TOPICSトピックス

2015.11.04 UP

【初日レポート】

戦争/日常をめぐる、切ない人間喜劇

薄暗く、がらんとした舞台。舞台脇の瓦礫の影から背の高い男がぶらりと姿を現す――。シアターコクーンでは初となる中村獅童主演の現代劇、さらには上田竜也や前田敦子といった人気若手俳優を擁する岩松了の新作舞台『青い瞳』。女性客を中心にした客席の華やぎ、立ち見客も出る熱気をよそに、静かに、ごくさりげなく初日の幕はあがった。
冒頭の男は、帰還兵のツトム(中村獅童)。苛烈な戦争体験を経て、家族のもとに戻った彼は、「日常」への違和感を拭い去ることができず、自らの居場所を見失っている。そんな彼を救うため、母(伊藤蘭)は、子どもの頃のツトムを心の迷いから解き放った恩人「タカシマさん」(勝村政信)との再会を取りはからう――。
帰還を喜ぶ母との気持ちのすれ違い、「タカシマさん」とのよそよそしい再会と思い出話、戦友の遺族の訪問……物語はツトムの心の漂流、周囲の人物との関係を軸に展開する。だが、場面を追うごとに居場所を探っているのはどうやら彼だけではないらしいことも分かってくる。時には母への甘えものぞかせつつ、凄絶な体験を内に秘めた男を演じる獅童はもちろん、前のめりな愛情と底知れぬ懐の深さを併せ持つ伊藤の母親像、勝村が体現する欲望の切れ端と諦めとの間を行き来する中年男「タカシマ」の胡散臭さと誠実さ……。この舞台上では誰もが一つの身体に異なる複数の顏を持ち、揺れ動いている。若者たちも例外ではない。街の酒場に集う若者グループの一員・サムを演じた上田竜也は、モノローグを多用した台詞と格闘しながらも、青さと知性が入り交じる青年の自意識を巧みに浮かび上がらせたし、反抗期まっさかりの妹・ミチルを演じた前田敦子もまた、家族への苛立ち、酒場に集う仲間や恋人・サムにかけた期待や失望を通じ、さまよえる若者の姿を鮮やかに印象づけていた。
戦争をテーマにしているだけに沈鬱な印象も先行する本作だが、実は随所に笑いを散りばめた「喜劇」の側面も持っている。中でも作・演出の岩松了自身が演じたツトムの父と家族とのやりとりは、母親中心に動く家庭の状況にうまく参加できない父親ならではの切なさもはらむ、味わい深い笑いに満ちていた。また、劇中にはかつてあったはずの「日常」や「平和」を振り返る言葉が幾度も登場する。「昔はこんなじゃなかった」「充たされていた日々」「あんた覚えてる?」……。だがそうした思い出は、どれも個人的で、不確かで、語る人によって、面白いほど食い違っている。自分たちの生きてきた「日常」がどういうものであったのか、それすらうまくつかみ取れずに、すれ違い続ける登場人物たちの姿は、物悲しいが、やはり喜劇的だ。
やがて訪れる終幕。そこで展開される衝撃的な光景は、そこまでの物語——ツトムが馴染めなかった、戦後の、平和になったはずの、「日常」の出来事——を否応なしに振り返らせるものだった。どの場面に、どの台詞に、人々が幸福を求め、日々繰り広げる生活のどこに、この結末の原因が埋め込まれていたのか。もちろん、答えはたやすくは見つけられない。分かるのはただ、私たちは、戦争も知らないが、日常についても、まだ、まるで分かってはいないということだ。



文:鈴木理映子
写真:細野晋司