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今月のゲスト:木下 和也さん@グッゲンハイム美術館展(2)


ID_009: 木下 和也さん((株)マーブルトロン代表)
日 時: 2004年9月8日(水)
参加者: 宮澤政男(Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員)
ギャザリングスタッフ(中根大輔、鷲尾和彦、高山典子、海老沢典世)

PROFILE

木下 和也(きのした かずや)

マーブルトロン HP


『プロセスが作るもの』


高山: 木下さんは出版を中心に幅広くご活躍なさっていらっしゃいます。今回は展覧会に関することだけではなくて、いろんなお話をお聞きしたいと思っています。

木下: 実はメジャーな展覧会に来るのって久しぶりで。でも改めて来て良かったって思いましたね。ほんと楽しかったですよ。特に今回はグッゲンハイム美術館の作品っていうことで、作品も多くいい意味で盛り沢山、充実感で一杯です。印象派からの流れもわかる展開も親切だし、これだけの絵が一堂に会しているわけで、素晴らしく贅沢な空間でした。

中根: 好きなアーティストっていらっしゃるんですか?

木下: ここに集まった方々で選ぶのは難しいですね、大物ばかりで。カンディンスキーは好きというのもありますけど、誰かに芸術家の「気づき」を説明するときにはよく例に挙げさせてもらいます。この作品も後年の特徴がよく出ている作品ですね。カンディンスキーってその歴史の中で、芸術家が何に気づいていくものなのかをよく具現している人だと思うんですね。初期のとても丁寧な具象から、少しずつ形が壊れていって、見事に出来上がる後年の抽象まで。この人の作品史を順を追って見ていくと、芸術家の頭の中の変化がよく見えると感じています。モダンアートの世界ってよくわからない抽象絵画が多くて難しいと思う方も多いですが、いいナビゲーターがいれば「あーなんかわかる」と思える。絵は理屈でなく感じるものだと思うのと同時に、ある種の思想というか哲学というかの理解を読み解くものだと思っています。芸術って自分の中と外に影響されながら、そういうものに個人的に立ち向かう戦いだと思うので。この人の作品史を追うのは乱暴な言い方かもしれませんが、芸術ってわかりずらいと感じている方にはお勧めと思っています。カンディンスキーはいいナビゲーターだと思います。

宮澤: カンディンスキーはどちらかというと堅い分野から入っていった人だから、自分が今何をやっているかということをちゃんと認識しながらやっていた人ですね。本当こつこつと理知的にやって、最後までそうなんですよ。だから後から全体を眺めると軌跡がわかりやすいんですね。

木下: カンディンスキーって、ものすごく実直に自分を成長させた人として尊敬しています。でも同時に、物足りないものを感じてしまうこともあって、きっとそれはそんな理知的なところなのかもしれないって、生意気に思ってしまうところもあります。バウハウスで教鞭をとられた先生としてとても真面目な人だったようですね。真面目だからこそ、ああいうプロセスを示しているんだとも思うんですよ。いわゆる秀才ですよね。ミロみたいに、最初から“いっちゃってる”人もいるし(笑)。 そういう人の方が突き抜けている感はあったりしますよね。見るものに与えるエネルギーとしてもある意味強いことも多い。その点、カンディンスキーの描くものっていうのは細かくて、デリケートでもある。秀才の弱さも感じてしまう。しかし、やっぱり人は人生の中で何かを気づくものだろうと思うから、まさにカンディンスキーの気づきの人生は、人間のいい意味真面目な戦いを感じるんです。そこが好きです。

中根: 僕は新しいものって自分自身や自分の作ってきたモノを壊さないと生まれないと思っています。それが判っていてできない人と、自然にできる人がいるような気はしますね。

木下: そうですね、自分を成長させていくことはやはり自分を変化させていくことでもあると感じますね。変化とはときに自分の過去を壊すことでもあるかもしれない。でもほんとは壊しているわけではないかもしれない、気づきが増えているだけかもしれない、でも外から見える部分はこれまでと違う、それは過去を壊しているように見えるものなのかもしれない、なんてよく考えます。また今回の展覧会を見て思ったのは、やはりどれも人間の作業ですから、作品によっては、瑞々しさにあふれているものもあれば、少し枯れている感じとか、気が抜けてしまっている感じとかの印象をもつものもある。もちろん人の人生の時間の中で生み出されたものだから、その人のその時間の影響も受けている。絵画の世界だけでなく、音楽をやっている人たちにもそういうのがある気がします。その人が人生でやつれているときは、やはり作品がやつれてしまっている気がしますね。それを見せないで一生やりつづけるのはそうとうタフでないとならない。残念ながら物理的に衰える肉体によりどこってしまう「声」の変化みたいなものもあります。

宮澤: 中には現役時代を通してずっといい声を保ち続ける人もいるかもしれないけれど、やっぱりまれですよね。それは画家でも同じです。そういうのを追って見ていると結構残酷な気がしますよ。

木下: 人生ですから、波があることもある。当たり前だけれどいい時ばかりじゃない。それが表現に現れてしまうことは残酷でもありますよね。ちょっと話しの角度は変わりますが、それに加えて同じ表現家でも商業エリアにいる人たちというのは、締切りという残酷さもありますね。過程であろうがなんであろうが結論を出さなきゃならない、自分の納得できないタイミング。最高であろうが最低であろうが、提出しなければならない。それはすごく厳しいことだと思います。よくある言葉が「もう少し時間があればもっといいものができたのに・・・」。僕は「締切りというのは神様の締切りだ」と考えています。だからとにかくそこで1回切らなきゃなりません。そこで体調不良や何かがあったとしても、それは神様が切った締切りだから、ダメならダメで一つの過程的結論を出さねばならない。ただ、その締切りも所詮過程にすぎないから先があるわけで、また次の締切りがあるんですね。だからそこまでの過程で努力できるかどうかが問われるんだと思うんですね。やはりそういうことを乗り越えないとならないのじゃないかと思ってます。キツイですが。だから仕事してて「もう少し時間があれば」というやつは信用しません。

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