一柳:
ニューヨークで横尾さんとお会いしたのは1967年でした。私はニューヨークに留学していたので、それまで結構長くいたんですが、確か横尾さんはその時が初めてだったと思います。横尾さんはそれからほとんど毎年いらしたんですよね。しかし、私はその後は数年おきという感じになるんです。ですからとにかく67年にお会いできたというのは非常に幸運だったという気がします。
横尾:
僕は80年代以降、アートの方の仕事をやっていますけど、その頃はグラフィック・デザインの仕事をやってた時期なんですよ。ちょうど天井桟敷という劇団を立ち上げたりして、いろいろ忙しくなり始めて、ちょっとこの辺で自分を見直さなきゃいけないと思って、20日間の予定でニューヨークとヨーロッパへ一人旅をしたんです。で、最初に着いたのがニューヨークなんです。一柳さんとはどこで会ったんですかね。その前に東京では一度お会いしていますよね。
一柳: そうですね。でも、そのニューヨークで会った時が非常に面白かったんです。私は横尾さんが来られたという話を聞いて、横尾さんのところに電話したんですよ。そしたら、こんなこと言っていいかどうかわかんないですけど、「ニューヨークに着いて、画廊からも呼び出しがかかっているんだけれど、怖くてホテルから一歩も出れない。もうほとんど3日間何も食べてない」、とおっしゃったんですよ(笑)。
横尾: ああ、思い出しました(笑)。
一柳: それじゃあ、ということで、マディソン・アベニューにあった横尾さんのアパートのすぐそばの画廊で待ち合わせたんです。もちろんみなさんご存知のように、横尾さんは非常に好奇心旺盛な方だし、行動力もある方ですよね。それにも関わらずその方が、ホテルから出られない、とおっしゃったのが非常に印象深くて(笑)。
横尾: そうでした(笑)。ワシントン・スクエアガーデンの近くのホテルで、観光客が泊まりそうなホテルではなかったんですけどね。そこで本当3日間、何も飲まず食わずみたいな感じで(笑)。というのも、1階にレストランがあるので入ろうとしたら、二言三言英語で何か言われてそのまま追い出されたんですね。その時は英語がわからなかったんです。まあ、追い出されたというか、ちょっとそこで待っていなさい、て言われたんだと思うんですよ。僕は日本のレストランと同じ感覚でずかずか入っていっちゃったんですね。だけど中にも入れてもらえずに入り口で追い出されたものだから、そのまま怖くなって部屋に帰ってしまって。それから出るに出れなくなってしまったんですよね(笑)。
それでホテルの中にずっといたんですが、ある時エレベーターの中の灰皿の上に新聞が捨ててあったんですね。で、それを部屋に戻って読んでいたら自由の女神のあるマンハッタン島の端から出ているフェリーの中でパフォーマンスをやっているって書いてあったんですよ。そこで僕は思い切って、そこに行って船に乗ったんです。周りは知らない人たちばかりだったけれど、とにかくその船の中ではパフォーマンスが行われていたんですね。今思うとあれがナム・ジュン・パイクだったり靉嘔だったりするんですが。それで船底にレストランがあってそこに行ったら妙なオヤジが声掛けてきて、友達のところに行くからあなたも行かないかって言うんです。何だか知らないけど行っちゃったんですね。その人はその島のお医者さんだって言うんです。だから多分マンハッタンに行けばいい思いができるんじゃないかっていう下心もあってついて行ったらとんでもない、彼が行ったところは倉庫街のものすごいところで、そのお医者さんの彼氏のところだったんですよ。ゲイだったんですね。それでそこに僕が入ったために三角関係みたいになっちゃって(笑)。この話をすると、これだけで終っちゃうのでこのぐらいにしておきます(笑)。とりあえず、そこからは命からがら逃げてきたんですが、4時間ぐらい軟禁されていたと思いますね。日本に帰ってきてから三島由紀夫さんにこの話をしたら、「いやぁ、ニューヨークには本当にそんなところがあるんだなあ。君はいい経験をしたな」なんてえらい評価されたんですよ。それで人が集まると三島さんが「横尾君あの話しようよ」と言うんでその話をするわけですね。で、どんどん話がオーバーになってきて(笑)。まあ、最初のニューヨークはそんな感じでした。その後ですね、一柳さんが電話してくださったのは。
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