パーヴォ・ヤルヴィ&N響『ウエスト・サイド・ストーリー』

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2018.01.15 UP

広上淳一、パーヴォのWSSについて語る

 広上淳一はかつてアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現・ロイヤル・コンセルトヘボウ管)でバーンスタインのアシスタントを務め、大きな薫陶を受け、一方、パーヴォ・ヤルヴィは、ロサンジェルスでのバーンスタインのマスタークラスに参加し、晩年の巨匠に指揮を学んだ。広上に、パーヴォとの共通の師であるバーンスタインの名作「ウエスト・サイド・ストーリー」について語ってもらった。


広上さんは、パーヴォ・ヤルヴィさんを東京音楽大学のマスタークラスに呼ばれるなど、彼とは親しいのですね。

「パーヴォのデビュー当時から知っています。彼がマルメ交響楽団(スウェーデン)のシェフだったころ、僕はノールショピング交響楽団(スウェーデン)のシェフでしたし、彼がシンシナティ交響楽団(米国オハイオ州)のシェフをしているときに、僕はコロンバス交響楽団(米国オハイオ州)のシェフでした。マルメの当時は、一緒に飯を食いに行ったりしましたよ。それから彼の親父さん(ネーメ・ヤルヴィ)に可愛がってもらって、デトロイト交響楽団やエーテボリ交響楽団に呼んでもらいました。パーヴォはとても良い男で、僕は応援しています」


そのパーヴォさんが3月にN響と「ウエスト・サイド・ストーリー」を演奏します。「ウエスト・サイド・ストーリー」についてはどう思いますか?

「音楽が凄いですよ。ミュージカルというカテゴリーでの最高峰だと思います。この作品、好きなんだよね。僕も一度全曲をやりたいと思っています。『ウエスト・サイド・ストーリー』は『ロメオとジュリエット』のアメリカ版ですが、あの時代に、偏見や人種差別にメスを入れる画期的な作品でした。彼は、音楽家である前に、ひとりの主張する人間でしたから、そういう社会問題を取り上げたのでしょう。


パーヴォさんとはバーンスタインのことを話しましたか?

「パーヴォも晩年のバーンスタイン先生の雰囲気をよく知り、先生を心の支えとしていました。彼がどれくらいバーンスタイン先生から影響を受けたか知っていますから、パーヴォの気持ちはよくわかります。パーヴォとは、あの頃の先生は悲しそうだったとか、死期を予感していたねとか、話したことがあります」


広上さんはバーンスタインに直接学んだ経験もおありですが、バーンスタインについてはどのように思いますか?

「パーヴォとも話に出るのが、『ヤング・ピープルズ・コンサート』でのチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章の凄い場面です。バーンスタイン先生は、ピアノを弾きながら、チャイコフスキーの交響曲に「I want…」と歌詞をつけて歌います。ニューヨーク・フィルを後ろにおいて、子供たちの前で、一人で行っちゃっている姿を出せる、前代未聞の天才。あんな人は他にはいませんでした。自分から裸になるようなカリスマでした。

 バーンスタイン先生は、マーラーと同様に、常に自分の出自に対する疑問がありました。なぜ自分がアメリカ人でユダヤ人なのか、なぜ自分たちはこういう歴史をたどってきたのかなど、答えのない疑問をずっと見つめていた。交響曲第1番『エレミア』でも交響曲第2番『不安の時代』でもそうでした。今、トランプ大統領の時代にバーンスタイン先生が生きていたら、どういう作品を書いていたでしょうか? パーヴォも、バーンスタイン先生の作品を通して、そういうメッセージ性を伝えたいのかもしれません」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)

 

◆広上淳一さんの登場する、2018年2月3日(土)「N響オーチャード定期 第98回」の詳細はこちら