ミュージアム開放宣言ミュージアム・ギャザリング ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

今月のゲスト:篠原俊之さん@「レオナール・フジタ展」


『情報の風景、残る表現』


中根:4年前の東日本大震災以降、あらためて写真というメディアの"記録"するという側面がクローズアップされている気がするんですが、篠原さんは渋谷の日本写真芸術専門学校で講師をされていますよね、今の時代に生きる学生さんたちはどんなものを写真に収めようとしているんでしょうか。

篠原:今の十代の人たちにとって、写真というメディアは身近にあって当たり前だし、それ以上に、デジタルカメラでもスマートフォンでも、ちゃんと動画が撮れるようになりましたから、動画のワンシーンが静止画、みたいな感覚に近くなっていると思うんです。後、10年前ぐらいならまだ写真は紙にプリントするものという概念がいくらか残っていたと思うんですが、今やプリントするということがイメージしづらい。街のポスターや看板なんかも紙からモニターに置き換わっていますよね。写真が好きといっても、SNSを中心に活動している人たちには、プリンタはほとんど必要ない。だから、写真が社会とどういう風に絡んでいくのかというのは、今の十代の人たちにとってイメージしにくいんじゃないでしょうか。

中根:僕は同じ校舎のデザイン校の方で講師をやっているので、学園祭などで写真校の人たちのポートフォリオを拝見することも多いんですが、社会的で大きなテーマというより、一番身近な"家族"をモチーフにした作品が増えてきている気がするんですね。もちろん最も近くて大切なテーマに違いありませんし、みなさん、撮り方や見せ方を工夫されていて素晴らしい作品が多いんですが、写真という表現を専門的に学ぶ人たちのテーマとして、安易と言えなくもない。やっぱり身体を移動させるってことが大事だと思うんですよ、結局写真は、目の前の世界をどう切り取るかということでしょうから。

篠原:一枚の写真を撮る作業は一瞬で終わりますからね。絵の場合はずっと画面と向き合ったり、一度書いたものを消してまた描いたり、そういった作業の繰り返しの積み上げがあるじゃないですか。たった一枚だけ撮った写真が多くの人の心に響くというのはほぼないと思うんです。だから、とにかく撮る、そしてそれを見る、その繰り返しの中から、自分がいったい何を撮りたいのか、何を見せたいのか、何を残したいのかに迫っていくしかない。今はデジタルカメラでそれがやりやすいわけですから。特に若い人たちには、たくさん撮るということ、それを見るということを繰り返してもらいたい。その作業の中で、自分の考えを深めていって欲しいですね。

中根:今日は距離の話も出ましたけど、正に写真って被写体との"距離"が大事ですよね。インターネットによって、人と人とのつながり方が変わってしまい、良くも悪くも距離の遠近に関係なく容易につながることができるようになりました。でも、他者を撮るというときに、相手の存在や心の深いところまで飛び込もうとすると、やはり人間関係を築かなければならないし、それにはある程度の時間はかかりますよね。

海老沢:今、美術館も広報のメディアとして動画やSNSを活用することが多くなりましたし、展覧会によっては、写真撮影がOKだったり、そういうスポットを用意したりする企画もあります。でも、情報はすべて出せばいいというものでもないし、やはり現場で見ていただくことが一番大事なので、展覧会の情報の出し方がどんどん難しくなっているように感じます。

篠原:本当に、今は黙っていてもさまざまな情報が飛び込んできますから、受け取る側が考えて取捨選択しないといけない。うちのギャラリーでもSNSを使っていて、それを利用して情報を拡散してくださるのはありがたいんですが、あまりに多くの情報を受け取りすぎると、展示を見る前にすべて理解してしまったような錯覚を起こす危険があると思います。会場で実際に作品を見るということは、決して答え合わせではなく、そこには新しい出会いや感動があるはずです。

海老沢:まさにおっしゃる通りだと思います。私たちも、展覧会情報として、サイト上でさまざまな静止画や動画などのデータを発信していますが、それだけをご覧になって展覧会のイメージを固めてしまってはもったいないと思います。展覧会情報はあくまでも概要や見所をお伝えするものですから、実際に会場で作品をご覧になったときに、想像していたものとギャップがあったとしても、必ず新しい発見があると思うんです。

中根:美術館で展示されるのは、もちろん時代を超えて残ってきた作品ばかりですし、篠原さんのギャラリーでも、作家さんや、場合によっては篠原さんが介在して、しっかりディレクションされた作品を展示されているわけですから、後は見る側がそれをどう受け止めるか、どう楽しむか、ということですよね。

篠原:今の時代は展覧会にしても何にしても、100%面白いということが求められている気がします。雑誌や書籍など、紙媒体のメディアが情報発信の中心だった時代は、少ない情報の中で何を見るかを判断していたので、そういう前提はあまり無かった。面白いかどうかは自分が決める、ということだったし、好き嫌いはあるから、自分に合わないものもあるかもしれないけれど、そういう表現に触れることもそれはそれで豊かなことですよね。

中根:自分に合わないものに触れると言うことも、感性を磨くという意味では絶対必要。情報の量も人とのつながりの数もここ数年で飛躍的に広がりました。だからこそ本質を見失わないことが大事だと思うんです。このミュージアム・ギャザリングも前に篠原さんにゲストで来ていただいてから10年、スタートからは13年経ちました。でもここでやっていることは展覧会に来ていただいて作品を見ていただくこと。そして、私たちスタッフと一緒に雑談していただくこと。これだけ。シンプルなんですが、結局それが一番強いと思いますし、だからこそ続いているんだとも思います。

篠原:今日、展覧会を拝見して、作家が作品に想いを込めるとき、やはり愛着のあるものを残しているんだということを改めて感じました。そもそも何かを表現したい、人に見せたいというのはそこから始まるわけで、それは絵でも写真でも同じ。一番シンプルな衝動ですよね。どの作品からもそれが伝わってきて、素直にいいなって思いました。やっぱりこうでなくっちゃ(笑)。写真論や芸術論を語るような人たちだけに向けてではなく、まだ会ったことのない誰かに対して何かを見せたいという想い、やっぱりそれが表現の根っこに無ければいけないと思いますね。

  編集後記
 
 

前回のギャザリングから2年くらい間が空いてしまい、久しぶりにギャザリングやりましょう!というお話を中根さんとさせていただいた際、「風景画」というテーマをぜひ写真家の目線から語れる人をゲストにという方向になり、であれば2005年に『地球を生きる子どもたち』という写真展でギャザリングゲストに来てくださった篠原さんに10年ぶりにご登場いただき、せっかくなのでギャザリングの振り返りもしましょうという 経緯でギャザリング復活!と相成りました。
久しぶりのギャザリングで、この10年のメディアや社会の変遷の話にもなりましたが、10年経ってもギャザリングの手法(集まって話をしてテープをおこしてホームページに採録する)って古くならないねという結論に達し、今回を機にまた継続してギャザリングを行っていこうということになりましたので、みなさまどうぞよろしくお願いします!

海老沢(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

前へ


ページトップへ
Presented by The Bunkamura Museum of Art / Copyright (C) TOKYU BUNKAMURA, Inc. All Rights Reserved.