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ルノワール+ルノワール展 | 
2008年2月2日(土)→2008年5月6日(火)
Bunkamura ザ・ミュージアム

展覧会紹介

1+1=3

 絵画の横に映画の抜粋を映写するという斬新な方法で、画家ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年-1919年)と、その息子で映画監督のジャン・ルノワール(1894年-1979年)の作品を一緒に見ていこうという展覧会。この試みは、作品を比較するというよりも、両者の芸術をより深く理解するためのアプローチと考えた方がいい。そこには、作品(絵画あるいは映画)を、単独で鑑賞することでは気がつかなかったなにかが、きっと見えてくるはずである。

単独のルノワール展としても一級品

 本展は2005年にオルセー美術館がパリのシネマテーク・フランセーズで開催した展覧会を日本向けに再構成したもので、同美術館からの15点を中心に、多数の初公開を含む約50点の絵画が展示される。だがこれは決して少ない点数ではない。というのも、更に15点の映画が「絵画のように」展示されるからである。画面の大きさや明るさなど、多くの困難なハードルを越えて実現されるこの展覧会は、ルノワールの絵画作品に対する解を深めるとともに、豊かさと平和な微笑みに満ちたルノワール・ファミリーの世界を伝えてくれるはずである。

 また日本初公開という言葉だけこだわると損をするかもしれない。傑作《田舎のダンス》(1883年)は36年ぶりの公開であり、たおやかな女優の肖像《コロナ・ロマノ、バラを持つ若い女》(1913年)も半世紀ぶりの公開となる。

 本展は「家族の肖像」、「モデル」、「自然」、「娯楽と社会生活」という四つのセクションで構成され、親子の確かな絆と、二人の芸術家の共通項を探る形で展開する。

家族の肖像

 画家ルノワールは妻アリーヌとの間に三人の息子がいた。長男ピエールは俳優、次男ジャンは映画監督、そしてココという愛称で呼ばれた三男クロードは陶芸家。そして画家は、自画像も含めこの家族の姿を、ときには《田舎のダンス》に描かれた後の妻アリーヌのように、或るシーンの登場人物として、あるいは肖像画として好んで描いている。

 映画監督のジャンも兄ピエールを映画の中に登場させている。また自らの映画に自分自身も出演することも多く、父のやり方を彷彿とさせる。『ゲームの規則』(1939年)では、ジャン自身が出演するのだが、その姿は彼が少年のころ父に描いてもらい生涯自宅に飾っていたほぼ等身大の肖像画を思い起こさせる。

モデル

 ルノワールといえば女性。愛くるしい少女像から、豊かな肉体の健康的なヌードまで、女性像はルノワールの代名詞である。彼にとって女性は全てのよきものの象徴であり、最晩年まで女性美にこだわりつづけた。このような女性に対する肯定的な見方は、ジャンにも引き継がれている。観る者の脳裏に焼きつく天真爛漫な女優の笑顔は、それを如実に物語っている。

 そんな画家のモデルは、身近な女性たちが多かった。たとえば妻のアリーヌであり、その従姉妹でジャンの面倒をよくみたガブリエル。あるいは女優コロナ・ロマノは、長男ピエールと付き合っていた女性であった。もちろん、モデルには身近な男性たちもいた。例えば当時の新進気鋭の画家を扱っていた画商ヴォラールの場合、この印象派の巨匠のためにスペインの闘牛士の格好をして(しかも自慢のヒゲまで剃って)神妙にポーズをとる姿が描かれている。《スペインのギター弾き》(1894年)なども、ルノワールがこの頃夢中になっていたスペイン物のひとつであった。そしてこのスペイン趣味はジャンにも受け継がれ、『黄金の馬車』(1952年)となって結実する。

自然

 人物画家というイメージが強いルノワールは、多くの優れた風景画も残している。それらはこの画家独特の柔らかな筆致で描かれ、木立は若い女性のなめらかな髪のように、しなやかに光り輝いている。そしてそこにはほとんどの場合人間が描かれている。ルノワールが描く風景とは、そこに人間が穏やかに暮らすところとして提示されているのである。

 いわゆる人物画にあっては、自然は人物に更なる生気と輝きを与え、人物と一体化している。その典型的な例が木漏れ日の中の人物像である。光は見えた通りに正直に色の斑点として肌や服の上に置かれていったのだが、この大胆さこそが彼に巨匠の地位を約束した。またルノワールほど女性の水浴図を多く描いた画家はいないだろう。それは彼の芸術の原点である女性が最も自然に見える情景である。特に晩年は、裸婦はほとんど風景画として描かれていると言っても過言ではない。

 そんな父の作品を見てきたジャンは、1959年の『草の上の昼食』という映画の中に、若い女性が水浴するシーンを織り込んでいる。陽光を浴びて木々に囲まれた池で水浴するヒロインの姿は、まさに画家であった父の作品から抜け出してきたような印象を受ける。実際この映画の舞台は、画家が晩年を過ごした南仏の家「コレット」で、父が見つけた桃源郷に捧げられた息子からのオマージュなのである。

娯楽と社会生活

 1871年、普仏戦争で敗北を喫したフランスであったが、第一次世界大戦までは束の間の平和と繁栄を享受する。産業革命の成果が出はじめたのもこの頃である。印象派の画家たちは、まさにその落とし子として世の中を肯定的に捉えていった。整備された大都会パリは彼らを引き付け、郊外でのボート遊びや屋外カフェで人生を謳歌する人々の姿は格好の主題となった。

 ルノワールはそんな当時の人々の生き生きとした生活の様子を的確に描き出している。その歓声や笑い声までも伝えることができた画家がルノワールである。例えば《ぶらんこ》(1876年)は、モンマルトルにあったルノワールのアトリエの庭が舞台なのだが、洒脱な筆遣いで描かれた女性の、なんと生き生きとしていることか。日常生活の中の刹那的だが、だれもが求める大切な喜び。大胆に描かれた光の斑点は、この場面の一時性を強調し、まさに印象派ならではの瑞々しい作品である。

 それが《田舎のダンス》(1883年)になると、当時のルノワールの迷いを繁栄して描き方はすこしカチッとしたものになっているが、どこかの屋外カフェでの毎晩のように繰り広げられたいわば「庶民のお楽しみ」を(ただし恋人のアリーヌをモデルに)描き出しているという点では、極めてルノワール的な作品といえるだろう。

 息子のジャンも、このような父の「思想」に敬意を表し、最大限自分の映画作品の中に取り入れていった。例えば『ピクニック』(1936年)では、庶民の日常的な休日を描く中にひとりの若い女性を登場させ、その魅力がストーリーの展開のエネルギーとなっている。

 こうしてみると、二人の関係の基本的な流れは、やはり父から息子へのものであることがわかる。しかもこの父子の場合、53歳で授かった次男ということもあり、ジャンが物心つくころには父は印象派の巨匠としての名声をほしいままにしていた。ジャンは語る。「私の一生は父が私に与えた影響を確認しようとする試みに費やされたようなものだ」と。時はベルエポック。古きよき時代の全てのよきものを画家は享受し、その息子にとって父の存在は絶大であった。しかしながら父もまた、息子であるジャンが、そして兄弟たちが健やかに育ち、各分野で活躍している事実から、つまり家庭の幸せから、新たな「力」を授かっていたことも事実なのである。

ザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男


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