ツダマンの世界

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2022.11.25 UP

11月23日(水・祝)初日開幕!コメント&観劇レポート到着!!

作・演出:松尾スズキ コメント
みなさま、お元気ですか。
2年ぶりの新作です。もっとばんばん新作を書き飛ばしていた時期もありましたが、
もはや、これぐらいのペースになってしまった松尾です。
だからこそ、一作一作大事に仕上げてまいります。
いっぱい本を読みました。昭和の時代の作品です。調べれば調べるほど昭和の文豪たちは、コンプライアンスとはほど遠い世界を生きておりました。
わたしも無頼と呼ばれた時代もありましたが、さすがにここまでのことはない。
インテリジェンスと野蛮が混在した昭和の文化人たち、それを支えたり振り回されたりする人々の、滑稽で、かつ、ひたむきで、悲惨な姿を、ご堪能ください。

阿部サダヲ コメント
大作です!そんで大作ってやっぱり大変なんですね!出てる役者ほぼ全員、叫んで、笑って、着替えて、歌って、踊って、着替えて、叩いて、被って、着替えてます(笑)大変です!30回くらい?場面も転換するから、スタッフさんも大変です。生放送の歌番組みたいな動きです。松尾さんの舞台に初めて出演されるキャストの方々がとても面白いです!なんでしょう?松尾さんの今までの作品にはなかった新しい不思議な感覚が楽しめそうな気がします!よろしくお願いします。

間宮祥太朗 コメント
「ツダマンの世界」10月に稽古が始まり一ヶ月と少し、気づけば本番がもう目の前まで来ました。
稽古場はとても居心地が良く、少しずつ作品が構築されていく様子に高揚した毎日でした。自分の出ていない部分の稽古を観ている時間も好きだったのですが、本番が始まるとなかなか悠長に観ていられなくなるんだなと、衣裳付きの通し稽古をした時に実感しました。初めて立つシアターコクーンの舞台で、美術照明音響が織りなすツダマンの世界に、これからの本番が楽しみです。

吉田羊 コメント
松尾さんの世界がみるみる立ち上がってゆくのを間近に観られる、幸せなお稽古でした。演出意図はこれかな?と発見出来た日はなお嬉しく、松尾さんの頭の中に半歩近づけたような気がして帰り道の足取りがふわふわと軽かったものです。共演の皆さんの最高に面白いお芝居をかぶりつきで観られた特等席を、今度はご来場のお客さまにお譲りして、私は精一杯、数を生きたいと思います。どうぞ皆さま、めくるめく世界に身を投じ、心ゆくまでご堪能ください。そして観劇後は、様々な感想を"すり合わせて"お楽しみくださいませ。


 

2020年上演の『フリムンシスターズ』以来、松尾スズキ2年ぶりの新作となる『ツダマンの世界』。昭和初期から戦後を舞台に、阿部サダヲ演じる小説家・津田万治=ツダマンをめぐる狂気のメロドラマがついに開幕した。

ディジュリドゥの音色によってどこか不穏なムードが漂う中、暗転が明けると、炎を挟んで霊媒師(阿部サダヲ・二役)と津田家の女中・オシダホキ(江口のりこ)が向かい合う。二人の噛み合わないやり取りに会場からはクスクスと笑い声が起き、観客が一気に物語の世界に引きこまれていくのがわかる。空洞のようにつかみどころのないツダマンをちゃんと知りたいというホキは、霊媒師に生前ツダマンと深く関わっていた人物を呼び出してもらいたいと頼む。その結果、ホキはツダマンの幼馴染の作家・大名狂児(皆川猿時)、ツダマンの愛人で小劇場の女優・神林房枝(笠松はる)、ツダマンの弟子である長谷川葉蔵(間宮祥太朗)の世話係・強張一三(村杉蝉之介)の幽霊とともに、ツダマンが本当はどんな人物だったのか、それぞれの知るツダマンを擦り合わせることで“答え合わせ”をすることに。

 

場面が変わると、川べりに立つツダマンとツダマンの妻・数(吉田羊)、葉蔵が現れる。同じ目的を持ちながらも、その心情は三者三様でどうやらまったく違うことを感じているよう。一体、なぜ3人はここにたどり着いたのか。そのわけをホキと大名、房枝、強張が語り部となって紐解いていく。

 

 

 

主人公のツダマンを演じる阿部は空洞のような男を不気味に演じる。自分を折檻する継母のオケイ(吉田羊・二役)を恨んでいるようでいて、それでもオケイを必死で探す姿が切ない。そして、戦地で生き残るためにツダマンが見せた姿に、俳優・阿部サダヲの凄みを感じた。吉田はすべてを諦めたように生きる数と狂気のオケイという振り幅のあるキャラクターを説得力のある演技で魅せる。一幕の最後、吉田の‟諦めることを決めた”とでもいうような凛とした表情は印象的だった。間宮は、演技に対する反射神経のよさをいかんなく発揮。言動だけを見れば、はた迷惑な葉蔵だが、間宮が演じることで可愛げが増し増しでトッピングされ、気がつけば憎めない男へと変化していく。弟子入りを懇願するシーンでは長台詞をとうとうと語りながら、堂々とした演技で笑いをとっていたのは見事。皆川は得意のコミカルなキャラクターかと思いきや、欲望に忠実すぎる大名が時折見せる狂気を巧みに演じ、そのコントラストで見ているこちらをゾクゾクさせてくれる。村杉と江口のシーンでは、二人の持つ独特なテンポ感が絶妙にマッチして、可笑しみとともに、人に仕えて生きる強張とホキの底知れなさも表現していた。今作が舞台初挑戦となる見上愛は、妖しい雰囲気を漂わせる女郎のお滅と葉蔵に近づくキュートな兼持栄恵を演じわけ、まったく異なる表情で観客を魅了していた。

音楽を松尾自身が担当していることも、今作の見どころの一つ。‟松尾節”とも言えるような独特なメロディと言葉選びのセンスは唯一無二で、その楽曲たちが物語に色を添えていく。「木母寺は妙に青ざめし」を歌う笠松の高音は澄んで伸びやかで、会場を一気に掌握する力を持っているし、大名たちが宴会で歌う「運の月」は一度聞いたら口ずさんでしまうほどキャッチーなメロディで、ジャンルもさまざまな楽曲が次々に登場するのも楽しい。唯一既存曲である「夜のプラットホーム」も松尾によるアレンジが加わり、ちゃんと作品の一部として機能して面白さを増しているのはさすが。

 

今作は松尾スズキが初めて史実を元に紡いだ物語であり、震災や戦争などシリアスな出来事が次々と描かれる。しかし、松尾ならではの笑いが随所に散りばめられているので、観客たちは重いムードの中を進むというより、ゲラゲラと笑っている間に気がついたら崖に立たされていたような、急にのっぴきならない状況にいることに気がつくのである。

ラスト近く、文学界の最高峰である月田川賞をめぐってツダマン、数、葉蔵は追い詰められていく。最後まで、数と葉蔵に正面から向き合おうとしないツダマン。本当の彼はどんな人物だったのか、その答えは観客に委ねられる。しかし、葉蔵からの手紙を戦地でも大事そうに抱えるツダマンを見ると、彼自身きっと本当の自分を知りたかったのかもと思う。そして、いままでツダマン、大名、葉蔵という作家たちに蔑ろにされてきた数が、最後に選ぶ結末は決してキレイなものではないけれど、みっともなくても惨めでも、それでも生きていく人間の強さを感じて拍手喝采を送りたくなった。そういう抑圧されてきた人たちを、松尾は見落としたりしないのだ。そして、最後の最後に用意されたどんでん返しによって、物語の手触りが一気に変化するのも衝撃で、それを知った上でもう一度この物語を見返したくなった。

文・末光京子
撮影:細野晋司