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おすすめ作品解説

アートでなければ本物のだまし絵ではない!

巷では相変わらず「びっくりアート」の類が見世物として人気を博し、一方ではCGアートがテレビCMや映画で多用され、多少のことではびっくりしない環境が日常化している昨今。だまし絵と呼ばれるもののなかで一流の美術作品だけが、観る者に真の感動、感銘を与えることができる。そしてそれは、この分野が確立した16世紀ごろから今日まで、そしてこの先も変わらぬ事実ではないだろうか。そしてその創始者の一人が、奇才ジュゼッペ・アルチンボルド(1527-1593)である。
 ミラノ出身のこの画家は、神聖ローマ帝国の皇帝を出したハプスブルク家に仕えた宮廷画家であり、動物や野菜果物など様々な物を組み合わせて人物像を生み出したことで知られており、この道の元祖である。だまし絵という観点からは、ダブルイメージというカテゴリーに分類される。つまり、ある絵の中に別の絵が潜んでいるという構造を取る作品で、指摘されなければすぐに分からない場合と、本展の出品作の《司書》のように、確信犯的に構成物が分かる場合がある。そして後者では、それが分かるところに面白味があり、作者の意図が隠されている。
 ここに描かれているのは画家が仕えた皇帝マクシミリアン2世の周辺の人物で、1554年に宮廷の歴史を記録する修史官に皇帝から任命されたウォルフガング・ラツィウスという博学の人物であろうと言われている。彼は皇帝の美術品収集室の責任者でもあり、皇帝の古銭コレクションや図書館も取り仕切っていた。要するに本はこの人物の象徴なのである。実際当時、司書は知識偏重あるいは主知主義に対する風刺を象徴的に表す図像であったという。この人物、躯体と頭部は積んだ本、髪(あるいは帽子)は開いた本、目は鍵の輪、耳は本を閉じる紐、髭ははたき、そして指は本のしおりで、謂わば本の虫である。そして実際、ラツィウスは非常に多くの文章を残したが、批判精神に欠けると当時から言われていた。アルチンボルドは宮廷でラツィウスが陰で嘲笑されていることを、この作品を通じて表現したのだが、ウォルフガング・ラツィウスの肖像と題されているわけではなく、むしろ皇帝はそんなアルチンボルドの姿勢を面白がったにちがいない。なお、カーテンがマントになっている点は、同じくカーテンの巧みに取り入れた他の技巧的なだまし絵との接点を感じさせる作品である。


会場で体験しないと分からない、実際に見ないと分からない面白さ

2009年、好評を博した「だまし絵展」の会場で妙な人だかりのできる作品があった。人々が作品の前で体を左右に振ったり、上下に動かしたりして観賞しているのである。これはイギリスの現代作家パトリック・ヒューズ(1939年~)がヴェネチアの景観を題材にした作品で、今回のだまし絵Ⅱには日本の観衆を意識して制作された意欲作が展示される。
 そこにはリバースペクティヴ(revers逆+perspective奥行)という考え方が応用されている。ヒューズはそれを次のように語っている。「リバースペクティヴとは三次元絵画であり、正面から見ると最初は奥行のある平らな表面を目にしているような印象を与える。ところが観る者がわずかでも頭を動かすと、奥行のある眺望を維持していた三次元の表面は像の深みを強調し、脳が通常許す以上に流動的な奥行感を与える。このことが人を戸惑わせるほどの強烈な印象をもつ深さと動きを生み出すのである。この幻影は表面の凹凸とは逆の眺望を描くことによって可能となる。つまり、絵画のなかで最も遠くにはめ込まれた断片が、その場面から最も離れた部分に描かれるのである」。「最も離れた部分」とはすなわち、画面から、つまり作品が掛けられた壁から最も突出した部分ということであり、画面に張り付けられたピラミッドの頂点ということなのである。
 パトリック・ヒューズは視覚的なパロドックスやジョークを扱った作品を1960年代からロンドンを拠点に発表してきた作家で、リバースペクティヴの作品は1990年代から本格的に制作している。本展にはさらに別の応用例も出品されるが、リバースペクティヴの原点の一つには第二次世界大戦中の体験があるという。少年はドイツ軍から身を隠すために、母と家の階段の裏に身を潜めていたとき、裏から見た「登れない階段」がそこにあった。彼は自分の作品はそれに似ているという。
 また一方で、自分の作品はある意味でキネティックアート(動く芸術作品)だという。その場合、動力は電気などではなく、観る者がモーターになって作品を動かす。確かにこちらが動くことで彼の作品は生命を得るといった感がある。しかも実際に作品を動きながら観ると、そのスピード感に圧倒される。さあ、あとは会場で作品を体験するしかないだろう!

ザ・ミュージアム、チーフ・キュレーター 宮澤政男