ミュージアム開放宣言“ミュージアム・ギャザリング” ― ミュージアムに出かけよう。ミュージアムで発見しよう。ミュージアムで楽しもう。

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横尾忠則 (Tadanori Yokoo)
1936年兵庫県西脇市生まれ。美術家。
1960年代よりグラフィックデザイナーとして活躍。69年第6回パリ青年ビエンナーレ展版画部門大賞受賞。72年ニューヨーク近代美術館、73年ハンブルク工芸美術館、74年アムステルダム市立美術館などで個展を開催し、国際的に活躍。81年に画家に転向し、以降、パリ、ベネチア、サンパウロ、バングラデシュなど各ビエンナーレに招待出品。
近年は97年兵庫県立近代美術館、神奈川県立近代美術館、2001年富山県立近代美術館、原美術館、02年東京都現代美術館、広島市現代美術館、03年京都国立近代美術館などで個展を開催。95年毎日芸術賞、2000年ニューヨークADC殿堂入り、01年紫綬褒章受章。作品は、ニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、ビクトリア&アルバート美術館など内外74館の主要美術館に収蔵されている。

オフィシャルウェブサイト http://www.tadanoriyokoo.com


一柳 慧 (Toshi Ichiyanagi)
作曲家・ピアニスト。1933年神戸生まれ。
10代に2度毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)作曲部門で第1位受賞。19才で渡米、ニューヨークでジョン・ケージらと実験的音楽活動を展開し、1961年に帰国。偶然性の導入や図形楽譜を用いた作品で、さまざまな分野に強い影響を与える。
これまでに尾高賞4回、フランス文化勲章、毎日芸術賞、京都音楽大賞、サントリー音楽賞など受賞多数。作品は文化庁委嘱のオペラ「モモ」(1995)や新国立劇場委嘱のオペラ「光」(2003)の他、6曲の交響曲、室内楽作品、また「往還楽」、「雲の岸、風の根」「邂逅」などの雅楽、声明を中心とした大型の伝統音楽など多岐にわたっており、音楽の空間性を追求した独自の作風による作品を発表し続けている。作品は国内のオーケストラはもとより、フランス国立管弦楽団、イギリスBBC交響楽団、スイス・トーンハレ管弦楽団、ノルウェー・オスロ・フィルなどにより、世界各国で演奏されている。
現在、財団法人神奈川芸術文化財団・芸術総監督。


『ニューヨークの出会い』


一柳: ニューヨークで横尾さんとお会いしたのは1967年でした。私はニューヨークに留学していたので、それまで結構長くいたんですが、確か横尾さんはその時が初めてだったと思います。横尾さんはそれからほとんど毎年いらしたんですよね。しかし、私はその後は数年おきという感じになるんです。ですからとにかく67年にお会いできたというのは非常に幸運だったという気がします。

横尾: 僕は80年代以降、アートの方の仕事をやっていますけど、その頃はグラフィック・デザインの仕事をやってた時期なんですよ。ちょうど天井桟敷という劇団を立ち上げたりして、いろいろ忙しくなり始めて、ちょっとこの辺で自分を見直さなきゃいけないと思って、20日間の予定でニューヨークとヨーロッパへ一人旅をしたんです。で、最初に着いたのがニューヨークなんです。一柳さんとはどこで会ったんですかね。その前に東京では一度お会いしていますよね。

一柳: そうですね。でも、そのニューヨークで会った時が非常に面白かったんです。私は横尾さんが来られたという話を聞いて、横尾さんのところに電話したんですよ。そしたら、こんなこと言っていいかどうかわかんないですけど、「ニューヨークに着いて、画廊からも呼び出しがかかっているんだけれど、怖くてホテルから一歩も出れない。もうほとんど3日間何も食べてない」、とおっしゃったんですよ(笑)。

横尾: ああ、思い出しました(笑)。

一柳: それじゃあ、ということで、マディソン・アベニューにあった横尾さんのアパートのすぐそばの画廊で待ち合わせたんです。もちろんみなさんご存知のように、横尾さんは非常に好奇心旺盛な方だし、行動力もある方ですよね。それにも関わらずその方が、ホテルから出られない、とおっしゃったのが非常に印象深くて(笑)。

横尾: そうでした(笑)。ワシントン・スクエアガーデンの近くのホテルで、観光客が泊まりそうなホテルではなかったんですけどね。そこで本当3日間、何も飲まず食わずみたいな感じで(笑)。というのも、1階にレストランがあるので入ろうとしたら、二言三言英語で何か言われてそのまま追い出されたんですね。その時は英語がわからなかったんです。まあ、追い出されたというか、ちょっとそこで待っていなさい、て言われたんだと思うんですよ。僕は日本のレストランと同じ感覚でずかずか入っていっちゃったんですね。だけど中にも入れてもらえずに入り口で追い出されたものだから、そのまま怖くなって部屋に帰ってしまって。それから出るに出れなくなってしまったんですよね(笑)。

それでホテルの中にずっといたんですが、ある時エレベーターの中の灰皿の上に新聞が捨ててあったんですね。で、それを部屋に戻って読んでいたら自由の女神のあるマンハッタン島の端から出ているフェリーの中でパフォーマンスをやっているって書いてあったんですよ。そこで僕は思い切って、そこに行って船に乗ったんです。周りは知らない人たちばかりだったけれど、とにかくその船の中ではパフォーマンスが行われていたんですね。今思うとあれがナム・ジュン・パイクだったり靉嘔だったりするんですが。それで船底にレストランがあってそこに行ったら妙なオヤジが声掛けてきて、友達のところに行くからあなたも行かないかって言うんです。何だか知らないけど行っちゃったんですね。その人はその島のお医者さんだって言うんです。だから多分マンハッタンに行けばいい思いができるんじゃないかっていう下心もあってついて行ったらとんでもない、彼が行ったところは倉庫街のものすごいところで、そのお医者さんの彼氏のところだったんですよ。ゲイだったんですね。それでそこに僕が入ったために三角関係みたいになっちゃって(笑)。この話をすると、これだけで終っちゃうのでこのぐらいにしておきます(笑)。とりあえず、そこからは命からがら逃げてきたんですが、4時間ぐらい軟禁されていたと思いますね。日本に帰ってきてから三島由紀夫さんにこの話をしたら、「いやぁ、ニューヨークには本当にそんなところがあるんだなあ。君はいい経験をしたな」なんてえらい評価されたんですよ。それで人が集まると三島さんが「横尾君あの話しようよ」と言うんでその話をするわけですね。で、どんどん話がオーバーになってきて(笑)。まあ、最初のニューヨークはそんな感じでした。その後ですね、一柳さんが電話してくださったのは。

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