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今月のゲスト:首藤康之さん@フランダースの光


ID_039: 首藤康之さん(ダンサー)
日 時: 2010年9月16日(木) 
参加者: ギャザリングスタッフ(中根大輔、高山典子、海老沢典世、
橋爪優子)
宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム チーフキュレーター)

PROFILE

首藤康之(ダンサー)
15歳で東京バレエ団に入団。19歳で「眠れる森の美女」王子役で主役デビューを果たし、その後「ラ・シルフィード」、「ジゼル」等の古典作品をはじめ、モーリス・ベジャール振付「M」、「ボレロ」他、ジョン・ノイマイヤー、イリ・キリアン等の現代振付家の作品にも数多く主演。また、マシュー・ボーン振付「SWAN LAKE」では“ザ・スワン/ザ・ストレンジャー”/“王子”役で主演し、高く評価される。04年、「ボレロ」を最後に東京バレエ団を退団、特別団員となる。以降は、浅野忠信監督の映画「トーリ」に出演、ジョー・カラルコ演出「SHAKESPEARE’S R&J」でストレートプレイに出演する他、東京バレエ団「牧神の午後」、「ペトルーシュカ」、「ギリシャの踊り」に客演。07年には自身のスタジオ「THE STUDIO」をオープン。その後もベルギー王立モネ劇場にて、シディ・ラルビ・シェルカウイ振付「アポクリフ」世界初演。小野寺修二演出「空白に落ちた男」、中村恩恵振付「時の庭」に主演。また、ドイツ・デュッセルドルフにて、ピナ・バウシュが芸術監督を務めるNRW国際ダンスフェスティバル、アイルランドのダブリン国際ダンスフェスティバル他、海外のフェスティバルにも数多く出演。国内外問わず活動の場を広げている。
公式HP:http://www.sayatei.com/


『静かなるパッション』


高山: 今回の『フランダースの光』、ご覧になっていかがでしたでしょうか。

首藤: とにかく色々な画家の作品が展示されていて楽しめました。最初の章に登場するジョルジュ・ミンヌは個人的にすごく好きなテイストなんです。他の画家の作品と比べると決して明るくはないんだけれど、表現は繊細でありながらしっかりと主張もあって、何かを求めていたり、悩んでいたりする様子が伝わってきます。珍しく素描(《待っている女性》)も展示されていましたよね。この線の細さには驚きました。でも弱々しい感じじゃなくて、ちゃんと強さも併せ持っているところがいいですね。

高山: 今回、ミンヌの作品は彫刻もありますし、首藤さんはお好きじゃないかなと思っていました(笑)。やはり身体芸術の美を追求されている首藤さんならではの視点ですね。

首藤: これは今回の展覧会全体に言えることなんですけれど、一つ一つの作品をじっくり見るとその中にはものすごいパッションを感じるんですが、それをすべて外に出すのではなくて、どこか内に秘めている感じがするんですよね。

宮澤: 今回はベルギーのゲント市に近いシント・マルテンス・ラーテム村に集まってきて芸術家コミュニティを作った画家たちの作品が展示されていますので、ベルギーの画家や彫刻家の作品がすべてそうだと言うわけではないですが、やっぱり技法や姿勢に共通点はあると思いますよ。

首藤: ミンヌの彫刻で、《死んだ雌鹿を嘆く男》というのがありましたが、あれはジム・ジャームッシュの映画『デッドマン』に同じ場面が出てきますね。この彫刻に影響を受けたんじゃないかな?とふと思いました。他には、サードレールの作品も圧倒的でした。特に《冬の平原》は、ほとんどが空という構図が独特ですよね。空のグラデーションも非常に繊細です。画家本人の写真も展示されていたんですが、それを見ると体格もよくて髭も生えていて「えっ、この人が?」って感じでしたけど(笑)。

橋爪: この絵は会場内で販売している額絵も大変人気なんです。お家に飾っておきたくなる作品なんでしょうね。ただ静かで美しいだけじゃなくてどこか精神性も感じるところがあるので、毎日眺めていても飽きないと思います。

首藤: ウーステイヌの《悪しき種をまく人》も面白かったですね。宗教画のような雰囲気があるんですが、どこかかわいいんですよ。まいた種をすぐカラスが食べにきちゃって。この人の作品は《うずくまったデース》もそうですが、人物の表情の捉え方が絶妙ですよね。何か台詞が聞こえてきそうな気がします。

宮澤: この《悪しき種をまく人》を描いていた時、ウーステイヌには付き合っていた恋人がいたんですが、結婚を反対されていたんですね。ですから、この絵には“自分の行動や感情が報われない”、という意味も込められているのかもしれません。

首藤: あと、同じウーステイヌの《永遠に反射する光》も好きでした。これは水に映った月ですよね。構図といい、色使いといい非常に幻想的で叙情的な美しさがあります。

宮澤: これも不思議な味のあるいい絵だと思いますが、ベルギーでこんな場所ってあったかなって思っちゃいますよね。基本的に山はありませんから。

首藤: そうですよね。ひょっとしたら実際の場面では無く、自分で思い描いた風景なのかも。画家の心象風景だと思うとより一層神秘的で不思議な感じがします。


宮澤: この村に集まった芸術家たちは都会の喧騒を逃れて村に行ったって言うけれど、ゲント市もそこまで都会じゃないですよね。もちろんそれ以前の時代と比べると工場が出来たり鉄道が走ったり、賑やかになっていく感じはあったんでしょうけど。

首藤: この村もそうだったでしょうし、ゲント市もそうなんですが、ベルギーって風景が美しくて空気も澄んでいて、本当に何か生まれそうな雰囲気があるんですよね。フランスの影響をすごく受けている部分もあるんだけれど、フランスほどの主張はない。だけど存在感もあるし凄みもある、静かなパッションを感じます。

高山: 今回のタイトルは『フランダースの光』ということで“光”に焦点を当てた展覧会なんですが、そのあたりはいかがでしたでしょうか。

首藤: エミール・クラウスの作品は本当に上手く光を捉えていますよね。作品によってはまぶしいぐらいです。《夏の夕暮れ》の前では思わず立ち止まってしまいました。さっき一緒に拝見した時に、宮澤さんがおっしゃった通り、夕暮れのピンクと、登場人物の服のピンク、そして右の方に描かれている花のピンク。それぞれ微妙な色なんですが、ものすごく響きあっていますね。計算しつくされているけれど、それが全然いやらしくない。素晴らしいです。この場面は明るく見えますけど、月も出ているので、おそらく夜の8時とか9時ぐらいの時間帯ですよね。ヨーロッパって本当に夜でもこんな感じなんです。薄明かりの中でこの絵のようにゆっくりと過ごす時間は本当に贅沢ですよね。画家たちもきっとそういうところに惹かれたんじゃないのかな。

中根: 今回は日本人の画家、児島虎次郎と太田喜二郎の二人の作品も紹介されていましたね。

首藤: びっくりしました。この時代、この場所に日本人が二人もいたなんて。児島虎次郎の方は、クラウスに師事したこともあって、同じように逆光を生かした場面を描いていましたね。 日本人の感性を決め付けるわけではないですけれど、一般的に言われているのは繊細さとかはかなさを大切にしたり、何に対しても謙虚であったり、っていうことですよね。そういう感性とここに集まった芸術家たちの感性とはどこか近い気がします。それにしてもこの時代にどうやって日本からベルギーまでたどり着いたんでしょうか。

宮澤: やっぱり船でマルセーユに着いたんでしょうね。それからマラッカ海峡を通ったのかな。当時セイロンだったコロンボに寄ってアラビア半島に...という感じでしょうか。

橋爪: 日本人のお二人のうち、太田さんの方がものすごく緻密な日記を残していらっしゃるんですよ。もしかしたらその日記に航海のプロセスについて書かれているかもしれませんね。その日記には制作日記も詳細に残されていて、例えば絵を描くうえで、やはり光を大事にしていたので、毎日午前中の同じ時間に描いたというようなことが記されています。それ以降の時間帯になると光の感じや輝きが変わってしまうからということなんですね。

首藤: 僕がヨーロッパに行っていつも感じるのは光の美しさなんですよ。それはベルギーでもフランスでも同じです。日本とはやはり光が違うと思います。いつも見ている人物でも、その時の光の具合によって違って見える。照明とは全然ちがう、自然の光が映し出す力を感じますね。

宮澤: 確かにヨーロッパって妙に暗いところが多いですよね。だからちょっと明るい光があると余計にその存在を感じるのかもしれない。

首藤: 同じように光を大事にしたモネやドガ、セザンヌなどの印象派絵画も美しいし好きなんですが、今回展示されている作品とは似ているようでちょっと違いますよね。もう少し優しさを感じる独特の空気感があるように思います。それがきっとこのラーテム村の持っていた空気なのかなと。
第3章では、第一次世界大戦を経験した後の作品が展示されていますよね。戦争の影響で絵のタッチがガラッと変わってしまうんですが、でも暗くて悲惨な絵かというとそれだけではない気がするんです。もちろん戦争の影響は非常に大きかったと思いますが。

宮澤: ラーテム村は田舎だから戦争には関係ないように見えますけれど、あのあたりも戦場になる危険性ってあったらしいです。もう少し左上にイーペルという村があるんですが、そこは戦場になってものすごい数の人が死んでいるんです。

首藤: スメット兄弟もお兄さんのギュスターヴ・ド・スメットの方は、戦争を逃れてオランダに疎開して、戻ってきた後に作風が変わってしまいますよね。その変わりようも劇的で、一人の画家の変遷としても興味深いんですが、ここでもやはり明るさこそ無くなったものの、どこか優しさが残っている気がします。きっとこの村に集まった画家たちの芯の部分に流れているものは、ずっと変わっていないんじゃないでしょうか。

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