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今月のゲスト:福田里香さん@「レオナール・フジタ展」


『フジタという生き方』


高山:今回の展覧会の見所のひとつでもある「小さな職人たち」のシリーズはいかがでしたでしょうか。

福田:これもすごい迫力でしたね。そもそも展覧会全体でもこのシリーズは20点ぐらいかなと思っていたんですけど、こんなにあるとは。これだけの数が描けるのは、ただパリの街に住んでいるだけではなくて、目に入る仕事に相当気を配っていたということですよね。生活者としての目がいいんでしょうね。絵を描く人には、記憶が映像で残るタイプの人が多いんですけど、きっとフジタもそうだったのかなって。

宮澤:肉屋さんとか、パン屋さんとか、普段見られるものはわかるけれども、そうじゃないものも描いているのが面白いですよね。でも基本的には見ないと描けないわけですから、わざわざ観察に行ったんでしょうね。

福田:例えば煙突掃除夫なんかも、街で作業を見かけたとしても、実際本当に頭の中に入っているかどうかは別ですよね。使っている工具、洋服の形や色、履いているもの、手袋の有無とか。ひとつの職業でもそうやってしっかり見ないと残らないのに、これだけの数を描くことがすごい。

高山:この当時すでに消えつつある職人たちを描いたというのが藤田のフランスへのオマージュということなんですよね。内呂さんが先日のTV「美の巨人たち」のインタビューでお話されていたように、フジタが、戦争画を描いたことへの批判とか、いろんなことを経た後に子供のシリーズを描きはじめたというのは、純粋に楽しみとして描いている部分もあるんじゃないかと。その楽しさが伝わってくる作品ですよね。ですから、もちろん制作にあたってはしっかりと観察したと思いますが、綿密にデッサンを重ねたというよりも、結構自由に楽しみながら描いたんじゃないかと思います。

内呂:まあ、墨とか木炭で最低一回は下書きをやっていると思うんですが、そこからすぐに油絵で起こしているんじゃないでしょうか。そうでないと、これだけの数は描けないですよね。

福田:これが日本の風俗画としても有名な職人尽し絵から来ていると言う説明がありましたけど、なるほどって思いました。とにかくいろんな職業や場面が頭にしっかり入っているってことなんでしょうね。私もお菓子を描けっていわれたら上手く描けると思いますが、車を描けといわれたら全然ダメ(笑)。これが男の子だと、おそらく逆。やっぱり人間って、自分の興味のあるものしか描けないと思うんですね。だからフジタの観察眼はすごいし、興味の範囲が全方位的なんでしょうね。私たちの想像以上に広い。

内呂:このシリーズは、旅行中にも何枚か描いていますから、何も見ないで想像だけで描いたものもあるかもしれませんね。職業じゃないものもありますし。

橋爪:続けているうちに、だんだんと自分で自分にお題を出すような感じになってきたのでしょうか(笑)。で、これを飾っていた壁を絶対埋めてやる、みたいな。

福田: 間違いなく途中から、描いている本人がすごく楽しくなって来ている感じはありますよね(笑)。それはとても伝わってきます。もう止まらない、みたいな(笑)。そこがかわいいですね。
乳白色のシリーズにしても、最初に見た時は、あの線の細さ、少なさであれだけの大きなキャンバスを支配して、絵として成立するというのが本当にショックでした。面相筆一本でここまでできるんだと。80年代初頭、美大生だった私が衝撃を受けた芸術家は、草間彌生とフジタの二人なんです。日本人のアーティストで、アメリカで通用したのが草間彌生、フランスで通用したのがフジタ。それだけ大きな存在でしたね。草間彌生は作品も生き方も強烈ですが、フジタはそれに比べるとチャーミングですよね。でも、絵にかわいらしさがあっても、イラストレーションにはなっていない。やはりファインアートなんです。面相筆の絵に衝撃に受けた当時は、平面的な空間の捉え方がうまい人だと思っていたけれど、今回の作品を見ていると、本当は立体的なものの捉え方ができる人なんだなって。マケットも本当にセンスがいいですよね。かわいらしく精密に作られているだけじゃなくて、この家に住みたい、って思わせるツボを押さえている(笑)。

内呂:フジタの絵には、繊細さや精密さだけではなくて、線や色にものすごく力がありますよね。古いものも好きだし、一方で新しいものも好きだったようで、ライカのカメラなんかは出た途端に購入していますから(笑)。

福田:ちなみに今回展示されているフジタ作品の中で、内呂さんの一番お好きな絵はどれですか。

内呂:特に好きなのは、狐の一家の饗宴を描いた《ラ・フォンテーヌ頌》ですね。実は、僕は画面の一番右にいるメガネをかけた狐がフジタ自身なんじゃないかと思うんです。ここはたぶんフジタの家なんですよ、鍵を持っていますしね。

福田:ああ、なるほど。そういわれてみれば本当にそうですね。確かにこれ丸メガネですしね。

内呂:そうなんです。で、自分がこの家の主なのに、召使みたいな仕事をさせられているわけです。この自分の活動範囲を脅かされている窮屈な感じが、まさにフジタが戦後の日本で感じた居心地の悪さだったのではないでしょうか。そもそもこの作品のベースになっている寓話は狐がカラスをだます話ですよね。チーズを食べようとしているカラスがいて、その下を狐が通りかかる。そこで狐が、カラスの美しい声を聞かせてくれっておだてるんです。そしてカラスが歌おうとした瞬間チーズがカラスの口から落ちて、それを狐が奪ってしまうっていう。

福田:そのカラスがまさにフジタの境遇。本当にそうですね。戦時中、戦争画を描いてくれといわれて描いたけれど、戦争が終わったら今度は非難される。もうチーズは落ちてしまっていた。この絵を見たときに、他の絵に比べて、食材の描き方が少し違うなと思ったんです。他の作品では、料理は大体おいしそうに描かれているのに、ここではちょっとグロテスクに描かれたものもある。きっと自分自身がどこか領域を侵されていたり、生きづらかったりする心情がこめられているのかもしれませんね。

内呂:マケットを作ったのが、1947年から48年ごろですよね。この作品はその後に描いています。マケットを作っている時は希望にあふれて理想の住処を想像していたのに、その後、一年ほど日本にいる間に、自分の未来を脅かすような何かあったんじゃないかと。でもそれを声を大にして言うわけではなく、比喩的な表現に落とし込んで、飲み込んでいますよね。それもまたフジタらしいといえると思うんです。

高山:最後は福田さんの提唱されている「フード理論」的解釈になりましたね。やっぱり“ゴロツキはいつも食卓を襲う”というのが証明されました(笑)。

福田:そうですね(笑)。私のフード理論の「フード三原則」に当てはまります。映画や小説でも、大体善人はフードをおいしそうに食べるし、正体不明者はフードを食べない。で、ゴロツキはフードを粗末に扱い、食卓を襲う。食卓が襲われ、犯されるという行為によって、食材や料理がダメになるだけでなく、精神的なダメージを受けるんです。実質損害以上に感情が被害を受ける。映画などで、あえて食卓を襲わせるのは、それを象徴的に表現するためなんです。この絵はまさにそういう絵ですよね。きっとここに描かれている料理もフジタの食べたいものじゃないんでしょうね。確かに画家の内面を一番映し出した絵といえるかもしれません。この絵を描いた後に、子供の職人シリーズをはじめると考えると、フジタが最終的にたどり着いた境地が伝わってきて切なくなりますね。本当に新しい発見でした。そんなフジタと彼の作品がさらに好きになりました。

  編集後記
 
 

VIRONさんでシャルロット・ポワールをいただきながらのシチュエーションということで、パリのサロン文化さながらに(?)行いました今回のギャザリング。テンポよくお話くださる里香さんワールドにすっかり引き込まれました。 もっともっとお話を伺いたかったので時間切れという感じではありましたが、最後の《ラ・フォンテーヌ頌》のエピソードが里香さんの提唱されるゴロツキのフード理論、「フード三原則」に無事帰結。ホッとしました(笑)。大亀シェフのシャルロット・ポワールも素晴らしいお味でご参加の皆さまにも大好評でした!
皆さまも展覧会鑑賞後には是非VIRONさんへお立ち寄りください。

高山(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

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