展覧会のみどころ

キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展
―――200年の時を超えて咲き誇る美しき太平洋の花

科学的発見を目指した太平洋への航海

参考図版:オーストラリア国立海事博物館所有の、クックやバンクスが探検航海の際に乗船したエンデヴァー号のレプリカ
Courtesy Australian National Maritime Museum

1768年8月26日、ジェームズ・クック(1728-79)を艦長とするエンデヴァー号は、タヒチ島での金星の太陽面通過の観測のため、イギリスのプリマス港から太平洋へ出帆した。約3年にも渡る、波乱に満ちたキャプテン・クック第一回太平洋探検航海の始まりである。
エンデヴァー号の約90名からなる船員の中には、水平、海兵隊員、船大工、鍛冶屋、医師、料理番のほか、動植物などの自然科学的調査を目的とした科学班数名が含まれていた。のちに豪華植物図譜『バンクス花譜集』の出版を企画することになるロンドン王立協会の若き会員ジョゼフ・バンクス(1743-1820)は、この科学班のリーダーとして、植物学者ダニエル・ソランダー(1733-82)や動植物を記録するための画家シドニー・パーキンソン(1745頃-71)らを参加させ、この航海で出会う膨大な数の未知の植物の採集と記録に臨んだ。
野心に満ちた彼らを乗せたエンデヴァー号は、南米を経由したのち、多くの自然科学的・民族学的出会いが待ちうける太平洋へと航路を取ることになる。本展覧会は、この探検航海で描かれたパーキンソンのドローイングをもとに製作された『バンクス花譜集』を、タヒチ島を中心としたソサエティ・アイランズ、ニュージーランド、オーストラリア、ジャワの4つの滞在地に分けてご紹介することで、クックたちの太平洋における探検航海を追体験していただく試みである。

第1章:ソサエティ・アイランズ―金星観測の成功

《テスペシア・ポプルネア》
『バンクス花譜集』より(ソサエティ・アイランズ)
エングレーヴィング Bunkamuraザ・ミュージアム収蔵

太平洋での最初の寄港地であるソサエティ・アイランズは、タヒチ島を主島とするポリネシアの群島である。先住民たちの大歓迎を受けたクックたちは、この温暖な気候のソサエティ・アイランズに4カ月間弱も滞在し、1769年6月3日には、航海の第一の目的であった金星の太陽面通過の観測に成功している。
それぞれの寄港地で、バンクスやソランダーは記録に値すると判断した植物を船に持ち帰り、パーキンソンがそれらをドローイングに起こした。バンクスたちはパーキンソンとともにテーブルを囲み、描き方を指導したりしながら、暗くなるまで記録を行ったという。航海が進むにつれ、パーキンソンはより多くの枚数を描くことを優先し、全ての作品を仕上げることはできなくなるが、《テスペシア・ポプルネア》に代表されるソサエティ・アイランズの植物を描いた作品は、そのほとんどがパーキンソン自身によって仕上げられている。

第2章 ニュージーランド―勇ましき戦士たちの島

《グレイケニア・ディカルパ》
『バンクス花譜集』より(ニュージーランド)
エングレーヴィング Bunkamuraザ・ミュージアム収蔵

ニュージーランドは既にオランダ人のタスマンによって「発見」されていたが、ヨーロッパ人で初めて上陸し、その詳しい地図を描き上げたのはクックであった。タスマンらはニュージーランドの先住民であるマオリが敵意をむき出しにしてきたため上陸を試みなかったという。クックが上陸した際にもマオリたちとの間に幾度かの小競り合いが起こってしまったが、バンクスはマオリたちを「勇敢で身だしなみが良く、活動的である」と評し、また彼らの彫刻技術の高さについても褒め称えている。
パーキンソンはニュージーランドにおいて《グレイケニア・ディカルパ》に見られるようなシダ類を多く含む200点以上の植物を描き、『バンクス花譜集』には184点もが採用されている。

第3章 オーストラリア―花咲ける太平洋

《バンクシア・セラータ》
『バンクス花譜集』より(オーストラリア)
エングレーヴィング Bunkamuraザ・ミュージアム収蔵

イギリスを出港してから約1年8カ月後、クックたちは当時ニュー・ホランドと呼ばれていたオーストラリアの東海岸をヨーロッパ人で初めて発見することとなる。現在のシドニー近くの湾に上陸した一行は、西洋人として初めてオーストラリアの先住民であるアボリジニと接触を持つが、これは近代オーストラリアの幕開けとなる歴史的瞬間であった。
この湾では多くの新種の植物が発見されたため、クックはこの場所をボタニー・ベイ(植物学湾)と名付けた。『バンクス花譜集』には、ここで描かれた80種以上の植物が採用されている。なかでもバンクス自身の名前を冠することになったバンクシアは現在オーストラリアを代表する植物として知られており、《バンクシア・セラータ》は『バンクス花譜集』の中でも最も完成度の高い作品の一つである。

《デプランケア・テトラピュラ》
『バンクス花譜集』より(オーストラリア)
エングレーヴィング Bunkamuraザ・ミュージアム収蔵

その後、グレート・バリア・リーフを北上していたエンデヴァー号はサンゴ礁に乗り上げて船底を破損してしまい、船の修理のため、クックがエンデヴァー・リヴァーと命名した川の河口に滞在する。数週間に及ぶ船の修理期間中、一行はカンガルーなどの動物や多くの新種の植物に出会い、パーキンソンがこの地で描いたドローイングの中からは、《デプランケア・テトラピュラ》など相当数が『バンクス花譜集』に採用されている。また、『バンクス花譜集』の半数近くをオーストラリアの植物が占めていることから、オーストラリアでいかに多くの植物学的発見があったかを知ることができる。

第4章 ジャワ―パーキンソン最期の地

《クレロデンドルム・パニクラートゥム》
『バンクス花譜集』より(ジャワ)
エングレーヴィング Bunkamuraザ・ミュージアム収蔵

オーストラリアを出発後、一行は当時オランダ領であったジャワ島に向かった。ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)には東インド会社の首府が置かれていたが、ひどく衛生状態が悪かったため、マラリア等にかかって多くのメンバーが命を落とすことになる。滞在中には7名が死去、ジャワから喜望峰への航海中に31名もが亡くなってしまうが、ここにはまだ20代半ばであった画家パーキンソンも含まれていた。
パーキンソンは、その最期の寄港地となってしまったジャワでも72点の植物のドローイングを残しており、《クレロデンドルム・パニクラートゥム》など、その中から30点が『バンクス花譜集』に採用されている。

凱旋帰国―『バンクス花譜集』の出版へ

参考図版:ベンジャミン・ウエスト《ジョゼフ・バンクス卿》
1771-72年 油彩・キャンヴァス ウーシャーギャラリー、リンカンシャー蔵
The Collection: Art and Archaeology in Lincolnshire(Usher Gallery, Lincoln)

喜望峰を経由し、エンデヴァー号が英国に帰還したのは1771年7月12日のことで、出発してから2年と11カ月が経過していた。その間、三分の一以上の船員が事故や病気などで命を落としている。バンクスとソランダーは、クックとともに無事に帰国し、その航海中の研究は大きな反響を呼んだ。実際、バンクスたちは夥しい数の動植物の標本や、パーキンソンらによる動植物や先住民を描いた多数のドローイング、滞在地の民族資料なども持ち帰っており、この航海による科学的・民族学的成果はたいへんなものであった。

実り豊かな植物学的成果を発表するため、バンクスは帰国後すぐにパーキンソンのドローイングを元に多色刷りの豪華植物図譜の発行を企画し、多くの時間と労力をかけ、莫大な資金を投じて出版作業を進めた。だが彫版まではこぎつけたものの、バンクス自身の多忙やソランダーの他界、資金の欠如などにより、バンクスの生前に図譜が発行されることはなかった。波乱に満ちた航海から200年以上ものち、大英博物館(自然史部門)に保管されていたバンクスの遺した銅版を用い、1980年代になってようやく100部限定で出版されたのが『バンクス花譜集』である。
本展覧会では、『バンクス花譜集』(全743点)から120点を厳選してご紹介するとともに、太平洋地域の民族資料、航海道具、古地図、関連書籍などを併せて展示する。『バンクス花譜集』の芸術的魅力はもちろんのこと、これらの資料を通して、クックやバンクスたちの発見と驚きに満ちた航海のドラマについても知ることのできる貴重な機会となるだろう。

《戦闘用カヌー(模型)》 ニュージーランド、マオリ 国立民族学博物館蔵

《釣針》 真珠母貝 フランス領ポリネシア、ソサエティ・アイランズ 国立民族博物館蔵

《ペンダント「ティキ」》 ニュージーランド、マオリ 翡翠 アフリカンアートミュージアム蔵

《バーニヤ式六分儀》 1900年代 Ainsley社製 東京海洋大学百周年記念資料館蔵