『踊る。遠野物語』。2026年1月には山形、秋田、青森、岩手の4県をめぐる東北ツアーの開催が決定しています。本格的な稽古が始まるのを前に、本作の演出と振付を手掛け、日本を代表する舞踊家でもある森山開次と、ゲスト出演する日本舞踏界のレジェンド・麿赤兒のお二人に本作の内容や意気込みなどをうかがいました。
―遠野物語をどのようにダンス作品に落とし込むのでしょうか。
森山 遠野物語を構成する119話一つ一つは断片的で何か大きな物語があるわけではありません。一方で、この119話を通じて柳田が伝えようとしたことを浮かび上がらせるために、横軸として主人公の「私」が遠野の幻想世界を巡るというストーリーにしました。「私」は遠野に墜落した戦闘機の特攻隊員。遠野物語が語るこの世とあの世の遭遇にヒントを得て、「私」が死に別れた許嫁の幻影を追い求め、最終的に鎮魂に向かう切ない旅路を描きます。歌舞伎俳優の尾上眞秀さんには「私」をガイドするような存在を担ってほしいと思っています。麿さんの役どころは、この世界をしっかりと見詰める「山の中の翁」のようなイメージです。
麿 異界のような近づけないところに、生きている人間がなんとか近づこうとする、そのための折り合いの付け方がさまざまな伝承になって表れるのだと思います。柳田が記した世界観は僕にとってはすごくピタッとくるんです。日本人全員が持っているある種の想念のようなものが根底にあって、僕の創作する舞踏の中にも、どこかにそういうミステリアスな部分があります。だから、僕にとっては今回、「里帰り」のような感覚で踊ることになるのかなと思っています。
森山開次 ©あきた芸術劇場ミルハス
―バレエと舞踏を融合させた新たな芸術表現に挑戦されます。
森山 一概にバレエはこうだから、舞踏はこうだからと固定化した掛け合わせではない表現を目指したいです。バレエは西洋の芸術として生まれましたが、今や日本人ダンサーも多く活躍しています。日本人ならではの内省的な部分や地面に対しての感覚。そうした感性を持ったバレエダンサーが舞踏家の身体と出会うとどうなるのか、楽しみですね。僕はどこか、バレエと舞踏の中間にいるかもしれない。一人一人違う身体の感性を持っていると思うので、稽古の中で皆さんと遠野物語を語り合いながらアプローチしていきたいです。僕も「河童」役で踊ります。
麿 土方巽(*)は、秋田の農作業や寒さに耐える暮らしの中に着想を得て舞踏を創始しました。舞踏は生活に根付いていて、バレエはイメージに根付いているという感じがします。今回、遠野という広がりのある主題の中で、ある意味何でもできます。飛ぶ人がいれば、這いずり回る人もいるでしょう。飛びたい人を引っ張る何か、という怖さがあってもいいかもしれない。身体というのは不思議なものです。摩訶不思議な舞台になればいいのかなと思いますね。
麿赤兒 ©あきた芸術劇場ミルハス
―これから稽古を重ねて作品を仕上げていく。意気込みをお聞かせください。
森山 遠野物語を読み込みながら、心に感じたものをしっかりと前に押し出していくことを大事にしたいです。遠野物語に記された、言葉では説明できないようなさまざまな体験を実感として観客に届けること。踊りはそれができる力を持っていると思うので、「感じる身体」というのを作品の中で伝えていきたいです。
麿 遠野物語を解釈するのではなく、現代人がどう肌身に感じるか。そういう挑戦でもあると思うんです。AI(人工知能)を頼れば、解釈や意味的なものは作るかもしれないけれど、肌の感覚というものは絶対に得られない。何がリアルで、何が幻想なのか、その狭間の不思議な世界をどこまで表現できるか。僕はもう82歳です。舞台で死んじゃうかもしれないというわくわく感もありますよ。遠野物語は「死」も一つのテーマとして内包しています。そういう意味では当たり役になるんじゃないかな。命がけで楽しみたいですね。
記者:千葉園子(あきた芸術劇場ミルハス)
*土方巽(ひじかた・たつみ):麿赤兒が師事した秋田市出身の舞踏家。
(本記事は、あきた芸術劇場ミルハスの広報誌ミルハス・タイムズ(2025年7月1日発行)に掲載された内容に一部加筆・修正をし、note版としてお届けしております)