はじめてのベートーヴェン
文化芸術への興味が芽生え、まずは耳にしたことがあるアーティストたちの作品に触れてみたいけど、何からどう体験すればいいか分からない──。そんなふうに迷っている方たちが“はじめの一歩”を踏み出すための案内役となる「はじめてシリーズ」。第6回は、古典派を代表する作曲家であり、クラシック音楽の世界で屈指の知名度と人気を誇るルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです。波乱に満ちた生涯と創作の軌跡を振り返りながら、彼が手がけた楽曲の特徴や魅力について迫ります。
難聴に負けず古典派を代表する名曲を数多く創造
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1770年12月16日、ドイツ中西部のボンで誕生。テノール歌手だった父から音楽の手ほどきを受け、弱冠7歳でクラヴィーア(鍵盤楽器)の演奏会を開催したり11歳で自作の楽曲を発表するなど、早くから楽才を発揮しました。1792年には作曲家ハイドンの弟子として認められウィーンに移住。演奏家として活躍する一方で創作活動にも取り組み、1795年に最初のピアノ協奏曲を完成して自らの独奏で初演。1800年には交響曲第1番を完成させ、その後も順調に作品を発表していきました。
そんなベートーヴェンに大きな試練が訪れます。20代後半から始まった聴覚障害が、日常生活に支障をきたすほど悪化していったのです。一度は自殺を考えて遺書まで書きましたが、芸術家としての使命を果たそうと決意。1804年に交響曲第3番《英雄》を発表したのを皮切りに、約10年間のうちに交響曲第4~8番、ピアノ協奏曲第4・5番、ヴァイオリン協奏曲、ピアノソナタ第21~27番など幅広いジャンルで傑作を生み出しました。このように古典派を代表する名曲が集中していることから、ベートーヴェンの活動中期は「傑作の森」とも呼ばれています(命名者は文豪ロマン・ロラン)。
40代になるとベートーヴェンの耳はほぼ聞こえなくなりましたが、創作意欲は晩年まで枯れることはありませんでした。1824年の交響曲第9番《合唱付き》など当時の音楽の常識を覆す大作を完成させ、古典派とその後のロマン派の橋渡しとなる作曲家として前人未到の境地を切り開いたのです。そして1827年に、56年間の生涯に幕を閉じました。
なお、ベートーヴェンは生涯を独身で過ごしましたが、決して女性に関心がなかったわけではなく、むしろ“恋多き男”でした。しかし、『エリーゼのために』というピアノ曲のタイトルにもなったテレーゼ・マルファッティなど、相手の多くが貴族や名家の娘であったため結婚へ至ることがなかったのです。ちなみにベートーヴェンは1812年に「不滅の恋人」に宛てた情熱的な手紙を書いていますが、これも大富豪の妻アントーニエ・ブレンターノという説が有力です。
クラシック音楽のあり方を大きく変革した楽聖
ベートーヴェンの楽曲の魅力は、ソナタ形式など形式美を重んじる古典派音楽の特徴を踏まえた構成の明快さに加え、時に力強く時に穏やかな覚えやすいメロディで聴く人の感情を揺さぶる表現力の豊かさにあります。そんなベートーヴェンには「楽聖(音楽の聖人)」というニックネームが付けられていますが、それは彼の手がけた楽曲が素晴らしいからだけでなく、「ベートーヴェンの前と後でクラシック音楽は違うものになった」と言われるほど、従来のクラシック音楽のあり方を大きく塗り替えた改革者だからでもあります。
まずベートーヴェンは、作曲家の新しい生き方を切り開いた先駆者でした。18世紀当時の作曲家の多くは宮廷や教会に雇われ、雇い主の依頼に応じた曲作りを行って生計を立てていましたが、ベートーヴェンは貴族のサポートを受けつつフリーの音楽家として活動。経済的にも芸術的にも自立した作曲家として、自らの創作意欲に基づいて楽曲を生み出し続けたのです。
さまざまなジャンルで多くの名作を残したベートーヴェンにとって、特に創作の柱となったのが交響曲です。たった4つの音で構成した「ジャジャジャジャーン」のモチーフを全4楽章にわたって音程やリズムを変えながら刻み続ける交響曲第5番《運命》。全5楽章それぞれ標題をつけてそのテーマを音楽で表現し、ロマン派で花開いた標題音楽の先駆けとなった交響曲第6番《田園》。そして交響曲に初めて声楽を加えた交響曲第9番《合唱付き》。作品ごとに斬新なアイデアを盛り込みながら1作ずつ全身全霊で創作し、それまでハイドンやモーツァルトが職人仕事として量産していた交響曲を芸術的な深みのあるジャンルへと進化させたのです。なお、こうした愛称が楽曲に多く付けられているのもベートーヴェン作品の特徴。ほとんどは楽譜の出版社や弟子が付けたものですが、作品のイメージが湧きやすく、また馴染みやすくする役目を果たしています。
また、ベートーヴェンの音楽の魅力を知る上で欠かせないのが、生涯にわたって32作品残したピアノソナタです。ベートーヴェンが活動していた時代は、ピアノの性能が飛躍的に改良されていった時代と重なります。現代の標準的なピアノが7オクターブと3音(鍵盤が88個)であるのに対し、18世紀末までは5オクターブ(鍵盤が61個)しかありませんでしたが、19世紀以降から鍵盤の数が増えて音域も広がっていきました。そうした進化に合わせてベートーヴェンはピアノソナタ第21番《ワルトシュタイン》や第23番《熱情》など、その時々に使っていたピアノの音色の特徴や音域の広さを生かしたダイナミックな楽曲を次々と生み出し、ピアノによる音楽表現の可能性を広げていったのです。
交響曲第9番の演奏が年末の風物詩になった理由は?
そうした作曲家ベートーヴェンの革新の到達点と言える作品が、“第九”という愛称でも親しまれている交響曲第9番《合唱付き》です(2026年9月にオーチャードホールで開催する『務川慧悟×久末航 Pianos' Conversation 2026』にてリスト編曲による2台ピアノ版を演奏)。人類愛を訴えた詩人シラーの作品「歓喜に寄せて」に感銘を受けたベートーヴェンは、この詩に曲をつけたいと思い立ち、それまで楽器だけで演奏されていた交響曲に声楽を導入することを決意。トロンボーンや大太鼓も活用する大編成のオーケストラに合唱と声楽ソリストを迎え、壮大かつ崇高なメロディに乗せて歌い上げられる第4楽章の「歓喜の歌」は、そのメッセージ性と相まって心を揺さぶられずにいられません。
ところで、“第九”は年の瀬を迎えると頻繁に演奏されていますよね。その起源として諸説ありますが、この曲を年末に演奏する習慣が最初に始まったのはドイツとされています。第一次世界大戦が終わって平和を願う声が高まる中、1918年12月31日にライプツィヒで“第九”が演奏され、その後は名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が毎年大晦日に演奏し続けました。日本でも1938年から新交響楽団(現・NHK交響楽団)がほぼ毎年12月に演奏するようになり、さらに戦後には国内各地のオーケストラでも“第九”を12月公演のプログラムに加えていきました。戦後は「うたごえ運動」と呼ばれる音楽文化運動をきっかけにアマチュア合唱団の活動が各地で盛んになり、公演で“第九”を歌う合唱団の家族や知人がチケットを購入することで安定した収益を得られたと言われています。このようにオーケストラが安心して新年を迎えられるという興行面でのメリットも相まって、“年末の第九”が全国的に定着していったようです。
クラシック音楽を革新し、時代を経ても色あせない普遍的なメロディで今もなお世界中の人々を魅了するベートーヴェン。彼が音楽に注いだ情熱を、珠玉の名作を通じて感じ取ってみてください。

<ベートーヴェンの楽曲が聴けるおすすめ公演>
務川慧悟×久末航
Pianos’ Conversation 2026
2026年9月6日(日) 15:00開演
Bunkamuraオーチャードホール
