はじめてのワーグナー
文化芸術への興味が芽生え、まずは耳にしたことがあるアーティストたちの作品に触れてみたいけど、何からどう体験すればいいか分からない──。そんなふうに迷っている方たちが“はじめの一歩”を踏み出すための案内役となる「はじめてシリーズ」。第3回は、19世紀ドイツオペラの巨匠リヒャルト・ワーグナーです。彼がそれまでのオペラと異なるスタイルとして確立した「楽劇」の特徴と魅力、さらに私生活における型破りなエピソードなどに迫ります。
オペラ一筋の作曲家として数々の傑作を創造
リヒャルト・ワーグナーは1813年5月22日にドイツのライプツィヒで誕生しました。家族に俳優やオペラ歌手がいるという芸術的な環境で育ち、幼い頃は音楽よりも文学や演劇に興味を抱きましたが、ウェーバーのオペラやベートーヴェンの交響曲に感銘を受けて音楽家志望に転身。まずは独学で作曲を学び、教会音楽の指導者テオドール・ヴァインリヒから系統的に作曲技法を教わります。そして弱冠19歳で交響曲を作曲し、21歳で最初のオペラ『妖精』を完成。その後、ヨーロッパ各地の劇場で指揮者を歴任したり、小説や評論などの文筆活動によって生活費を稼ぎながら、オペラの作曲に本格的に取り組んでいきます。
1842年に自ら「大悲劇オペラ」と呼んだ『リエンツィ』を上演して評判を呼ぶと、その後の『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』では音楽だけでなく台本・美術・演出プランまで担当し、己の理想とするオペラを追求。そして1859年には当時のオペラの常識を覆す革命的な作品『トリスタンとイゾルデ』を完成(初演は1865年)し、「楽劇」という新しいジャンルを確立しました。
晩年にはバイエルン国王ルートヴィヒ2世から巨額の支援を受け、『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』という4つの作品からなる長大な楽劇『ニーベルングの指輪』を1874年に完成。さらに自らの作品だけを上演するバイロイト祝祭劇場も建設したのです(ちなみにこの劇場では現在もワーグナーの作品だけを上演する「バイロイト音楽祭」が毎年行われており、Bunkamuraが開業を迎えた1989年9月3日、オーチャードホールのオープニングを飾ったのは、この門外不出と言われていた「バイロイト音楽祭」の引っ越し公演で、『タンホイザー』が上演されました。)。そして『ニーベルングの指輪』全4部の初演から7年後の1883年、ワーグナーはヴェネツィアで心臓発作により69歳でこの世を去りました。
楽劇はワーグナーが作り上げた理想の総合芸術
ワーグナーが登場するまでオペラの制作は音楽と台本(物語の筋に加えて台詞=歌詞も含む)を分業するのが一般的でしたが、文筆家でもあったワーグナーは自らの作品において作曲だけでなく台本の執筆も手がけました。ワーグナーにとってオペラとは単に歌を聴かせるだけでなくドラマを表現するべきもので、そのためには言葉と音楽が渾然一体とならなければならないと考えたからです。
そんなワーグナーの作品は、制作された時期によって特徴が大きく異なります。まず初期は、ドイツのジングシュピール(歌わない地声の台詞が入るオペラ)の影響を受けた『妖精』、フランスのグランド・オペラ(歴史的題材を採用した大規模なオペラ)様式にのっとった『リエンツィ』など、伝統的なオペラの慣習に従っていました。中期に手がけた『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』では音楽と台本を高度に一体化させることに成功し、これらの作品をワーグナー自ら「ロマン的オペラ」と呼びました。そして後期の『トリスタンとイゾルデ』『ニーベルングの指輪』では、アリア(旋律的な独唱)とレチタティーヴォ(話すような独唱)の区別を曖昧にして音楽が途切れることなく続く「無限旋律」や、特定の登場人物や物事を同じメロディに結び付けて繰り返し展開する「ライトモチーフ」など斬新な技法を確立。この時代のワーグナー作品は「楽劇」に分類されています。
ところで、楽劇とオペラ(歌劇)にはどのような違いがあるのでしょう? ワーグナーが活動していた19世紀は、荒唐無稽な台本や歌手の美声を聴かせるためのアリアにあふれた大衆娯楽としてのオペラが数多く上演されていました。それに対してワーグナーは、音楽・文学・舞踊・造形芸術などを高度に融合した総合芸術としてのオペラを追求。大編成オーケストラの演奏による壮大な音響、半音階的な進行や不協和音を多用した複雑な和声、そして神話や伝説をモチーフにした深みのある普遍的な物語を特長とするワーグナーの作品は、大衆娯楽としてのオペラと区別する形で楽劇と呼ばれるようになったのです。
恋多き浪費家…ワーグナーは私生活も型破りだった
このようにクラシック音楽の世界において革新的な足跡を残したワーグナーですが、私生活においても型破りな逸話を多く残しています。ワーグナーは生涯を通じて浪費癖があり、借金をしてまで贅沢な暮らしを送っていました。そして借金取りに追い立てられると夜逃げするなど、借金を踏み倒し続けたのです。また、三月革命と呼ばれるドイツの市民蜂起に参加したせいで指名手配され、命からがらスイスに亡命したこともあります。
さらに、妻がいるにもかかわらずパトロンの夫人と恋愛関係に発展したり駆け落ちしようとしたり、友人である作曲家リストの娘で24歳も年下のコジマと不倫の末に再婚するなど、恋愛も波乱に満ちたものでした。一方で、許されない愛をテーマにした『トリスタンとイゾルデ』の創作にそうした恋愛沙汰を生かすなど、スキャンダルを芸の肥やしにするしたたかさも持ち合わせていたのです。
従来の形式にとらわれない自由な音楽表現と、観客を圧倒する壮大なスケールの世界観で今も昔も人々を魅了するワーグナー。彼が残した長大な作品にどっぷり浸り、より深い芸術体験を楽しんでみてはいかがでしょうか。
