2022.06.20 UP
『パンドラの鐘』観劇レポート&舞台写真を公開!!
『パンドラの鐘』初日観劇レポート
演劇が継承され、新たな命が繋がれた瞬間
収納された照明機材などが掛かる舞台上の壁面が、むき出しのまま左右と奥の三方を囲み、その中央にはまっさらな白木の床が四角い浮島のように据えられている。劇場に入った観客は、普段は見ることのない舞台の機構部と能舞台の神聖さが共存する劇空間に相対し、その不思議なギャップに上演前から魅了される。
故 蜷川幸雄がシアターコクーン芸術監督となった1999年。蜷川は就任に先立ち、世代は違えど共に日本の演劇界を背負い、世界を舞台に戦っていた同志・野田秀樹に書き下ろしを依頼する。結果、野田の新作戯曲を両者それぞれの演出で同時期に上演という演劇的事件が起きた。
「事件」=『パンドラの鐘』初演から23年が経つ今年は、惜しまれつつ現役演出家のまま世を去った蜷川の七回忌。「NINAGAWA MEMORIAL」と冠し、その『パンドラの鐘』に新たな命が吹き込まれる。大役を担うのは、蜷川の仕事に憧れて演出家を志し、創作上の師の一人であることを公言する気鋭の演出家・杉原邦生だ。感染症禍で約4か月間休館を余儀なくされたシアターコクーンの再開を飾る、劇場の裏表すべてを使って作品化した『ライブ配信のための演劇「プレイタイム」』の演出・美術(2020年 梅田哲也 共同演出)や、COCOON PRODUCTION2021『シブヤデアイマショウ』(松尾スズキ 総合演出)のコーナー演出も務め、劇場とは既に浅からぬ縁を結んでいるが、コクーン単独演出は初となる。
第二次世界大戦前の長崎、その海辺の一画で行われている考古学の発掘調査現場と、王を葬り、まだ幼い女王を戴くことになった古代の王国とを往還しながら『パンドラの鐘』の物語は紡がれる。発掘を依頼したのはアメリカのピンカートン財団。財団の長であるピンカートン未亡人(南 果歩)とその娘タマキ(前田敦子)、発掘を指揮するカナクギ教授(片岡亀蔵)、助手のオズ(大鶴佐助)とイマイチ(柄本時生)が現代パートの主要人物だ。
一方の古代パートは新たな女王となるヒメ女(葵 わかな)と彼女の側近であるヒイバア(白石加代子)とハンニバル(玉置玲央)、狂気のため偽の葬儀で葬られる狂王(片岡亀蔵)、その葬儀を執り行うミズヲ(成田 凌)と葬儀屋たち(森田真和、亀島一徳、山口航太、武居 卓)らが担う。
ガラクタばかり出土する発掘現場からオズがみつけた1本の折れ釘。それは数を増し、その釘が繋ぎ、形づくっていた「もの」の姿を見せ始める。一方の古代王国は、他国を襲い奪うことで栄える海賊の国。略奪の戦場に同行していた葬儀屋ミズヲは、奇妙な形の巨大な「土産」をパンドラという都市から持ち帰る。叩くと美しい音がし、その音に魅せられたヒメ女は「パンドラの鐘」と名づけて弔いのたびにこれを鳴らすこととするが……。
歌舞伎演目を新たな視座で読み直し、現代化して上演する「木ノ下歌舞伎」で代表の木ノ下裕一と組み多くの作品を演出し、また歌舞伎俳優・四代目 市川猿之助と共に「スーパー歌舞伎Ⅱ」も手掛けている杉原は、古典作品とその表現、手法に造詣が深い。今作にもその知識や経験が存分に活かされ、野田が戯曲執筆の際に連鎖させたイメージの一つ、歌舞伎舞踊の『娘道成寺』のビジュアルが要となるシーンに重ねられる。
14歳ながら国を背負う王となり、急速な変化と成長の先に大きな決断を迫られるヒメ女と、真逆の時間を生きながら同じ終末の光景をヒメ女と共有するミズヲ。演じる葵と成田の透明感すら感じさせる真摯な居様は役を越えて観る者の胸に刺さる。殊に初舞台の成田が終幕で魂切る叫びで舞台に刻む「ミズヲ」の名の由来は、鳥肌立つものがあった。葵の、幼さゆえの無垢な心のまま王族の自己犠牲を遂行する覚悟、そのいたいけな美しさと共に、この舞台でしか観ることのできない今だからこその、無比の演技と感じられた。
作品の始まりを告げる最初の台詞から独自のリズムと音で戯曲を奏でる大鶴、飄々とした演技で場をかき回す柄本、現代の狡猾な教授と古代の狂王の様式美を柔軟に往還する亀蔵、正確無比な演技で場を推進する玉置、コケティッシュな魅力を振りまく前田、ハイテンションの中に歴史を見通す冷酷な視線まで見せる南、そして圧倒的な存在感で野田戯曲の言葉を体現する白石まで、俳優陣には一部の隙もない。
さらに葬式屋の四人と共に場ごとに役割を変え、黒衣として場面をつくるため種々の役割を果たす6人のダンサー(内海正孝、王下貴司、久保田 舞、倉元奎哉、米田沙織、涌田 悠)、その変幻自在な在り様も演劇的な醍醐味に満ち、舞台に躍動感を加えている。
日本独自の紋様や結びの技術などを巧みに取り入れるデザイナー Antos Rafalの衣裳、和楽器の音色も織り込んだm-floの☆Taku Takahashiのエモーショナルな音楽、歌舞伎を知り尽くした金井勇一郎の美術など越境と革新に満ちたプランナーたちの仕事も、目に耳に多種多様な喜びを届け、作品の厚みを一層確かなものにしていた。
何より、それらカラフルで綺羅綺羅しい要素を時にミクロの単位でこまやかに、時に大きく俯瞰しながら作品との相互作用を吟味し、最大限の効果を発揮させるべく指揮する演出家・杉原の手腕が小気味よい。
ラスト近く、現代のオズが解く出土した鐘に記された文字が示すことと、古代の王国に迫る危機が、海の向こうの戦禍が日々報道される私たちの現在、諍いや略奪が決してなくなりはしない人類の愚かしい歴史と色濃く重なり呼吸が浅くなるようだ。苛烈な現実に臆することなく対峙し、民を、国を守るためにその身を投げ出すヒメ女のような執政者はこの世界に存在するものか。そんな答えのない問いが頭をよぎる終景に、命のありなしを越えたミズヲとヒメ女の再びの美しい邂逅、そして蜷川への限りないオマージュとしての“ある演出”が施され、作品はきれいに円環を閉じる。
20年以上の時を経てなお鮮やかに現代を照射する普遍的な戯曲。そこに果敢に挑み、自身の現在を力一杯注ぎ込む演出家とカンパニーが導き出した新たな『パンドラの鐘』は、演劇が有史以前から脈々と受け継がれ、人間とその世界の道標として機能してきた歴史にページを加えるもの。
作品の公式HPに寄せた文章の締めに野田は、「バトンは渡された。」との一文を配した。そして公演初日、3度目のカーテンコールの際に舞台上に招かれた野田は、並び立つ杉原に握手を求め強くしっかりとその手を握る。
演劇が継承され、新たな命が繋がれたあの情景は、目撃した全ての人の記憶に深く刻まれたはずだ。
文:尾上そら
撮影:細野晋司