辻 彩奈(ヴァイオリニスト)
“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語る「Bunka Baton」。今回は、2016年にモントリオール国際音楽コンクールで第1位を受賞して世界の注目を浴びて以来、国内外のオーケストラとの共演、ソロにアンサンブルにと多岐にわたって活躍しているヴァイオリニストの辻彩奈さんをフィーチャーします。
自分を表現できる手段がヴァイオリンしかなかった
卓越した音楽性はもちろんのこと、チャレンジ精神にあふれ、いつも明るく朗らかなキャラクターで音楽家仲間からの信頼もあつい辻彩奈さん。3歳からスズキメソードでヴァイオリンをはじめ、早くから才能を発揮してきましたが、意外にも子ども時代は人見知りだったそうです。
「小さい頃は人と話すのが本当に苦手で、ヴァイオリンのレッスンのときも先生に『こんにちは』『お願いします』『ありがとうございました』『さようなら』しか言えない子どもでした。年に1回、岐阜のサラマンカホールで発表会があって、そこで人前で弾けるのがとにかくうれしくて。自分を表現できる手段がヴァイオリンしかなかったのかもしれません」
小学校6年生のときに、全日本学生音楽コンクール小学校の部にて全国第1位を受賞。その頃から自発的にヴァイオリンと向き合うようになっていきました。
「同じコンクールをその前の年に受けたとき、同世代の子たちのレベルの高さを目の当たりにして衝撃を受けたんです。その年は残念な結果に終わって、ヴァイオリンではじめて悔しい思いをしました。絶対に次の年も受けようと思って、6年生のときに賞をいただくことができました」
人見知りの性格が変わったのは、高校入学を機に上京し、東京音楽大学付属高等学校に通うようになってから。
「高校時代は寮生活で、つねに2人か3人部屋で生活していたので、おのずと変わっていきましたね。人と一緒に生活するからには、自分のことはすべて自分で話して、伝えなきゃいけないんだって。ヴァイオリンだけやっていればいいわけではないことも学びました」

コロナ禍で挑んだ代役の演奏会
18歳のとき、モントリオール国際音楽コンクールで第1位に輝いたことは、辻さんにとって決定的な転機となる経験でした。もうひとつ、コロナ禍で来日がキャンセルとなった海外アーティストの代役を数多く務めたことも、自身にとって大きな経験になったと辻さんは語ります。
「演奏会のために留学先のパリから日本に帰ってきたタイミングで、コロナ禍による渡航禁止で出国できなくなってしまったんです。仕方ないので日本にいたところ、来日できなくなったヴァイオリニストの代役として、オーケストラの定期公演などへの出演の機会をいただくようになりました。あらかじめプログラムは決まっているので、まったく弾いたことのないような作品のオファーが、本番の1ヶ月ぐらい前にポンと届くわけです。『ちょっと楽譜を見てからお返事してもいいですか?』と言って、慌てて楽譜を探して、15分ぐらい眺めて……『よし、いこう』と。これだけの短時間で作品を仕上げたことはありませんでしたが、基本的にスケジュールが合わない場合以外はお断りしませんでした」
未知のことに対してもの怖じしないチャレンジ精神は、一体どこから湧いてくるのでしょう?
「どんなことでも面白いと思える性格ではあります。『やればできる!』と思ってしまうというか、たぶんちょっと負けず嫌いなんでしょうね。『できない』と思ってしまうのが悔しい。『ここで断るなんてありえなくない?』って」

そんな辻さんにとってもっとも思い出深いチャレンジは、マルタ・アルゲリッチとの共演だったといいます。
「2022年の6月に1回、11月に2回、フランクのヴァイオリン・ソナタをご一緒する機会をいただきました。アルゲリッチさんはあたたかく包み込んでくださるような方なんですが、もう、とにかく存在自体が大きすぎて。最初の6月の演奏会では『どんなふうに弾きたい?』と聞いてくださったのに、『いや、そんな私なんて……』と遠慮して、彼女の音楽にのまれてしまった感覚がありました。自分の音楽ができなかったなあって。はじめて音楽に対して遠慮したことに後悔しました。
それで、次の11月の演奏会ではリハーサルをしないで、いきなり本番で彼女にぶつかっていくことにしたんです。アルゲリッチさんとの共演は3回とも、イヴリー・ギトリスさんへのオマージュとして開催された演奏会だったんですが、ふたりが共演している録音を聴いてみたら、本当にステージ上で遊んでいるみたいで、こんなに自由に弾いていいんだって思いました。だから本番の空気感のなかで、彼女となにかを共有してみたかった。演奏が終わって袖に戻るとき、アルゲリッチさんに『楽しかった』って言っていただいたことは一生の宝物です」
自分が出す音にこだわりたい
着実にキャリアを積み上げながら多忙な日々を送る辻さんに、「音楽家としてこれだけは譲れないことは?」という質問を投げかけると、こんな答えが返ってきました。
「最近はとくに、『自分が出す音にこだわりたい』と思って演奏活動に取り組んでいます。音楽家によってさまざまなアプローチがある世界ではありますが、いちばん大切なのは、どれだけいい音が出せるか、自分自身が音にこだわることができるかだと思うようになりました。今はピラティスに取り組んでいて、自然な呼吸を心がけたり、インナーマッスルを強化しています。」

次回のBunkamuraオーチャードホールへの登場は、2026年1月2日の『ニューイヤーコンサート2026』。和田一樹指揮、東京フィルハーモニー交響楽団と、ブルッフの「スコットランド幻想曲」を共演します。
「子どもの頃にテレビで竹澤恭子さんが演奏しているのを見て、曲のことなどまったく知らなかったのに、『ああ、かっこいいな』って思ってからずっと好きな作品です。技巧的にかなり難易度が高い曲ですが、それを前面に出しすぎないキャラクターが好きです。郷愁や儚さを感じさせる美しいメロディを、ぜひ味わってみてください」
2026年の辻さんのさらなる活躍からも目が離せません。
取材・文:原典子

〈プロフィール〉
1997年岐阜県生まれ。東京音楽大学卒業。2016年モントリオール国際音楽コンクール第1位。モントリオール響、スイス・ロマンド管、トゥールーズ・キャピトル管、N響、読響、都響など国内外の主要オーケストラと共演している。2018年「第28回出光音楽賞」、2023年「第24回ホテルオークラ音楽賞」を受賞。小林健次、矢口十詩子、中澤きみ子、小栗まち絵、原田幸一郎、レジス・パスキエの各氏に師事。2019年 ジョナサン・ノット指揮/スイス・ロマンド管ツアーを実施。2020年 自らが権代敦彦に委嘱した「Post Festum」を、2024年 愛知室内オーケストラにて「権代敦彦:時と永遠を結ぶ絃 ~ヴァイオリンとオーケストラのための(第72回尾高賞受賞)」を世界初演している。使用楽器は、宗次コレクションより貸与のJoannes Baptista Guadagnini 1748である。
※辻 は1点しんにょうが正式
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〈公演情報〉
東京フィルハーモニー交響楽団
ニューイヤーコンサート2026
~どこかで出会った、あのメロディ~
2026/1/2(金)、3(土) ※1/2出演
Bunkamuraオーチャードホール
