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サエキけんぞうさん @青春のロシア・アヴァンギャルド展


『アヴァンギャルドが遺したもの』


サエキ: ただロシア・アヴァンギャルドの定義ってなかなか難しいと思うんで、もっとガイドライン的なものがあるとよかったかなと思いましたね。まあこれは展覧会全般に言えることですが。例えば展示されていない絵も含めた絵葉書のコーナーがあって、その絵葉書で歴史が分かったり、学習できたりとかね。

宮澤: そうですね。もちろん解説や年表なんかも加えてはいるんですが、特にロシア・アヴァンギャルドでは、その時代を代表する絵というのがないので、難しいし分かりにくいんですよね。

サエキ: やっぱり日本人ってお勉強思考が強いし、どうしても美術は敷居が高いって言う印象も強くて。例えばもっとサブ・カルチャー的要素を並列してわかりやすくするとかね。僕がやっていたニューウェイヴはもともとパンクから来ているわけで、セックス・ピストルズがポイントになるんですが、彼らのマネージャーでパンク・ムーヴメントの仕掛け人だったマルコム・マクラレンが、ダダイズムとシュールレアリスムの信奉者なんです。1920年代のパリにあこがれる、フランスかぶれのイギリス人ですね。それに加えてニューウェイヴが登場したときにはそれまでの時代のいろんなアートやファッションを遊びとしてあらためて利用したわけです。パンクと言っても常にせっぱつまったものではなくて、遊び心とリスペクトがあるし、それが大事なんですね。
さらにマルコム・マクラレンの話をすると彼はモッズでした。モッズって1958年ぐらいから出てきたんですが、もともとモダーンズと呼ばれていてルーツはモダンジャズから来ているんですよ。同時にアートでは未来派が好きなんですね。モッズのトレードマークである矢の標的みたいなデザインは未来派から取り入れたんです。だから当時のカジュアルファッションとも密接につながっていたし、モッズの動きがその後のサイケデリックにも関わってくるんですが、サイケデリックはアールデコやアールヌーボーからの影響が強い。だから結局サブ・カルチャー、ライト・カルチャーと言っても、ファインアートに結びつくきっかけにもなるんですよね。

中根:確かにスーパーエッシャー展のときには、エッシャーの絵が表紙に使われた少年マガジンの漫画雑誌を並べて展示しましたよね。今回だとサエキさんが持ってきてくださったようなレコードジャケットを並べて展示すれば面白かったかもしれませんね。もっと早くお会いしていれば(笑)。

高山:デザイナーの佐藤可士和さんなんかもロシア構成主義にすごく影響を受けたって発言をされていますし、お客様もデザイン系、建築系の方がたくさんいらっしゃってくださっているという印象があります。

サエキ:グラフィック系の人たちは、展示されている作品はもちろん、今回の図録にも惹かれるでしょうね。この表紙はすごく凝っていてかっこいいですよね。印刷業者さん泣かせですね(笑)。

海老沢:この切り絵風の表紙は、この展覧会でないと出来ないデザインですよね。やっぱりデザイナーさんがこれだけいろんなことをしたいと思わせる力がロシア・アヴァンギャルドにはあるんじゃないでしょうか。

宮澤: 会場の中ほどで上映されていた映画もインパクトありますでしょ。あの作品の衣装を手がけたのが今回の作品の中にもあるアレクサンドラ・エクステルです。

中根: 当時の画家はみんなとんがったことをやっていましたから、こういう舞台美術で生計を立てていたということなんでしょうか。

宮澤: でもそれが出来たのはほんの少しの間だけで、結局はみんな追いやられていって、エクステル自身もフランスに亡命しちゃうんだよね。《11の顔のあるコンポジション》のパーヴェル・フィローノフは最後は餓死しちゃうし、ヴラディーミル・バラーノフが死んだのはアウシュビッツですよね。《芸者》を描いたダヴィ-ド・ブルリュークは日本に滞在して日本のアヴァンギャルド運動の先導役になったんだけれど、そのころ日本とソ連が仲良くなってしまったんで日本にいられなくなって、結局ニューヨークに亡命するんです。

サエキ: そういうドラマチックな動きをされた方が多いですよね。そうやって観るとまた一枚の絵が違って見えてきますよね。歴史の重みも感じます。

宮澤: 結局、これらの作品が世に出てくるまでに50年ぐらいかかっているわけですよね。その間、西側ではいろんなことが起こって、第二次世界大戦に突入して、そのあと混乱があって、芸術では抽象的とかポップアートとかが出てきて、新しいことが進んでいくんだけど、この時代にロシアで起こっていたことは本当に新しいというか、世界で一番アヴァンギャルドだったんですよね。

サエキ: ポップアートって、好き嫌いは別として美術史の中ではひとつの局面を形成していると思うんですね。ただ今回の作品たちはポップアートみたいなものが一切関係がない時期で終わっているっていうところが、ひとつポイントになると思うんです。個人的にはこれらのアートとは断ち切れないつながりがあると思っているんですが、歴史的な断絶を認識すると、やはりこの時代は何だったのかってあらためて考えさせられますよね。

宮澤: 政治の世界では革命がどんどん進んでいくわけですが、美術に関しては逆の方向に進んでいくんですよね。あくまで想像ですが、当時の政治家はやはりスプレマティズムとか抽象絵画とかを理解できなかったんじゃないかなと。

サエキ:やはりアートの持つ無軌道なパワーから、コントロールできない危険さを直感的に感じ取る皮膚感覚があったんじゃないでしょうか。実際に美術がアナーキズムに結びつくこともありますしね。でも、そこに至るまでに芽を摘まれちゃうところがすごいところで、やはり分断された歴史っていうのは興味深いですよ。1920年代から30年代のアートを振り返ると、華やかな時代と考える人が多いですよね。でもそれはその後に戦争を経ながらもビートルズが出てきたりポップアートが栄えたりっていう現象につながるから、そういう風に捉えられるだけで、現実的に当時を生き抜いていた人にとってはすごく不安な時代でもあったんじゃないでしょうか。そういう不穏な空気というのはなかなか追体験しようとしても難しいと思うんですよ。でも今回の展覧会ではその雰囲気を少なからず体験できたような気がしますね。

  編集後記
 
 

「ロシア・アヴァンギャルド」という絵画のムーヴメントが、一般の、特に若い人たちにどう受けとめられるのか、そもそも興味を持ってもらえるものなのか、展覧会の広報活動を行っていく中でずっと不安に感じていたのですが、サエキさんから、迷いなく「間違いなくかっこいいと思うでしょ」と言い切っていただいて、ホッとしたと同時に、もっと早くご相談すればよかった!と悔やみました。当日のサエキさんは格好もアヴァンギャルドな感じで見事なまでに会場に溶け込まれてました。

海老沢(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

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