THEATER MILANO-Zaこけら落とし公演
COCOON PRODUCTION 2023
『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』

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2023.05.09 UP

開幕レポート到着!

アニメ史に輝く金字塔『エヴァンゲリオン』。1995年のTVアニメシリーズ、2007年にスタートし2021年に完結した劇場映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズと、世界規模でムーブメントを巻き起こしてきた傑作をどう舞台化するのか? 東急歌舞伎町タワーにオープンするTHEATER MILANO-Za、そのこけら落としとして『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』が上演されることが明らかになった際、そう思った人は少なくないのではないだろうか。

原案・構成・演出・振付のシディ・ラルビ・シェルカウイは、その答えとしてこれまでの『エヴァンゲリオン』とはまったく異なるオリジナルストーリーを舞台上に立ち上げてみせた。

2012年の『テ ヅカ Te ZukA』、そして2015年、2018年の『プルートゥ PLUTO』(原作:『PLUTO』(浦沢直樹×手塚治虫 長崎尚志プロデュース 監修/手塚眞 協力/手塚プロダクション)と日本のマンガ・アニメに材を取り、ダンス・映像・音楽を駆使して壮大な世界を創出したラルビは、本作でも『エヴァンゲリオン』が持つ卓越したエンタテインメント性の継承に成功。圧倒的な迫力とともに独自の『エヴァンゲリオン』世界を描き出している。

ソリッドな舞台美術と鮮烈な照明、具象と抽象を行き来する映像。そしてバトルシーンには多彩なパペットを導入。SF感覚あふれるギミックは、観る者を近未来にいるような高揚感で包み込む。先鋭的なテクノロジーの象徴に対置された幻想的な歌声と和太鼓演奏は、自分たちのルーツを意識させ、俳優とダンサーの身体は言葉を超えて人々の関係性や感情を可視化。舞台ならではの手法を組み合わせたこの作品に身を浸せば、多角的なイメージをダイレクトに体感することができるはず。

物語は日本への巨大隕石落下が報じられるところから始まる。形成された巨大なクレーターとそこから出現した「使徒」と呼ばれる敵。それらを殲滅するために特務機関メンシュが設立される。司令官である叶サネユキ(田中哲司)は、部下の桜井エツコ(宮下今日子)とエヴァンゲリオンを開発。自分の息子であるトウマ(永田崇人)をはじめ、光条・ヒナタ・ラファイエット(坂ノ上茜)、羽純ナヲ(板垣瑞生)、秋津希エリ(村田寛奈)をパイロットに任命する。だがトウマはすべてから自由になることを望み、この世から消失してしまう。

メンシュの陰にある真実を知る渡守ソウシ(窪田正孝)は、かつての恋人で今はメンシュの現場指揮官を務める霧生イオリ(石橋静河)に接触。さらにエヴァのパイロットたちが通う学校に現れる。そして贖罪と世界の救済のためにある決断を下す――。

襲来する使徒をはじめ、畳み掛けるような物語展開は、すべての問題を限られた時間で判断することを強いられる、現代のスピード感覚を象徴するかのようだ。登場人物たちの葛藤と行動から生まれる変化。そのうねりに身を委ねれば、この舞台が『エヴァンゲリオン』という神話に2023年の世界を映していることがわかるだろう。

登場する大人たちに共通するのは、生きるためにはなにかを犠牲にするのは仕方ないという自己弁護と、現実を理由にそれを正当化するうしろめたさ。窪田はその間で苦しみ、そこから目を逸らせることを覚えた渡守の孤独、決壊する感情を舞台上に立ち上げる。渡守の悲哀に深く根を下ろして表現された窪田の演技は、渡守の選択に説得力を与え、太い幹となってこの物語を支えている。

それとは対照的に、叶はリアリストの名のもとに現実を追認し、自身の理想のために他者を犠牲にすることもいとわない。女性や子供たちに尊大な姿勢を崩さない、硬直した人物として叶を表現する田中。そこには巨大な悪ではなく、市井に生きる人間の欲や業が滲む。

そして、イオリのように真実を知った者はそれにどう向き合い、受け入れるのか。自らのアイデンティティを形作るものが真実ではないと知り、痛みを覚えながらも変わろうとする女性像を、石橋はバレエ経験に裏打ちされた身体表現を交えて繊細に表現。その姿からは生きることは変わることだと感じられる。ダンス作品への出演経験が多い宮下もまた卓越した身体性を活かしながら渡守、イオリ、叶の三者をつなぎ、物語を駆動させていく。

一方、エヴァパイロットを担う子供たちは任務の重大さを意識しながら、その視線は自身の内面、そして自分の周囲のみへと注がれている。エリは環境問題に関心を寄せるが、それも社会問題としてではなく、地球を身近な存在に感じているから。自分と他者、個人と世界の境界が曖昧な様子からは、彼ら彼女たちがまだ子供であることが窺える。

己の感情と肉体を制御しきれないナイーブさ、集団としてのぎこちなさを板垣、坂ノ上、村田が熱演し、そこから解脱し彼らに寄り添うトウマの穏やかな諦念を永田が体現する。エヴァに搭乗する様子はフライングによって表現されるが、そこにはエヴァを操縦する困難さだけでなく、大人の世界に身を置き、自分をコントロールし生きていく困難さも重なっている。戦闘シーンで使用される大きく傾斜した舞台構造も、彼らが拠って立つ場所の不安定さを暗示する。

困難な戦いを強いられた子供たちが交わす議論は次第に深まりを見せ、先行世代の怠慢を撃ち、もはや世界は無思慮な開発や発展を許容しないこと――今を生きる我々が、現在進行形で成熟を求められていることへとたどり着く。渡守は自らの意志でその責任を引き受け、子供が子供でいられる世界を守ろうとする。それはナヲたちが感じている痛みを知る者、そして世界に災厄をもたらした者としての贖罪なのだろう。

ラストシーンに描かれる美しい光景は、痛みを知る渡守の願いであり、多くの人々が願う未来の姿でもある。今の世界を鑑みれば、あの平穏を実現するのは容易なことではない。だがこの作品に触れ、祈りのように人間の内にある希望を信じたいと感じた。

シディ・ラルビ・シェルカウイが手腕を遺憾なく発揮し、観る者を選ばないエンタテインメント作品として完成された本作だからこそ、今の観客に届くものがきっとあるはずだ。

文:大井達史
舞台写真:細野晋司


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