ミュージアム開放宣言ミュージアム・ギャザリング ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

今月のゲスト:西岡 文彦さん@モネ、ルノワールと印象派展(3)


『アバンギャルドを生むもの』


高山: 今回のギャザリングは西岡先生がゲストということでぜひお聞きしたいことがあるんです。私たちはより多くの方にその人なりの楽しみ方で美術に親しんでいただこうという目的で、ギャザリングを行っているんですが、実際参加されてみて、こういう企画はどういう風に思われますか?

西岡: うん、僕は好きですよ。ちょっと変な言い方かもしれないけれど、昔、若い頃に下宿でこういうことをずっとやっていましたよ。放浪している奴とか映画作家やっている奴とか、いろんな人間が家に来て、みんなで本当にいろんなことを話し合いました。当時使っていた手帳には2ミリぐらいの大きさの文字で、今日はどういう話を聞いたとかどういう本を読んだとか、びっしり書いていましたね。何かそういう芸術的な需要を入れないと、自分が消えてなくなるような恐怖感があったんです。でも今、いろんなことがこなせるのはその時の知識や情報や思考の貯金があるからだと思いますよ。だから、このギャザリングもそうだけど、予想外の無駄というか、必要ないんじゃないかと思うような部分の生産性っていうのは絶対あると思うし、大事だと思いますよ。

中根: そういう意味では今の時代って、特に日本は何でもありすぎると思うんですよ。例えば音楽では、イギリス北西部で何も無い工業都市マンチェスターからロックとダンスを融合させた音楽が生まれたり、ミシガン州のデトロイトみたいな荒廃した街から未来を感じさせるテクノ音楽が生まれたりしたじゃないですか。そこに生きている若者って、とにかくチャンスさえあればこの街を出たい、みたいな閉塞感の中から、ものすごい想像力を駆使して生きる糧を生み出したわけですよね。だから、今の豊かな日本に新しいモノを生み出す力があるのかなって...。

西岡: それ、すごく大事な話なんですけど、要するに新しいものが出てくるための最大の条件というのは“軽蔑”とか”軽視”なんですよね。小説だって坂口安吾とか太宰治とかいまだに読まれているでしょ。彼らが生きていた当時、小説家というのは、ある意味、人間のクズだとか言われかねない社会の風土があったじゃないですか。それが彼らの創造のバネになっていた。今で言うと例えば宮崎駿さんのアニメにだって、そういう部分はありました。なんであんなに素晴らしいかというと、少し前までは所詮アニメなんてっていう風土が根強くあったのを覆したからでしょ。軽蔑や軽視を跳ね返そうとする作家の情熱がいいもの作るんですよ。だから、前から「次はフィギュアが時代を席巻するだろう」と思っていたんですよ。軽蔑されてましたからね。僕、自分がプラモデル・マニアだから、そのへんは肌で実感してました(笑)。

宮澤: 実はちょうどこの前、東京ビッグサイトに行ってフィギュア・フェスティバルみたいなものを見てきたんですよ。以前からフィギュア展とかうちでやるのも面白いかなと思っていて、今のフィギュアを取り巻く状況を肌で感じようと思ったんです。で、行ってみたら、やっぱり楽しかったですね。いろんな人がそれぞれのブースでオリジナルなモノを出していて刺激を受けました。下手にとんがった現代アートなんかをやるよりは、ずっと可能性があるんじゃないかと思いましたね。

西岡: 多分、第1回目の印象派展ってそういう感じだったんだと思いますよ。自分たちが信じるものを自分たちのやり方で見せるっていうね。僕はフィギュアが今みたいに本屋やコンビニで売られるってことを4,5年前に予言したんだけれど、携帯に関しても言ってたんだよね。というのは、携帯がどんどん普及すると絶対若者たちが“待ち合わせ”を出来なくなる、って言うことなんですよ。実際、今そうなりつつあるんです。印刷の技術が進んでから、人間の記憶力って圧倒的に下がったんですよ。それと同じで携帯が普及することによって、シークエンスというか段取りをデザインする能力が下がっているんですよ。

海老沢: 今は正確な待ち合わせ場所とか時間とかがわからなくても、携帯を使って人と会えますもんね。でも本来的には人間はそういう道具がなくても、もっと感覚的に生きられると。

西岡: そうですね。だけど感覚を解き放つためには理性の部分がかなりしっかりしてないとダメですよね。感覚的なことを言ってる人間というのは実はかなり論理的な部分が強かったりする。学生でも勉強してないのは過去のデータをチェックしてないから、じつは、やっていることが古いんですよ。過去の巨匠たちがやったことを知らないんですね。学歴を問うつもりはもちろん無いけれど、勉強しないと見えてこないもの、勉強して勝ち得る自由ってあるわけじゃない。マネがそうでしょ、徹底的に古典を研究しましたよね。モネは全然古典を勉強していない。だから奥行きとか深みとかで比べるとマネの方が優れている部分もありますよね。

宮澤: モネの場合は、たまたま周りに鉄道なんていうそれまでの世の中には無かったものが登場したから、それを描けば当然新しいわけですよね。そういう意味ではラッキーだった部分もあるかもしれませんね。

西岡: あとは技術的には、“最初にやった”って言うこともあると思いますよ。最初にやるって言うのはリスクを背負わないと出来ないですから。でも前衛が元気なのは保守が強いからこそなんですよ。日本のアートシーンで僕が軟弱に思うのは、エリートコースを歩んでいる美大の学生や教員なんかがアバンギャルドを気取っているところですね。僕に言わせれば、将来が保証されているような一流大学の中枢にいるんだったら、保守本流の頑迷な老人になるのが仕事だろう、って(笑)。で、冒険的な表現をする若い奴らをどんどん叩く(笑)。で、叩いてもへこたれない奴が出てきたら、お前はなかなかすごいな、と褒めてやる。そういうのが本当だと思うんです。身分も将来も保証されてるくせに、表現だけ前衛を気取るのはセコいですよね(笑)。真に前衛を目指すのならば、たとえば僕のように全く保障も安定も何もない高卒ってところでやらなきゃ(笑)。僕はこれからも自分がダメと思うものは素直に「これよくないじゃん」って言いたいし、わからないことはちゃんと「すみません、わかりません」って言いたい。だからやっぱり僕の役目は“裸の王様の子供”なんですよ。


  編集後記
 
 

 テレビ東京で放送されていた番組「芸術に恋して」のナビゲーターや、「二時間の印象派」、「五感で恋する名画鑑賞」などの著作本で、わかりやすいトークや解説で人気の西岡さん。
我々スタッフは、そのご活動に、ミュージアムギャザリングのコンセプトと共通するものを感じ、今回のゲストにお願いしました。
 幅広い視点から印象派絵画について、アバンギャルドを生み出す土壌についてなどの率直なご意見、お話をしていただきました。特に、新しいものはベースがきちんとないところからは生まれ出ないというお話には一同納得。そういう意味でも今、アーティストを目指していたり、アートを勉強している若い人達にも、もっともっとこうした展覧会にも足を運んで古典を観て学んで欲しいなと思いました。

(高山)

 

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