2023.09.15 UP
『ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~』開幕レポート
※開幕レポートにはネタバレ要素が含まれるので、気になる方はご注意を。
舞台の壁面、そして奥から前へとなだらかに傾いた床面のすべてをまっくろの黒板が覆う劇空間から、『ガラパコスパコス』の世界は動き出した。派遣会社に所属し、ピエロのパフォーマンスを生業としている青年・太郎(竜星涼)は、会社の上司・花丸(青柳翔)や新入社員・渡(芋生悠)との短い対話を見るだけでも、自分に自信が持てず、うだつの上がらない日々を憂いていることが伝わって来る。ある日、太郎は道端で出くわした認知症らしき老女・まちこ(高橋惠子)を、ひょんなことから自分の部屋へ迎え入れてしまう。そこまでの展開を俳優のマイムと、彼らが壁や床にチョークで描く文字や絵のみで知らせる趣向、その求心力たるや! 舞台の隅々まで視線を張り巡らせることに早くも集中必至である。この導入に言葉(台詞)が加わった瞬間、次なる段階へと劇世界が切り替わり、太郎とまちこ、二人を取り巻く人々の個々のドラマがうねり出した。
作・演出を担い、自身も出演しているノゾエ征爾が2010年に本作を書き下ろしたのは、当時世田谷区内の特別養護老人施設で巡回公演を行った際に、入居者の方々から受けた印象がきっかけだという。年輪を重ねることで人間は進化していく、そう思いたいけれど“老化”の文字にそのニュアンスは見つからない。舞台に登場するのは、その進化してんのかしてないのかわからない人生の過程で焦り、ジタバタする人々だ。太郎の兄・晴郎(藤井隆)は、謎の老女と一緒にいる弟を心配し、妻・静香(山田真歩)や、やたら平身低頭でつきまとう後輩・耕介(ノゾエ)に対しては苛立ちをぶつけまくる。だが外国語で話しかけてくる太郎の隣人(駒木根隆介)とはフレンドリーな笑顔で巧みにコミュニケーションをとり、憂いごとを隠し通す。太郎のことが気になる渡は、まちこの存在を知ってこの状況から彼を救うべく悩む。その渡に関心を持つ花丸は、不器用過ぎるアプローチが空回りするばかりだ。まちこの娘(家納ジュンコ)は特養ホームから母親が失踪したことで自らを責めて神にすがり、孫娘(中井千聖)はホームの施設長(柴田鷹雄)を厳しく問い詰め、祖母から目を離した職員たち(山本圭祐、山口航太)を過激に批難する。キャスト各々の際立つ個性と表現が客席を大いに沸かせるが、調子っ外れにも滑稽にも見えるやりとりから浮かび上がるのは、嫉妬や現実逃避や自己批判や自己保身や何やかや。大笑いのあとに、いつかどこかで自分も味わったような感覚、身につまされる鈍い痛みに襲われるのである。
個々のドラマの合間合間に、唐突に挟み込まれる“バスにいつも乗れない女”(中井、二役)のエピソードもまた、愉快にも物悲しくも映り、粗忽ゆえか、単に運が悪いのか、人生におけるさまざまな暗示に思えて仕方がない。さらに太郎の高校時代の同級生(瀬戸さおり)と、その夫である高校時代の担任教師(菅原永二)、太郎の成長過程で関わりを持った二人のドラマにも、表からはうかがい知れぬ深い闇が潜む。いつしか黒板で囲まれた劇空間は、それぞれの状況や思惑をチョークで綴った文字と絵で、あますことなく埋め尽くされていた。
目の前に広がるポップなコミック調の光景と、そこに息づく人々の内にうごめく生の焦燥。そのギャップに揺さぶられるなかで、太郎とまちこの繋がりも神聖な空気から重苦しい現実へと変化する。認知が進むまちこに手を焼いて、追い詰められていく太郎の心の叫び、「いったいどこに向かっているの? 俺はどこに向かえばいい?」が我々の胸にも激しく突き刺さる。この先に確実にあるのが老化なら、それは進化と言えるのか? 戸惑うなか、一瞬正気に戻ったようなまちこが太郎を諭す。あまりに危ういけれど、これも進化、そう思いたい。太郎の無骨な純粋をひたむきに体現した竜星と、剥き出しの“老い”から深い慈愛を表出した高橋の、光が優しく降り注ぐような出色の場面だった。
ジタバタとあえぐ人々、それぞれのドラマのピースが一塊になって迎えるのは、壮大な人間讃歌のクライマックスだ。「何よりも人間を大事に描きたい」と語ったノゾエの言葉を思い出し、市井からいきなり宇宙空間へ解き放たれたような清々しさを噛み締める。さて、何度トライしてもバスに乗り損ねていた女はどうなった!? 彼女の渾身の思いに、バスの運転手(柴田、二役)は……。ここはぜひ、劇場で確かめてほしい。どんな微小な一歩であっても進化であり、自らも周囲もそう認め、祝福する社会で生きていきたい。そんな感慨に浸りながら、カーテンコールの熱い拍手に加わった。
文=上野紀子
写真=細野晋司