空ばかり見ていた

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2019.03.25 UP

観劇レポート公開!

岩松了が約4年ぶりにBunkamuraシアターコクーンに向けて書き下ろした『空ばかり見ていた』が上演中だ。のどかな響きのタイトルだが、12人のキャストの会話と対話の底には、さまざまな色濃い感情がうごめいている。

 

いつの時代か、どこかもわからない廃校。辺りに生い茂る木々から想像するに、南国なのか…。その教室に秋生(森田剛)が歩いてくる。気づけば視線の先には女(筒井真理子)がいた。はっとして「田中さん…」という秋生。彼が自分が疲れていない、いや疲れていたんだ、と曖昧な言葉を続けた後、田中はあの日のことを語り出す。それは、秋生の恋人リン(平岩紙)が襲われた日——。

 

ヘリコプターの音とともに、時間軸が変わった(ようだ)。

 

廃校は、秋生が属する反政府軍のアジトなのだった。この時点で秋生はそこにはおらず、いるのは兵士7人と捕虜が2人。彼らは一体どんな戦いをしてきたのだろう。そもそも何のために戦っているのか?といったことは説明されないまま、教室を行き交う人々の会話と対話が続く。それにしても内戦中の兵士たちのアジトにしては、小さな椅子と机が並んだ場所は懐かしい匂いがするし、普通に抱く戦争のイメージとはズレがある。

ズレを感じるのは登場人物たちのやりとりもそうだ。田中さんは驚いたことに生保レディで、兵士たちに生命保険を熱心に勧めている。もう1人、外界からやってくるのは兵士の母・登美子(宮下今日子)だ。息子の健康を心配してサプリメントを飲みなさいと言う。彼女たちを当たり前に受け入れるリーダーの吉田(村上淳)。何かがおかしい、なんだか可笑しい…。

兵士たちは兵士たちで、土居(勝地涼)が撮った写真をネタにふざけたり、捕虜のカワグチ(豊原功補)をターゲットに意地悪な遊びをする風景は、単調な毎日の憂さ晴らしのようだ。だが、リンが何者かに襲われて教室に運び込まれた時点から、人間関係の軋みがジリジリと音を立て始めた。実は秋生は、リンを本当に愛しているかわからなくなっている。吉田を尊敬していたからリンを好きになったのか、俺はそんな人間だったのか…と。ここに岩松が描きたかったと語る「果たして、恋愛はそれだけで成立するのか」という物語の主題がある。

リーダーからも後輩からも信頼される優秀な兵士でありながら、根底で揺れ続ける秋生を演じる森田が鮮烈だ。岩松の戯曲は一見、会話や対話が成立していないようなのに、不思議なリアリティがある。何気ない言葉が美しく、素敵なリズムがあって聞き入ってしまう。と同時に、意表を突かれてクスっとさせられることもたびたびだ。

その台詞を森田が発すると、芝居全体の熱量がぐっと上がる。通る声、口跡の良さ、大げさではないのに台詞が鮮明に立ち上がる演技が、秋生の底にある感情を波立たせては静まらせ、ドラマを生んでいく。平岩のリンからは秋生の愛を失う不安に震える女心が見え隠れするのが愛らしく、村上演じる吉田は、人の良さがつい出てしまうところに人間味がある。勝地の土居は秋生を尊敬しているようで、腹に爆弾を抱えているような不気味さが、豊原功補演じる捕虜のカワグチからは、一兵士でいることの理不尽さと悲しさが漂う。さらに筒井の田中と宮下の登美子は、タイプは全く違うものの、どんな状況でも生きていく女性の強さを体現する。そのほかの兵士たちは皆デコボコとした人間性が見えるのが面白い。

 教室のみのセットは能舞台にも似て、ということは、彼らは死んでいるのか?自然と想像と妄想が膨らみ、謎を解明しようと今、目の前で起きていることから目が離せない。いつしか物語に入り込み、舞台の中に住んでいる気がする、まさに演劇ならではの醍醐味を与えてくれる1作。ますます熟していくであろう俳優たちのやりとりから、感じることはたくさんあるはずだ。

 

 

 

 


文・宇田 夏苗
撮影・細野 晋司