この時代のロシアの文化は、チャイコフスキー、ムソルグスキーといった作曲家や、トルストイ、ドストエフスキーに代表される文豪は日本でよく知られていますが、美術の分野でも多くの才能を輩出しました。その美術界では19世紀後半にクラムスコイら若手画家によって組織された「移動派」グループが、制約の多い官製アカデミズムに反旗を翻し、ありのままの現実を正面から見据えて描くことをめざしていました。移動派の呼称は啓蒙的意図で美術展をロシア各地に移動巡回させたことによります。一方、モスクワ郊外アブラムツェヴォのマーモントフ邸に集まったクズネツォフ、レヴィタン、コローヴィンらの画家たちは、懐古的なロマンティシズムに溢れた作品を多く残しましたが、彼らと移動派には共に祖国に対する愛という共通点が見出せます。
自然だけでなく、ロシアの都会での暮らしにもさまざまな物語があります。
コローヴィンの描く《小舟にて》には、雑踏を逃れて二人の時間を過ごすカップルの様子が描かれていますが、何が起きているか、つまり愛を語っているのか別れの瀬戸際なのかは想像するしかないものの、緊張感溢れる画面からはドラマが展開していることが伝わってきます。そして暮らしの舞台となる都市そのものにも目をやると、伝統的な建築で彩られた都市風景には、グリツェンコの《イワン大帝の鐘楼からのモスクワの眺望》のように、日本人にとって遠い異国の情景としての魅力に溢れるものが多数あることがわかります。
なお、本展には名作《忘れえぬ
ロシアの風景を描いた作品とは別に、私たちをロマンティックな世界に誘う女性像。
中でもクラムスコイの名作《忘れえぬ
子どもを描いた作品がロマンティックというカテゴリーに入るかどうかは意見が分かれるところかもしませんが、子どもの世界に心の安らぎを覚え、特別な思いを寄せる人も多いのではないでしょうか。
本展にはそんな子どもたちの様子を身近な生活の中に描き出した秀作が充実しています。可愛らしい子どもたちの絵の中で、例えばコマロフの描く《ワーリャ・ホダセーヴィチの肖像》に登場する幼い少女の姿は、子どもの世界にも奥深い内面的なものがあることを証明しています。同様にヴィノグラードフの《家で》と題された作品では少女が広い室内で独りたたずむ姿が描かれ、何かの物語の始まりを予感させる重厚な作品となっています。他にも、子どもたちが遊ぶ様子を描いた作品も何点か出品され、童心に帰る児童文学コーナーさながらとなっています。
《忘れえぬ
白いドレスを纏った孤独な若い女性が、古い庭園で老樹の傍らのベンチに腰掛けています。彼女の姿は、月夜の詩情、その静けさや神秘と調和し、一体化しています。彼女は誰かを待っているのか、あるいはただ物思いや回想に耽っているのでしょうか―。彼女がこの問いに答えることは永遠にありません。つまりこの作品のイメージを創造した画家にとって、また鑑賞者にとって、彼女は、人間の心の中にあり、時には自然界にも現れる語り尽くされないものとして、空想、夢、詩の化身であり続けるからなのです。
作者のクラムスコイが本作の女性像を描くにあたって、最初にモデルとなったのは、後に著名な科学者ドミトリー・メンデレーエフの妻となった芸術アカデミーの若い生徒アンナ・ポポーワでした。しかし、作品が完成に近づいた時、絵の入手を決意したトレチャコフ美術館創設者の弟セルゲイ・トレチャコフは、画家に、絵の中の女性に自分の妻の面影を与えてほしいと依頼したといいます。