小山実稚恵ピアノ・リサイタル ~親愛なるシューベルト~

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2022.08.03 UP

小山実稚恵ロングインタビュー

聞き手:片桐卓也


オーチャードホールで「12年間・24回リサイタルシリーズ」や「ベートーヴェン、そして…」などの長期にわたるリサイタルを開き、多くの音楽ファンを魅了して来た小山実稚恵だが、この秋、11月13日には彼女がいま「どうしてもひきつけられてしまう」と語るシューベルトの作品だけを集めた、たった1回のリサイタルを開催する。なぜ、いま、シューベルトなのだろう?

「シューベルトの作曲家としての最大の特徴は<天才に見られない大天才>というところにあるかもしれません。彼の書いた音楽は、すべて彼の心の内からわいてきたもので、後から意図的に作り上げたものではないと思います。ベートーヴェンでもブラームスでも、それぞれに心からわいてくる音楽はあったと思いますが、それは違う形、構築性のなかに収められてしまいます。しかし、シューベルトは、彼の内側から音楽が浮かび上がってきた時点で、すべてが音楽になっている。しかも、それが歌としても歌える。ブラームスの作品を鼻歌で歌いながら街を歩くことは出来ないと思うけれど、シューベルトの作品はどれも歌える。そんな作曲家は、古今東西を探してもなかなかいないと思います」


シューベルトはもちろん「歌曲の王」というイメージで捉えられることが多く、音楽の授業でシューベルトが取り上げられる際も歌曲がほとんどだろう。しかし、その音楽の魅力はもっと広がりがあり、多彩でもある。さらに言えば、多くのピアニストが、ベートーヴェンやショパンやドビュッシーなどを探究した後に、シューベルトの世界に戻って来て、その魅力を語り始める。おそらく、どのピアニストも幼い頃からシューベルトの作品には接しているはずだが、なにか忘れ物を取りに戻ったように、シューベルトの世界を訪れている姿を目にする。

「私がシューベルトのピアノ曲に最初に接したのは小学生の発表会での経験で、年上の方が弾いていたシューベルトの『即興曲』作品90の第4曲を聴いた時だったと思います。その時に『なんて、大人な作品なのだろう。私も早く、あんな大人な作品を弾いてみたい』と思ったことが記憶に残っています。それ以来、シューベルトの作品は折りに触れて演奏して来たし、リサイタルシリーズでも取り上げてきましたが、それらが終わった後で、こんなにもシューベルトの音楽に魅かれている自分を発見するとは思っていませんでした」


さらにちょっと小山の内面に入り込みたくて、私たち聴き手があまり気付かないシューベルトのピアノ曲の面白さを尋ねてみた。

「作家の平野啓一郎さんと対談した時に、ストーリー上で次の話題に転換する時に、突然、その話題に切り替えるのではなく、転換する前にちょっと<暗示>をする、例えば<青空>についての話題を出すのなら、その前の部分に<青>をイメージさせる言葉を忍び込ませたりする、とおっしゃっていました。ショパンの音楽の中にはそういう要素があって、自然な転換、つながりが出来ていると思うともおしゃっていました。
それを踏まえて考えると、シューベルトの音楽は、実は突然の転換が意外に多いのです。もちろん流れは自然に感じられるのだけれど、シューベルトは暗示もせずに、思いがけない転調をする。その発想に驚きながらも、同時にそこにかけがえのない魅力を感じている自分を発見します。そのシューベルトの能力は、ほとんど本能的と言って良いものだと思うのですが、思っている以上に複雑な作曲家でもあるのです」


シューベルトの生きた時間はベートーヴェンの人生とほとんど重なっていることはよく知られていて、それはいわゆる古典派からロマン派への転換期と呼ばれる時代だったが、その中でもシューベルトは特別な位置を占めている。

「そして、それ以後もシューベルトに匹敵するような才能はいないのかもしれないと思います。全くタイプの違う、ショパンとかドビュッシーになってしまうのかも。
もうひとつ言えば、シューベルトは<変奏>の天才でもあって、変奏を使った作品も多いのですが、その中でも、明らかに表立ってわかる変奏と、隠された変奏、という違った種類の変奏を使っているのですね。おそらく、ひとつのメロディが浮かんだ時に、すでにそのメロディのヴァリエーション(変奏)も同時にたくさん浮かんでいて、それの中からひとつを選んで書いて行く。でも、他の変奏の可能性も常にその中には含まれていて、それが音楽の転換を促したりもする。だから、とても複雑でもあるのです。音楽の変化がとてもナイーブなので、ちょっとした部分、例えばひとつの音だけを変化させたりするのですが、それがまた魅力的で、つい、『ああ、こんな風に…』と呟いてしまうのです(笑)」


シューベルトはベートーヴェンなどとは違って、ピアノの名手という訳ではなかったようだ。しかし、その発想力には、何世代もの時間を超えた新しさがある。

「そしてシューベルトの作品には♭(フラット)系の音が多いのですが、それはシューベルトその人の人間性も現しているような気がします。なにか尋ねられても、即座に反応するのではなく、ちょっとワンテンポ置いて答えるとか、そんな雰囲気。全体にピッチが低めの感覚ですね。それが彼の魅力ともなっていたのではないでしょうか?」


小山がそこで挙げたのが、いわゆる「シューベルティアーデ」というシューベルトを囲む友人たちの集まりである。

「単に仲間の集まりということではなくて、シューベルトの音楽、人間性に魅かれた、当時のウィーンに住む知的な人たち、詩人などを含むジャンルの違うアーティストたちの集まりだったと思います。フランスで発展したサロンとも違う、芸術を愛する人たち、シューベルトの音楽を愛する人たちの集いは、どれほどシューベルトを刺激しただろうか、と思います」


シューベルトの友人のシュパウンの伝えるところでは、シューベルトは何時間でもその友人たちの輪の中にいることが好きだった、仲間の喝采はシューベルトにとっても嬉しいものだったが、喝采を求めることはなかった、とも言われている。そのあたりに「フラット系の人」の面影を感じる。

小山が選んだシューベルトの作品は『楽興の時』『即興曲集』からのセレクションと、最後のピアノ・ソナタである『第21番 変ロ長調』だ。シューベルトのピアノ曲を語る時には絶対に外せない作品群である。この混乱の時代に、小山の演奏するシューベルトはどんな光を発するのだろう。シューベルトの死(1828年)からすでに200年が過ぎようとしているけれど、彼の作品はまだ静かに光り続けている。

 

 

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