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©Jochen
Klenk |
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1960年東京生まれ。
1987年第3回アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝。1988年ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任、96年まで同楽団音楽監督を務める。96年9月バーデン州立歌劇場の音楽総監督に就任。2002年よりベルギー王立歌劇場(通称モネ劇場)の音楽監督に就任。就任披露となったR・シュトラウス「エレクトラ」公演は欧州楽壇の話題となり、「ブリュッセルの奇蹟」と評された。
日本においては東京都交響楽団指揮者を経て、92年より東京フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。現在は同楽団桂冠指揮者。95年には文化庁芸術大賞を受賞。
来年10月にはBunkamuraオーチャードホールにて、初来日となるベルギー王立歌劇場との待望の公演が行われる。(モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ) |
第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞と併せて最年少者賞を受賞。以後今日に至るまでの40年間、中村紘子の名は日本のピアニストの代名詞となり、その演奏は国内外3500回を越える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けている。
演奏会に加えてレコーディングも活発で、1965年ソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来出版した40点以上の録音は、クラシックとしてはすべて桁外れの売れ行きを示している。またチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールをはじめ、数多くの国際コンクールの審査員も歴任し、その体験に基づく最初の著書『チャイコフスキー・コンクール』(中央公論新社刊)は、文明論としても高く評価され第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。続く第2作『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋刊)も文藝春秋読者賞を受けるなど、「文武両道」のスーパーレデイぶりは名高い。
今年9月にはプロ活動45周年を迎えた。 |
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北海道釧路生まれ。15歳の時に渡豪、シドニーで音楽教育を受ける。1990年全豪オペラ・コンクールに優勝、92年にはサン・カルロ歌劇場で「ラ・ボエーム」ムゼッタ役でヨーロッパ・デビュー。同年国際バロック音楽祭でヘンデル「アルチーナ」のタイトルロールを歌い、ヨーロッパ放送連合より最優秀賞を受賞。96年映画監督バズ・ラーマン演出による「ラ・ボエーム」の魅惑的なムゼッタ役が高い評価を得る。99年より現在までウィーン・フォルクスオーパーの専属歌手となり、劇場のトップスターとして活躍中。 |
15歳で第50回日本音楽コンクール最年少優勝。若い芽のコンサートでNHK交響楽団と共演し、衝撃デビューを飾る。84年ヴィオッティ、86年パガニーニ両国際コンクールで最高位を受賞。その後はニューヨークを本拠地とし、ロサンジェルス・フィル、フィルハーモニア管弦楽団などと共演、成功を収める。97年にはシノーポリ指揮ドレスデン・シュターツカペレとのCDが発売され、絶賛される。
超絶的テクニックや玲瓏で知的な音楽性で、日本のみならず世界のヴァイオリン界を牽引する逸材。 |
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©満田 聡 |
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92年、小澤征爾指揮「さまよえるオランダ人」の公演に際して世界的水準のコーラスをと言う氏の要望により、東京を中心に活躍する中堅・若手の声楽家によって組織された。同公演の合唱は各方面から絶賛を受け、同年第1回サイトウ・キネン・フェスティバルや長野オリンピック「第九」公演など注目すべき公演に出演。メンバー一人一人はソリストとしても活躍。
純度の高さと豊かな声量を兼ね備えた“声”の集合体は、類い稀な響きを生み出している。 |
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