はじめての寺山修司
文化芸術への興味が芽生え、まずは耳にしたことがあるアーティストたちの作品に触れてみたいけど、何からどう体験すればいいか分からない──。そんなふうに迷っている方たちが“はじめの一歩”を踏み出すための案内役となる「はじめてシリーズ」。第9回は、詩・短歌・俳句・戯曲など幅広い分野で執筆活動を展開し、昭和の文学・芸術シーンを華々しく駆け抜けた寺山修司です。彼の太く短かった生涯と、いつの時代も若者の共感を集めてやまないテラヤマ・ワールドの魅力に迫ります。
多面的な執筆活動で時代を疾走した「職業、寺山修司」
寺山修司は1935年に青森県で警察官の息子として誕生。9歳の時に青森大空襲で焼け出されて父の実家の三沢に転居しますが、父が戦死し母が九州へ働きに出るようになったため、映画館を営む母方の青森の親戚宅に預けられます。学生時代の寺山は青森高校文芸部に所属して俳句、短歌などに熱中し、文芸誌を発行したり新聞・雑誌への投稿を繰り返しました。1954年には早稲田大学教育学部国語国文学科に入学し、サークル「早稲田詩人」に入部。50首の短歌を詠んだ『チェホフ祭』で短歌研究新人賞特選を受賞し、伝統的な短歌に物語性や現代的な感覚を持ち込む“新世代の歌人”として頭角を現します。
腎臓の難病ネフローゼによる数年間もの闘病生活を経て1959年に発表したラジオドラマ『中村一郎』が民放祭大賞を受賞し、シナリオライターとして創作活動をスタート。それからテレビドラマ、映画、演劇へと表現の場を広げ、1967年には当時妻だった女優の九條映子や横尾忠則らと共に演劇実験室「天井棧敷」を設立しました。寺山は旗揚げ公演『青森県のせむし男』のように見世物的な要素を演劇に取り入れたり、劇場から飛び出して都市そのものを演劇化した市街劇を上演するなど、既存の枠組みにとらわれないアイデアを前面に出した前衛的な活動を通じてアングラ演劇ブームを牽引。海外公演も積極的に行い、演劇界の革命児として国内外で名声を広めたのです。また1974年には自らの歌集を基に映画『田園に死す』を監督・脚本し、文化庁芸術祭奨励新人賞、芸術選奨新人賞を受賞しました。
20代でネフローゼを発症して以来、寺山は死の恐怖と隣り合わせの病身でありながら、1983年に47歳という若さでこの世を去る直前まで精力的に執筆活動を続けました。その範囲は詩、俳句、短歌、小説、戯曲、映画からボクシングや競馬の評論・エッセイ、写真、など多くの領域にわたるものだったため、自らを「職業、寺山修司」と称していました。
若者の共感を集める普遍的なテラヤマ・ワールド
寺山が亡くなってから40年以上経ちますが、彼が手がけた戯曲の再公演や過去作の再評価は絶えることがありません。Bunkamuraシアターコクーンでも過去に処女戯曲『血は立ったまま眠っている』や『あゝ、荒野』、音楽劇『靑い種子は太陽のなかにある』(オーチャードホール)を上演し、2026年10月には寺山がたった1回の公演のために書き下ろした幻の戯曲を基にしたミュージカル『獅子 THE LION-BEAT』をTHEATER MILANO-Zaで上演します。
寺山が残した作品は幅広い世代に愛されていますが、とりわけ若者の支持を集めています。その要因として、人間の欲望を肯定する「反道徳」を寺山が己の芸術的・思想的スタイルとして確立し、既存の価値観を否定するとともに個人が自由な主体性を持つことを訴えたことが挙げられます。たとえば『家出のすすめ』では「同世代のすべての若者はすべからく一度は家出をすべし」と書き、『書を捨てよ、町へ出よう』では本に書かれた既存の知識に頼らず自ら体験することの重要性を訴えています。また、底辺で生きる若者の怒りや葛藤を描いた戯曲『血は立ったまま眠っている』や、ボクシングを通じて若者の深い孤独と魂の叫びを描いた小説『あゝ、荒野』のように、旧来的な権威や体制に反発し「自分とは何か」を模索する多感な若者への共感や応援のメッセージも込めています。
寺山は既存の価値観を打破する前衛性を独自のスタイルとする一方、「言葉の錬金術師」と呼ばれるほど心に残る言葉でも若者たちの共感を集めました。一見すると抽象的であるものの日本語として美しく、そして人間の不満や社会の不安を鋭く突いた言葉は普遍的な力強さを放ち、寺山と同じ時代を生きた人のみならず、混迷する現代において孤独や閉塞感に悩む若者にも鋭く刺さります。
こうした寺山の言葉が持つ力強さは、彼が最初に歌人として活動をスタートしたことが大きく影響しています。短い言葉で自分の想いを表現する必要がある俳句や短歌において、寺山は言葉をそぎ落としながらキレのある文体と表現に磨きをかけました。その才覚は戯曲の短い台詞にも発揮され、時代を経ても観客の心を揺さぶります。
“存在自体が事件”と言えるスキャンダリスト
前衛的かつ革命的な表現活動で時代をリードした寺山は、常に時代を読みながら自分が面白いと思える新しいことを仕掛け、幾度も世間を騒がせました。
1970年に漫画『あしたのジョー』で主人公のライバル・力石徹が亡くなると、寺山は葬儀委員長となって力石の葬儀を企画。特設リングを組んだ会場には力石の遺影が飾られ、本物のお坊さんがお経を読み上げたり数百人のファンがお焼香をするなど、本物さながらの葬儀を行いました。また、1975年には杉並区一帯30箇所で30時間続けて上演する市街劇『ノック』を上演。観客を参加させたり、銭湯や公園、団地などでゲリラ的に敢行したため街は虚構と現実がないまぜになり、住民の苦情を受けた警察により寺山は劇をを余儀なく中断され、まさに、「事件」となったのです。
時代を経ても色あせることのない言葉の力で、若者を中心とする幅広い世代に長きにわたって愛されるテラヤマ・ワールド。さまざまな表現媒体の作品を通じてその魅力に触れ、言葉の断片から力強いメッセージを感じ取ってみませんか。
協力:テラヤマ・ワールド
〈寺山修司の作品が鑑賞できるおすすめ公演〉
Bunkamura Production 2026
ミュージカル『獅子 THE LION-BEAT』
2026/10/4(日)~10/20(火)
会場:THEATER MILANO-Za (東急歌舞伎町タワー6階)

