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若木信吾さん@ルノワール+ルノワール展


『二人の巨匠』


海老沢: 今回、画家のルノワールの作品で一番お好きなのはどれですか。

若木: 好きだったのは《小川のそばのニンフ》ですね。光と色もきれいだし、女性の肉感みたいなものも伝わってくる。ルノワールが何歳ぐらいの時に描いたんだろうって興味が湧きましたね。こういう絵を見ていると、自分も写真でヌードを撮りたくなってきますね。女性の身体を勉強するというような目的だとか、プロのモデルの人を撮るというような仕事絡みのものじゃなくて(笑)。全く素人の女性をヌードにするって言う、シチュエーションも込みで撮りたい。例え相手が素人の人でも、今の時代にニンフのイメージで撮ろうとすると、実際にはかなり難しいと思うけど、そういう風に素直に欲望を写したものの方が、ずっと残るような気がしますね。

宮澤: 基本的には二人ともモデルは素人なんですよね。多分日常会話なんかから始まって、なだめながら描いたんでしょうね。特に画家のルノワールはまさにそれを日常的にやっていたんじゃないかな。

若木: そういうのって本当にすごいなと。自分が年を取ってきたからそう思うのかもしれないけれど、やってみたいですね(笑)。純粋にプライベートで素人のヌードをね。

中根: 若木さんの作品は写真にしても映画にしても撮りたい対象がはっきりしているし、ドキュメンタリー性もあって、個人的にそういう方向性のものが好きなんですごく共感できるんですよ。でも、まさか若木さんからそんな言葉が出ると思わなかった(笑)。でもぜひ見てみたい(笑)。

海老沢: 画家のルノワールの場合は、ヌードを描きたがるからモデルになっちゃだめだ、といわれることもあったようですね(笑)。《座る娘(エレーヌ・ベロン)》のモデルになったエレーヌも、彼女の許婚の人がヌードはダメだと(笑)。それで服を着ているんですよね。
若木さんは写真でも映画でも、ずっとお爺様をモデルとして撮られていますよね。

若木: まあうちのおじいちゃんは全然有名人じゃなかったから(笑)、影響を受けたというよりは、どちらかというと逆プロデュースっていう感じですけど。でも、最初は単純にフォトジェニックで、他の人を撮るより身近にいて撮りやすいし、融通が利くっていうぐらいだったけど、最終的には家族として記録として残していこうという方向性にはなりましたね。後、うちの爺さんも絵を描いていたんだけど、今の時代の人はあまり描かないような、例えば戦争批評みたいなものを描いたりしたんですよね。そういうのは非常に面白かったですけどね。

宮澤: 今回の展覧会は、お父さんと息子のつながりがテーマになっているわけだけど、二人はそんなに接点があったわけじゃないんだよね。ジャンは父親が50代前半の時にできた子供で、父親が亡くなった時にジャンは20代前半でしょ。年齢差がすごくあるんだよね。親子というより、お爺ちゃんと孫というぐらいの方が近いかもしれないね。親子でハイキングとかピクニックとかに行くでしょ。そういうのをジャンの方は覚えていて、映画のシーンに取り入れたりしているんだけれど、彼が結局映画の世界に行くのはお父さんが亡くなってからなんですよね。カトリーヌ・へスリングと結婚したのもお父さんが亡くなった後でしょ。

中根: ですから、今回の展示では二人のオプティミスティックな共通点のようなものは伝わってくるんですが、あまりに偉大な父親を持ってしまったジャンの葛藤のようなものはほとんど見えてこなくて、まあ年も離れていてそういうのはなかったのかもしれませんが、そこが個人的にはなんとなく釈然としない気もします(笑)。

海老沢: 父と息子の関係と言うのは女性にはなかなかわかりづらいですが、普通は目標であったり、超えるべき存在であったり、ライバルであったりするわけですよね。やはり、ここまでそれぞれが成功している組み合わせって珍しいと思いますね。
今回、展覧会に合わせて映画評論家の中条省平さんによるトークショーを開催したんですが、その中でお客様から、「結局二人の共通点ってなんでしょう」という質問があって、中条さんが「画家のルノワールも、もし映画というメディアがあったらジャンのような作品を撮りたかったのかもしれない」っておっしゃっていたのが印象的でした。

中根: 父がこれだけ偉大な画家という中で、少なくともジャンが映画というメディアを、それも黎明期に手に入れたのは大変な幸運だったというのはあるでしょうね。映画ってめちゃくちゃお金がかかると思いますけど、幸いお父さんの絵を売って資金を作ることもできたし。

若木: 確かに映画ってすごくお金がかかるし、お金があるから想像できたり、実現できたりする表現もあると思うから、それはジャンが恵まれていたところかもしれないけれど、例えば『恋多き女』で《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》の絵のような場面があるけど、この絵っていろんな角度から見た場面が一枚に収められているんですよね。これをそのまま映像として再現しようとすると、奥にいくに従って上り坂のようになっていたり、段差があったり、そういう作りこみをしなきゃ無理でしょうね。絵では描けるけど、実際に映像化するにはかなり高度な技術が必要なはずですよ。

宮澤: そういう技術的な面も含めて、やはりジャンが映画監督として素晴らしい才能があったっていうことなんでしょうね。

若木: 絵の映像化もそうですけど、画家のルノワールの作品を写真で表現するのも相当難しいと思うんですよ。《陽光のなかの裸婦(試作、裸婦・光の効果)》なんかも、実際に本物の絵を見るとすべての色がすごく強いですよね。ウィリアム・エグルストンがやっていた、三色を版画のように別々に刷って出力するプリントの方法があって、そういうのを使って色を強めていくと近づけるかもしれないし、今はデジタルだからそれなりに調整できると思うけれど、少なくとも今あるカラーフィルムでこういう風な絵の感じで撮ろうとしたら難しいですよ。ルノワールの絵ってそういう部分もあって今まで深く触れなかったところもあるんだけど、今回ジャンと比較して見ることができて、あらためて画家ルノワールのすごさを感じましたね。正直今まではそうでもなかったけど、相当好きになりましたよ(笑)。

  編集後記
 
 

若木さんには、2004年の「流行するポップ・アート展」の際にギャザリングにご参加いただいたのですが、映像と静止画(写真)の両方でお仕事をされていてかつ作品のテーマに"家族“を据えている点で、ぜひ若木さんが「ルノワール+ルノワール展」をどうご覧になるのか伺ってみたいと思い、ふたたびお声掛けさせていただきました。お声掛けする前にすでに展覧会を観ていただいていたということに感激しつつ、静止画と映像、父と子、画家・監督と被写体といった今回のテーマをまさに踏襲するようなお話を聞くことができました。 「この展覧会を見るまでは画家ルノワールが得意ではなかったけど、これを観て好きになった」と言っていただけたのがうれしかったです。

海老沢(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

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