マシーン日記

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2021.03.03 UP

『マシーン日記』観劇レポート&舞台写真を公開!!

待ち詫びた『マシーン日記』初日の幕が開けた。当初、2月3日に予定されていた初日を3日遅らせての開幕だったこともあり、劇場内にはどこか緊張感のようなものが漂う。対面式の客席の間には円形の舞台が設えられ、上手と下手の両側には袖と舞台を結ぶ橋が掛けられる。当初からこの作品を囲み舞台で上演することを公言していた演出の大根仁。松尾スズキによる演出では、舞台上に壁を立て、わずかに開いた窓から覗く様子から想像させていた世界をすべて見せてしまおうという思い切った決断。公演プログラムパンフレットのインタビューでも、松尾さん演出とは敢えて違う見せ方を意識したという旨の発言をしているが、敢えて高いハードルを自らに課し挑んでいく姿勢にクリエイターとしての矜恃を感じる。

劇場に雷鳴が轟き、暗転後、照らし出されたのは、半裸でおにぎりを手にしている男・ミチオ(横山裕)。もともと色白で知られる横山だが、その金髪とライティングとで発光しているかのように見える。その隣に横たわるサチコ(森川葵)。明らかに〝コト〟を終えたばかりの様子。ミチオは笑顔でおにぎりを頬張り始め、そんな彼の姿にサチコは笑い声なのか泣き声かわからない声で応えるのだが、そこに甘やかな匂いはない。漂うのはふたりの奇妙な連帯意識と孤独、虚しさそして痛々しさだ。

ミチオの兄・アキトシ(大倉孝二)は、弟がサチコを強姦した責任をとる形で彼女と夫婦となり、ミチオを離れのプレハブ小屋に鎖で繋ぎ監禁する。アキトシを演じる大倉孝二の見せる、抜けた笑いと狂気のバランス感が絶妙だ。歪んだ家族であるにもかかわらず、朝の食卓を囲むことに執着し団欒を強調する。テンションは異様にも映るが、なぜか大倉が演じると軽妙さが生まれ、クスクス笑いが劇場を包む。

 

そんな一見なごやかな家族の和が、ケイコ(秋山菜津子)の登場とともに変化する。サチコの中学時代の教師だった彼女は、一家が営む「ツジヨシ兄弟電業」にパート従業員としてやってくる。そして機械フェチのケイコは、携帯電話を修理してもらったことをきっかけにミチオのマシーンになることを宣言し、ふたりは関係を結ぶようになる。

これまでケイコを演じてきたのは170cmオーバーの女優たち。それに比べ、今回の秋山菜奈津子は小柄ではある。しかし登場からそこを補って余りあるほどの強烈な存在感を放ち、足の運び方や姿勢、表情から、人間味を排したケイコという人間の異質さが匂い立つ。そんなケイコと対称的に、オドオドとした態度のサチコを演じる森川葵のキャラクターもいい。小さく肩を丸めた自信なさげな姿勢、落ち着きなく動く視線に上ずった口調から、サチコの学生時代が容易に想像できた。

無為に繰り返されていくミチオとケイコのセックスや、アキトシのサチコへの暴力シーンは、今回ダンスで表現されている。ダンスという形をとることで、それが彼らにとっては無為なものであることがより強調されているように感じた。外から見れば異常とも思える状況でありながら、ツジヨシ家の人々にとっては、性行為も暴力も日々のルーティーンのひとつにすぎないのだろう。そして、こんな歪んだ日常に身を置きながらも、彼らは現状に止まり続けようとする。〝家族〟というつながりは、プレハブとミチオを繋ぐ鎖のようなものなのではないだろうか。自らを家に縛り付けるものであるが、その一方で、断ち切ろうと強く願い行動に起こせば、そこから解き放たれることもできるであろう鎖。しかし、ミチオもアキトシもサチコも、世間からはみ出した者たちだ。家族という鎖が、外で待ち受けている生きづらい外の世界から彼らを隔離し、プレハブの中の〝日常〟にこもり続ける言い訳にを与えてくれてもいるのだ。

ミチオを演じる横山が、今作にもたらしてくれるものは大きい。バラエティ番組などで観る彼は、賑やかで喋りの達者な明るいキャラクターだ。しかし、観客に囲まれセンターステージでライトを浴びる彼の佇まいには、どこか孤独の影を感じさせるのだ。ケイコとのセックスシーンも、盗聴を楽しげに告白するシーンも、その瞳はどこか空虚で、彼の満たされなさを肌感覚で感じさせてくれた。アイドルという立場でありながら、自意識というものを徹底的に廃した透明な存在感とでもいうのだろうか。それがこの作品に生々しいリアルさを加えている。

 

中盤、ケイコがミチオの子供を身ごもったことで、家族の均衡が揺らぎ始め、さらなる狂気的な展開に向かっていく。目の前で起こるのは凄惨だったり猥雑だったりするはずなのに、どこか滑稽で馬鹿馬鹿しくも見え、そしてどうしようもなく切ない。終盤、「オズの魔法使い」のドロシーに憧れてきたサチコが、ドロシーになりきり、そこに「Over the Rainbow」が流れる場面がある。その瞬間、ずっと作品を覆ってきたドロドロとした分厚い雲が一瞬だけ晴れ、明るい光が差し込んだ。しかし、安易なハッピーエンドを拒否するかのように、物語はさらなる衝撃の展開に向かっていく。でも、われわれのいるこの世界というのは、きっとそんなものなのだろう。理不尽なものが幅をきかせる〝わりきれない〟世の中。それを笑ったり泣いたりしてやりすごしながら、ただただ生きていく。それは諦めでも自棄でもなく、そういうものなのだと、言われているような気がした。

 

文・望月リサ
撮影・細野 晋司