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誰も読み解けなかった野田秀樹の20年前の作品が、蜷川幸雄の演出で、こんなにも感動的によみがえるとは、想像もできなかった。言葉遊びと軽やかな笑いのかげに隠された痛々しいほどの物語を、蜷川は圧倒的なエネルギーで引きずり出した。 |
開演前から客席には出演者たちが、すでに徘徊している。コビト族の扮装をした人たち以外に、黒ヘルメット姿の青年もいる。70年代、デモに参加する若者を思わせる。蜷川の仕掛けの一つだ。舞台奥の扉は開いていて、駐車場とその向こうの通りも見えている。ふだんの渋谷から、コビト族の市場の喧騒へと、いきなり芝居は始まった。この作品は二つの物語が重層的にからみあっている。神と巨人族とコビト族が「ヒト」を奪い合う神話の世界。もう一つは、棒高跳びのコツを忘れてしまった少年サスケと、その後の信長、その妹のおまけが繰り広げる現実の世界。ハム仲間と分かったサスケとその後の信長は、富士登山を目指すが、次第に、その後の信長が実は爆弾テロ犯人と分かる。神々に追われる「ヒト」と、刑事に追われるその後の信長、二つの世界が交じり合っていく。巨大な富士山のセットや、それが割れてサスケのアパートが現れるなど、スペクタクルも満載。印象的なのは舞台の切穴から大勢のヘルメット姿の男たちがぼろぼろになった旗を振る上を、サスケが飛ぶシーンだ。爆撃音などの戦場の音が響き、激しい闘争の世界が浮かび上がる。野田が神話のオブラートで包んだ70年代過激派や、彼らが起こした爆弾テロを、蜷川ははっきりと提示した。それはいまだに紛争の絶えない現代の世界をも象徴するものだ。
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棒高跳び=空を飛ぶために、懸命に突き進む少年サスケを、松本潤がみずみずしい感性で演じている。政治的闘争の中で倒れていった多くの者たちの思いを全て背負って、高く飛び上がる姿は決意に満ちて美しい。勝村政信は、誤って妹を爆弾で殺してしまった過去を持つその後の信長を、時に軽妙に、時に痛切に演じて緩急自在。サスケの眠れる闘争心をかきたてるおまけを、鈴木杏が強さと透明感で見せる。神様夫婦の六平直正、立石涼子の存在感、巨人族とライト兄弟と刑事を演じる杉本哲太と高橋洋の軽やかさも面白い。蜷川作品常連の俳優たちによるコビト族の厚みのある演技も見逃せない。
三部作の続きをぜひとも見たいと思わせる渾身の舞台だった。 |
text by 沢美也子(フリーライター) |
photos by 細野晋司 |
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