イギリス×日本×ベルギー国際共同製作 シディ・ラルビ・シェルカウイ振付最新ダンス作品

「テ ヅカ TeZukA」

2012年2月23日[木]―2月26日[日]

Bunkamuraオーチャードホール

トピックス

ダミアン・ジャレ インタビュー

――シェルカウイ作品は、テキストを多用するものが多いですね。

ラルビ(シェルカウイ)と仕事をし出して11年ほど経つけど、当初からラルビは、作品の中でよくしゃべってたな。もちろん、すべての作品というわけではないけども。最近、ラルビ作品へのダンス評にも「しゃべり過ぎだ」と書かれているものを見かけることがあるけど、そのダンス評自体が、舞台で語られるテキストを引用して書かれていたりするんだ。「その言説は、われわれが舞台上で提供しているものですよ」と、言わせてもらいたくなりますね。
 「ダンス作品は動きですべてを表現するもの」という主張もあるけれど、僕は必ずしもそうは思わない。言葉が加わることで、違う層にある情報が顔を出すことがある。論理的な言及がなされることで、表層的なものからもう少し奥に潜む何かが導き出される可能性は、往々にしてあると思うんだ。もちろん、言葉で限定することなく、あいまいなままで提示することの重要性を見誤ったら、元も子もない。要は、バランスが肝要ということだよね。まあとにかく、ラルビには言いたいことがたくさんあって、それをみんなと分かち合いたいんだよ。思うに、手塚治虫という人も、そうだったんじゃないだろうか。彼の作品を読んでいると、ラルビとの共通性を感じるな。

――そのおしゃべり部分を担う「フランス人アナリスト」と『MW』の賀来神父、そしてマグマ大使!という印象的な3役ですね。

アナリストとして手塚治虫を語り、神父になってモラルを問い、ついでに一瞬、マグマになる(笑)。ディズニーを引き合いに出して『MW』の同性愛について語る部分(注:手塚治虫とウォルト・ディズニーを対比させて、ディズニーが聖職者と犯罪者の同性愛を描くような作品を世に出していたら、とっくにディズニーランドはつぶれている……といったコメントが出てくる)は、教会へ通う人たちに対する強力で直接的なステートメントであると同時に、(ディズニーを生んだアメリカおよび西洋と、手塚を生んだ日本という)国による文化の違いについての提言でもある。僕自身、カトリックの教育を受けて育ち、洗礼を受けた神父が幼児性愛者だったという経験があるんだ。こうした自分が受けた教育やモラル、セクシュアリティー・オリジンについて、いままで自分がかかわる作品の中で直接触れてきたことはなかったけど、これはいい機会なのではないかと思った。(結城美知夫役の)ダニエルも同じ意向だったので、これは必要だろうということで、やることにしたんだ。
 マグマ大使は、ワークショップで紙をたたむという作業をしている時に、ふと「この世界がすべて紙という物質でできていたら」と考えてみたことに始まる。紙はある面とても強く、もろいものでもある。その紙の性質を、人間の身体を組み立てることで伝えてみたらおもしろいかも、と思ってやっていたら、ラルビが「なんかロボットみたいだね。ああ、じゃあそれをマグマ大使でやろうよ!」ということになったわけ。笑える?
作品の中には、こういうカラーも必要だよね。紙一枚でできることって、たくさんある。折る、包む、裂く、絵を描く……。ダンスの身体も、紙、動物、水、火……と、あらゆるものにトランスフォームできる。そして手塚治虫の創り出すキャラクターも、ある心理的ラインでつながりながら、いろいろなものに変容するところがある。ということで、すべてがつながっているんだね。

取材・文=伊達なつめ