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Bunkamura 20周年記念企画
ブロードウェイミュージカル
コーラスライン
悔やまない 選んだ道がどんなにつらくても全てを捨てて 生きた日々に悔いはない―

2009年8月12日(木)〜30日(日)
Bunkamuraオーチャードホール

世界が注目する新たな“黄金コンビ”の誕生 首席指揮者・大野和士、手兵リヨン国立歌劇場管との凱旋公演!

いつまでも受けとめたい。純度100%の思い。

「マーヴィン、たぶん君はハリウッドにへばりついているんだろうけど、何もかも捨ててニューヨークへ来てくれないか。」マイケル・ベネットは、そう言ってマーヴィン・ハムリッシュ(作曲)をハリウッドから呼び出すと、こう切り出した。「ダンサーたちの物語なんだ。いつもニコニコと笑顔を絶やさず、身を削るような思いでスターを支えていても、得られる報酬は、ハシタ金とアザだらけの膝だけの―」。今のアメリカン・ミュージカルの枠組みを超えられる人間がいるとしたらベネットしかいない、と思っていたハムリッシュは、彼に賭けることにした。(ハムリッシュの日誌から)
1970年代のアメリカは、長く暗いベトナム戦争の影響で、失意の時代を迎えていた。そして、ブロードウェイのミュージカルは、アメリカ制作の作品からロンドン制作の作品への、メインストリームが少しずつ移り代わっていた。『コーラスライン』は、そのさなかの1975年に、まさしく彗星のごとく現われたアメリカン・ミュージカルだったのだ。

マーヴィン・ハムリッシュ Marvin Hamlisch(音楽)

1944年ニューヨーク生まれ。名門ジュリアード音楽院で作曲とピアノを学び、ミュージカルのアレンジャーとなる。大ヒット作「ファニー・ガール」(68年)で注目を集めると、すぐに映画界からも作曲依頼が殺到し、ハリウッドでも活躍を始める。特に73年には、「追憶」でゴールデン・グローブの2つの音楽賞、「スティング」でアカデミー編曲賞と、同じ年に3つの音楽賞を独占する快挙を成し遂げた。本作でのトニー賞を含め、エミー、グラミー、アカデミー、ピュリッツァーの各賞すべてを受賞したのは、ハムリッシュとリチャード・ロジャースの2人のみ。コーラスライン創作時には、親友マイケル・ベネットの情熱に賭けて、ハリウッドからブロードウェイに駆けつけた。

マイケル・ベネット Michael Bennett(原案・演出・振付)

「コーラスライン」オリジナル版の原案・振付・演出を手がける。ダンサーとして「ウエストサイド物語」などに出演した後、振付家に転向する。「プロミセス」「カンパニー」「フォリーズ」などの振付を担当し高く評価される。「コーラスライン」の歴史的大ヒットと数々の受賞の後は、「ボールルーム」の製作・振付・演出を手がけ、トニー賞8部門にノミネートされ、自身は6つ目の同賞に輝く。続く「ドリームガールズ」で7つ目の同賞を受賞。1987年、エイズによりこの世を去る。

     
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