ミュージアム開放宣言ミュージアム・ギャザリング ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

今月のゲスト:齋 英智さん@ポーラ美術館の印象派コレクション展


『テクノロジーは本物を生むか』


齋: 今、僕はブンカムラさんと同じ渋谷にある専門学校で講師をさせていただいているんですが、今回のお話をいただいて、実は印象派展を楽しむ以外に、美術館にはどういう人が来て、どういうことが起こっているかということも興味があったんですよ。

高山: 今回は、基本的には印象派絵画の持つ光や風景の美しさを求めていらっしゃる方が多いと思います。印象派の絵画というのは、その価値を人と共有しやすいし評価が定まっている点でもはずれがないというあたりも日本では人気が高い理由ではないでしょうか。ザ・ミュージアムで言うと、やはりお友達を誘える展覧会かどうかというのはすごく重要らしいんですね。人と一緒に観ていい時を過ごしてご飯を食べて、という様な流れの中での美術鑑賞という風に捉えてらっしゃる方がやはり結構いらっしゃるのだと思います。

海老沢: このギャザリングもアートを見る際に歴史や背景というような知識がないとだめ、というような先入観を払拭して、もっと気軽にアートに触れていただこうという狙いがあるんです。

齋: 私は、最近デザインの仕事や学校というフィールドで気にしていることがあって、本当はコンテンツじゃなくて、お客さんや学生たちがその場所に来ることによって何が起こっているかということが大事なんじゃないかと。学校に来ても授業はつまらなかったけどすごく友達いっぱいいたな、とかいうのはよく聞く話であって、例えばコーヒー1杯千円という場所でも、椅子やテーブルのデザインがよかったり、空間として素敵な時間が流れていたり、そういうことを大切にしているような施設もあってもいいのかな、と思うんですよね。もちろん最も重要なのはコンテンツであることに間違いないんですが、コンテンツのみで100点じゃなくても、コンテンツ80点、その他20点で100点ならいいんじゃないかと。

宮澤: そもそも絵だって額縁に入っているわけでしょ。昔の絵でそうじゃないのって想像しづらいよね。だから内容といってもすでに展覧会で展示されているものからして、何かしらの情報が付加されているものなんだよね。以前、アメリカに行った時にとある美術展に入ったら、全部イミテーションだった時があったんですよ。有料の展覧会だよ(笑)。まあ、いろんな事情があったのかもしれないけれど、その作家の最高傑作でなくていいし、たくさんの作品を飾っている中で一枚でいいから、本物を置いて欲しかったなと。やはりそれが美術館という名の場所の役割じゃないかなってつくづく思いましたね。

齋: 本物かどうかという意味では、最近、パソコンでイラストを描く時なんかに使われるマウス代わりのタブレットでも、直接パソコンのディスプレイにペンを当てて描ける物が出てきてるんですよ。筆圧もちゃんと表現されていたり、いろんなエフェクトも用意されていたりしてね。でも、例えばディスプレイにしてもいつも問題になるのは、一つ一つは物理的な条件等が違うんで、色も違うってことなんですよね。青味が強かったり赤みが強がったりどうしてもクセが出る。さらに見る側の人間の状況や状態によっても微妙に変わるかもしれない。細かく言うとそういうのも無視できないじゃないですか。デザインの世界では、例えば焼肉を焼いているときのジューシーさみたいな質感を“シズル感”って言うんですね。で、脳科学者の茂木健一郎氏によると、私たちが意識にある状態で感じる様々な質感のことを“クオリア”と呼ぶそうなんです。だから焼肉のあのジューシーさひとつとってもいろんな見方、感じ方があるわけで、何が本物かというのはさまざまな度合いがある。そういう感覚ってすごく興味があるんです。

中根: そういうお話を聞くと、何が本物かっていう定義そのものが難しくなってきますよね。でもその質感を形成するものに時間という要素がありますよね。焼肉にしても、目の前にある実物は、ずっと前から誰かが時間をかけて育てた牛が結果として、今そういう状態になっているということであって、存在している現在の時間軸も違うし、それまでに辿ってきた時間も違う。その違いは決定的じゃないかと思うんです。

宮澤: 本当にテクノロジーが進化すれば、さっきのタブレットなんかで、ゴッホやルノワールなんかが絵を描く際に計算したことや感じたことも再現できるようになるかもしれない。だからこそ、結局、本物で勝負するのが美術館だというのにつきると思うんですよ。美術館の存在理由は本物を見るかどうかにつきるといってもいいかもしれない。本物といったってさっき言ったようにライティングとか額縁とか、いろんな諸条件のもとに見せているんだけども、それとデジタルデータとはやはり違うはずだとはまだ信じたいですね。

齋: 美術館だと、ザ・ミュージアムもそうですが、展示の最後にショップがあるじゃないですか。
縮小版のプリントやポストカードなんかが売られていますよね。ああいうのも面白いなと思うんですよね。ビジネスライクではあるけれども、買われた方はお家に持って帰って飾ってみたり、思い出したりするわけですよね。そういうゆとりというか、名残というような感覚はさすがにデジタルでは再現できないだろうし、それも本物を見られる美術館という場所だから生まれ得たものだと思いますよ。

  編集後記
 
 

科学やテクノロジーの発達に伴ってバーチャルリアリティが世の中に溢れる中、美術に触れる機会や絵画鑑賞の仕方も多様化してきています。今回のギャザリングでも美術館の存在理由として話題になりましたが、“本物を観る”ということは、分野は違いますが、今幼児教育の場などにおいても盛んに言われている“土に触れることの大切さ”と同じような体験的な意義を持つのではないでしょうか。そういう意味においてもより多くの方に美術館に足を運んでいただけるようなきっかけ作りをすることは我々の仕事の大きな使命なのですが、今回のゲストの齋先生は、学校と地域とのコラボレーション・プロジェクトなどにも参画してみえるいうことでしたので、これをきっかけにまずは同じ渋谷にある美術館として積極的に活用していただき、今後学生さんたちとのコラボレーション企画なども実現できればと思っています。

高山(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 

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