ポンペイの輝き

2006/4/28(金)〜6/25(日)

 
甦る輝き
「輝き」と「最後の日」。この二つのキーワードの見せるコントラストが、本展の特徴であるとともに魅力でもある。「輝き」とは、古代遺跡の発掘で明らかになった紀元一世紀の頃のローマ帝国の中堅商業都市とその郊外における、豪奢で活気溢れる日常生活のこと。その様子は、天災の犠牲となった貴婦人たちが身につけていた数々の宝飾品や、手の込んだ日用品などからうかがい知ることができる。またこの地で出土した優美な美術品は、単なる贅沢を超え洗練された人々の生活ぶりを偲ばせる。
しかしそれは「最後の日」の姿であった。西暦79年、南イタリアのヴェスヴィオ山が大噴火を起こし、ポンペイをはじめとする周辺の都市や村落が灼熱の溶岩や降り注ぐ岩や灰に埋没するという、人類史上稀に見る大惨事が発生した。当時博物学者として著名だったローマ帝国海軍の提督大プリニウスは罹災地に赴き、その惨状を甥の小プリニウスに記録させ後世に伝えている。しかし深い地中からの本格的な発掘が始まったのは十八世紀のことで、次第にその「最後の日」の様子も明らかになってきた。特に石膏や樹脂を流し込んで取られた犠牲者の人型と遺品からは、さまざまな人間ドラマが伝わってくる。裕福な人々はあるだけの財宝を身に着けて逃げたのだが、逃げ切れず命を落としたその傍らには、無一文の奴隷の遺体も発見されている。こうしたドラマは二千年の時を経て冥府から掘り出された宝飾品の輝きを、さらに特別なものにしているのである。
それでは本展の構成にそって、出土地域ごとにそのハイライトとなる品物を中心に見ていこう。
Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員 宮澤政男



地中海を望む保養地エルコラーノ
かつてはギリシア神話の英雄ヘラクレスによって築かれた都市として、ヘラクラネウムと呼ばれていたエルコラーノ。風光明媚なこの保養地には、ローマ貴族や裕福層が別荘を構えていた。
そのひとつパピルス荘には66m以上のプールもあり、これまで知られている別荘の中でもとりわけ大規模で豪華なものであった。別荘の名の由来となったパピルスの書庫も発見されている。ここでは美術作品が数多く発見されていることから、所有者はエピクロス派哲学に傾倒していた裕福な貴族で、洗練されたヘレニズム文化に通じていたと考えられている。例えばここで発見されたアマゾンの頭部やヘラ像は部分を欠いているとはいえ、ヘレニズム彫刻の極めて美しい作例である。
エルコラーノでは四百度にも達する高熱のガスと火山灰が襲ってきた際、約5000人の住人の大半は脱出したと言われているが、海へ逃げようとして逃げ遅れた犠牲者が確認された船倉庫からは、さまざまなアクセサリーのほか医者の道具や剣なども出土し、必死に脱出しようとする人々の様子が伝わってくる。


田園地帯オプロンティスとテルツィーニョ
ポンペイのあるカンパニア地方の郊外には豊かな田園が広がっていた。オリーブ油やブドウ酒が生産されていた拠点のひとつであったオプロンティスには別荘を兼ねる大きな館が点在した。なかでも豪商テルティウス所有の別荘には、噴火を逃れて多くの人々が避難してきたのだが、彼らはむなしくそこで死を迎えることとなった。その遺体のそばからは、全財産ともいえる金貨銀貨、当時流行していたエメラルドと金の宝飾品、銀器などが多数見つかっている。またこの家にあった幅140cmの金庫には、動植物をモチーフとした手の込んだ装飾が施され、持ち主の財力とともに、その洗練された趣味を知ることができる。
 ポンペイの北の方角に位置するテルツィーニョにもこのような館があったが、そのひとつ「別荘6」と呼ばれる建物のトリクリニウム(食堂)の見事な壁面装飾が本展に出品されている。断片的な壁画ではあるが、ヘレニズム風のモチーフの中にオリエント風の風俗が混じる興味深い作例である。このテルツィーニョ遺跡は近年発掘が進み、本格的に紹介されるのは今回が初めてとなる。


中核都市ポンペイの繁栄
ヴェスヴィオ山の大噴火があった紀元1世紀の頃、カンパニア地方の中核都市ポンペイの人口は一万人を超え、劇場や円形競技場、公衆浴場などが整備され、その繁栄を謳歌していた。しかし西暦79年8月24日午後1時から始まった噴火は翌朝まで続き、建物は破壊され、街からはあらゆる命が消え去った。ポンペイ市内の十六ヵ所で発見された壁画や彫刻、宝飾品など約二百点は、この都市の繁栄を物語るとともに、噴火の悲劇を生々しく伝えるものでもある。
 ジュエリーの中でも「ヘビ形の腕輪」と呼ばれる大型の純金製腕輪は、重さ610gを超える豪華なもの。双頭のヘビがくわえているのは月の女神セレネが浮き彫りになったメダルで、象徴的な意味合いが込められたものであることがわかる。また他のアクセサリーでは、94枚のキヅタの葉をかたどった金のネックレスや、エメラルドと真珠と金のネックレスなどといった華麗なものが多数出品されている。「ヘビ形の腕輪」が見つかった家の庭からは、詩人エウフォリオンを細密画風に描いた壁画も見つかっており、本展に出品されているその断片からは、このような主題を日常に取り入れる生活の質の高さが推測される。
 ポンペイのコーナーは市内の建物や道を単位として展示がなされている。その中には庶民的な生活を偲ばせる「サルウィウスの居酒屋」、敷地が1800uもあるポンペイ最大の邸宅の一つ「百年祭の家」、郊外に建ち秘儀を表す大きな壁画があった「秘儀荘」など、特徴的な名称のものも多い。これらの家々からの発掘物は、本展では宝飾品と美術品が中心に展開されている。例えば「メナンドロスの家」(同名のギリシア詩人の壁画があることからの命名)は、ポンペイの都市部で最も魅力的な家のひとつとされ、ここから出土した大理石のアポロ像は、アルカイック風を模した当時流行のヘレニズム彫刻の秀作となっている。なおこの家の裕福な所有者は、皇帝ネロの二番目の妻の親戚にあたる人物であったことが分かっている。


二度の眠りから覚めたモレージネの壁画
ポンペイ近郊のモレージネ地区から出土した「竪琴弾きのアポロ」のフレスコ画は、この種のものとしては完全に近い状態で残っており、とりわけその緋色背景を特徴とする鮮やかな色彩により、近年発掘された中で最も美しい壁画として注目を集めたものである。しかしこの壁画は1959年に高速道路建設中に発見されたものの、工事続行のために埋め戻され、それが1999年からの再調査で地中から取り出されたという数奇な運命をたどり、今回日本初公開となったのである。
 この壁画はトリクリニウム(食堂)を囲う三面を復元する形で、コの字型に展示される。中央の人物は芸術を司る太陽の神アポロ(ギリシア神話ではアポロン)でそれを取り囲む形で女神ムーサ(ミューズ)たちがさまざまなポーズで描かれている。なおこのアポロについては、建物を訪問した皇帝ネロを表わすものとも言われている。

大噴火という破滅。しかしそれを通して永遠のものとなったポンペイは、現代に甦り、その輝きはもう変わることはない。本展の顔とも言うべきモレージネの壁画に炎を思わせる緋色を背景に描かれたアポロの姿は、まさに噴炎の中から甦る不死鳥ポンペイを象徴していると言えるかもしれない。



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