フランス文学の愉しみ

No 6グローバリゼーションの歴史上の先駆けを明かす小説

『天は語らず』
モルガン・スポルテス著/吉田恒雄訳/岩波書店

背教者となった伝道師の心理をサスペンスに描く歴史フィクション

このBunkamuraのWEBサイトにおける『フランス文学の愉しみ』に寄稿を始めて、やっと6回目となりました。
前回までに取り扱った5作品のうち、3作品は「歴史小説」と言われ、またその中で、実在の個人の人生を扱った作品が2作品ありました。今回の作品も歴史小説であり、一個人の人生を中心にすえた作品です。実際、ここ10年以来、特に歴史的事実や資料に基づいた作品がフランス文学界でも多く見られます。小説と歴史の関係を、作者がどう捉えて、かつ小説として作品を発表しているのかは、それぞれの作品が発表されるごとに話題になり、それぞれの作家がその問いにそれぞれの言葉で答えているようです。

今回の作品、モルガン・スポルテス1の小説『天は語らず』Le Ciel ne parle pas2はこれまでとは背景が全くことなるものです。まず舞台は17世紀前半の日本です。地方は九州、長崎における、ヨーロッパから来る、ポルトガル、スペイン、オランダ、イタリア人のキリシタンとよばれたキリスト教徒たちと、日本は徳川家を長とした長崎奉行の間の、さらに長崎の農民と外国のキリスト教徒が天草四郎の下で共に幕府軍と戦った島原の乱等、さまざまな確執、交渉、戦いが1641年の日本の完全鎖国に至るまでを、主人公クリストヴァン・フェレイラの目を通して語られています。フェレイラは1609年29歳の時にイエズス会の伝道使徒として長崎に着きました。その後日本管区の管区長代理を務めていたフェレイラは、24年間の伝道の使命の末、厳しいキリシタン狩りの中で、すでに相当に危険な状況に陥っていました。1633年に終に逮捕され「穴吊り」の刑(棄教するか絶命するまでの拷問)に処されます。多くの同志、同胞が数日後に殉教したにも関わらず、フェレイラは5時間で棄教を選び、命を永らえます。それだけでなく、日本人女性を娶り、仏教に改宗し、将軍の命により日本の宗教裁判に関わり、キリスト教を弾劾し、かつての同胞たちを裏切り、死にさえ追いやるのです。

この小説は、その歴史的出来事に信憑性があるかぎり、それまでの読者のさまざまな問いに答を与えてくれるでしょう。3なぜキリスト教は17世紀に禁止となったのか。それ以前に、なぜ多くの日本人がキリスト教徒となったのか。そして、なぜ主人公、日本管区の管区長代理であり30年も布教に身をささげてきたフェレイラが棄教しただけでなく、それまでとは180度翻って、キリシタンを弾劾し、キリスト教の攻撃文書までを表したのか。殉教とはなにか。なぜ殉教を望むのか。

答えの大半は、スペイン人とポルトガル人が日本を訪れ、布教と経済活動を始めた16世紀に、フランシスコ・ザビエルという死後聖人となった修道会士が日本に来た1549年ごろのヨーロッパ世界の政治的、宗教的、経済的状況にあります。カトリックはヨーロッパにおける権力の弱体を挽回する南アメリカでの布教(と侵略)の成功に乗じて、アジアでの成功をも求めていました。マカオにいるポルトガル人の商人たちは、日本の地下資源である銀や、磁器製品、絹製品を求め、スペイン王は君主専制主義的な野心を持って、そしてイエズス会とフランシスコ会の修道士たちはキリスト教会の覇権を拡大する、日本における布教を目指していました。小説の中でも多く登場する、フェレイラの背信的行為に対する省察や、幕府とキリスト教勢力の間の駆け引きをめぐる会話の中では、日本人の読者にはなじみのない発想、知ることのなかった当時の日本における経済活動の状況と高い生産性が語られています。純粋に宗教的使命感による布教と殉教を望む修道士たちの狂信的な態度とともに、カトリックの同胞を追い出し、自分たちで日本の持つ豊かな資源と産業製品による市場と利益を独り占めしようとするオランダ人(プロテスタント)の目論見が、当時の政治、経済、宗教的勢力の世界的発展、グローバリゼーションのプロセスを明らかにしています。

長崎奉行所を代表とする日本側は、巧みに西洋人たちの交渉、説得を打ち崩しつつ、キリスト教徒撲滅に突き進みます。後者の論理とは全く逆(フランス語では  « à l’envers »)の発想、世界観を持つ日本人は、狂信的にも映るキリシタンの論理に屈することはありません。しかし宗教の違いは敵を倒す口実のようにも見えます。日本の目的は 《外からの脅威を排除する》ことにあり、後に起る「鎖国」への準備であったのです。事実、日本はこの「鎖国」によって植民地化の危険を逃れます。

狂信とは宗教に関することのみに認められる態度でしょうか。というよりも、ある主義思想、XXイスムと呼ばれる運動に付随する絶対的確信を根拠とする人間が自己または他者を破壊する行動を導くものではないでしょうか。恐らく、《生きる》ということは、二の次でしかないこととみなされるような集団的思想に支えられている状態にも思われます。(この物語の伝道士たちの殉教を求める行動に是非を唱えるものではありませんが。)長崎奉行による極めて残忍なキリシタンに対する拷問にも驚かされ、信じがたいと言いたくなりますが、キリシタンたちの棄教を拒む姿にも、現代人は途方にくれるのではないでしょうか。とはいえ、この非常に道理のない紛争はどこかで見たような気がする…つまり、作者が作品に描くような状況、17世紀の日本を廻るヨーロッパ列強とそれに対抗する勢力の争いを、現代のグローバリゼーションの動きの中での世界各地における紛争に重ねあわせて見ることができるということが、この作品の最も個性的な側面であり、モルガン・スポルテスは、争う人々のお互いに対する「分からなさ」を具体的に描くことに成功していると思われます。この相互不理解が異なる文化、人種、宗教の人々の間における紛争の重要な原因の一つなのではないでしょうか。

幸運なことに、モルガン・スポルテス自身の言葉、この作品の読者に対するメッセージを得ることができましたので、拙訳ながら、以下にご紹介させていただきます。4

Q : あなたの小説『神のより大いなる栄光のために』『シャム』において、あなたはすでに東洋、特にアジア大陸を取り扱っています。あなたはこの世界の地域とどういう繋がりをお持ちなのでしょうか。

©Yoko Shiga

M.S.(Morgan Sportès) : 極東、私は子供のころから極東を夢見ていました。ピエール・ロティ、日本の浮世絵の美しい娘たちです。それは私にとっては一神教同士の間の血生臭い馬鹿げた争いから逃れる一つの方法であったのです。私の父はポルトガル系のユダヤ人、母は反ユダヤ主義になったカトリック教徒で、イスラム教の国に住んでいたのです。その国、植民地であったアルジェリアで、私は生まれました。24歳の時、私はタイのチェンマイ大学で教師の職を得ました。タイ(仏教国です!)は、当時は旅行者にも知られていませんでした。1973年にはヴェトナム戦争がいまだに猛威をふるっていたからです。田舎では、子供たちは『白人』を見たことがありませんでした。私は彼らにとって、彼方から来た生物だったのです!キング・コングみたいな!彼らは私の高すぎる鼻や濃い体毛なんかを見て笑いました。私のいろいろな作品に描かれている日本もシャムも、植民地ではなかったのです!

Q :(あなたの小説に描かれているような)インド諸島のキリスト教布教や日本の宗教裁判の歴史は、今日におけるファンダメンタリズム(原理主義)の再来を思わせるものでしょうか。

M.S. : 17世紀と現代の21世紀を同じように見るのは無理でしょうか?とどのつまり、歴史をとおして、私たちは現在に対して距離をおいた視線を投げかけることができます。当時は、スペイン人がファンダメンタリスト(原理主義者)だったのです。彼らは「世界的君主政体」という夢を、もちろんカトリック教の、つまり、メキシコの後に中国と日本を飲み込むという、夢を見ていたのです。日本で迫害が始まるやいなや、その危険に身を晒し続けていた伝道士たちは自分たちが死ぬことに、殉教することになることを知っていました!しかし彼らは(彼らの)神を信じていたのです。その真理を、それも唯一の!悲壮なことです。クロード・レヴィ=ストロースは私の『歴史の美しい部分に対する、そして人間の苦難のしばしばへんてこな側面に対する鋭い直観』について話しました。…他の問題があります。(あちらこちらでの我々の『人道主義的な』武装介入が増幅していることで、)現在甚だしく話題になっている、将軍がかつておろそかにすることがなかった問題、つまり国家の覇権の問題です。ローマやスペイン王は他人のことに干渉するべきではなかったのです !

Q : フェレイラは有名な背教者で、裏切り者の人物像はあなたの作品群で重要な位置を占めていますが、裏切りの何が文学上であなたに興味を与えるのでしょうか。

M.S. : 「裏切り者たち」というのは非常に文学的な登場人物です。ガヌロン5、イアーゴ6、ユダ7というように!イエズス会士の背教者クリストヴァン・フェレイラは、その物語が17世紀の日本においてであったということで、さらに驚くべきことなのです。日本は当時のヨーロッパの作家たちによると、「全てが我々の慣習の逆を行く国である」からです。司祭の装束を日本の宗教裁判官の着物に着かえたフェレイラは、衣だけを変えたわけではありません。魂までを入れ換えるのです。私たちヨーロッパ人を構築する全ての哲学的理論、その自我、「主体」の傲慢な確信に基づくユダヤ・キリスト教のフィクションが、それ自身の内から、崩れ去っていくのです。空っぽで、沈黙するままの神の国のもとで、大地と人間は永久にわが身を映し認めることを止めるのです。アーメン!

「空っぽで、沈黙するままの神の国」のもとで苦悩するキリスト教宣教者の苦悩を描いた作品として、だれもが思い浮かべるのは遠藤周作の傑作『沈黙』です。この作品はフェレイラの棄教の後にローマからフェレイラの棄教の撤回と殉教を目的として日本に危険を冒してくる若い伝道司祭の苦悩を描いています。2016年のマーティン・スコセッシ監督による映画でもおおいに話題となりました。『沈黙』においては、もっぱら信仰における人間の苦悩、神の沈黙にいかなる意味を見出すかということが問題となっていますので、スポルテスの『天は語らず』とタイトルは酷似していても、内容的には異なる視点、ビジョンの作品と考えられます。

日本人のさまざまな分野における驚くべき優秀さ(拷問についてはかなり詳しい描写がありますので気の弱い方はご注意を)、文化の繊細さ、当時の政治、経済状況をふんだんに紹介しているこの作品には、日本人読者のみなさんも驚かされることと思います。しかしながら、私にとってやはり物足りなさが残る部分があるとすれば、キリシタンたちの内面を克明に分析するのに対し、日本人の描写はやはり外からの視線にとどまっているように思えることです。なぜ日本人は、経済的な利益という理由(生死にかかわることでもある)のもとに、それほど多くの大名、侍、農民までもが改宗をしたのか。それは私にも計り知れないことであると想像されますが、キリシタンとなり殉教した日本人の信仰は、フェレイラの信仰となにが違ったのでしょうか。ところで、作者はフェレイラが比較的短い時間の穴吊りの後に棄教したこと、そして磔の刑であれば殉教していたかもしれないことを示唆します。そして、その真っ暗闇の中で逆さに宙づりにされたフェレイラが「おれはここでなにをしているのだ」と自問したかもしれないことも。さらに、フェレイラの改宗はその時の決心ではなく、30年あまりのアジアにおける、そして24年間の日本における彼の生活の中で準備されていたことであるとも。天と地の方向性の中で、天をあおぐ存在として自己を位置づけるキリスト教の絶対的世界観を持つ者が、天地を持たず宇宙的に浮遊する相対的世界観の文化のなかで、決定的に発想の転換に行きついた瞬間であったのでしょうか。

このような視点の移動と発見ということに、モルガン・スポルテスの作品は捧げられていると考えることができます。2017年9月にパリ日本文化会館にて開催されたモルガン・スポルテスの講演会において、登壇者の哲学者ピエール=ユリス・バランクは、この作家の作品群について以下のように紹介しています。

モルガン·スポルテスは30年来多くの小説を発表し、数々の文学賞を受賞している作家であるが、その作品のジャンルはおおむね社会と歴史、そして異国(東洋)を舞台としている。それは、作家の文筆が多くの省察の経験を拠り所としていることを示す。過去にせよ、現在にせよ、そこにはいつも観察の視点の移動(ヨーロッパという発想の中心を多極化する)というものが存在している。国内外の語られる事象、歴史的事件であれ、現代の社会現象であれ、を客観的にとらえ、それだけでなく、その「他者」の視線を通して事実を語ることを個人的な経験を通して試みているのである。それは、ヨーロッパ的主観の自己分析を伴い、その自己意識を相対化させ、対蹠にある《他者》との出会い、発見を目指す姿勢なのだ。

私見ですが、さまざまな世界で起きた、起きている事象を通して、現代のグローバリゼーションが進む歴史の道への模索に導くような意図が、モルガン・スポルテスの歴史的資料に基づく小説の執筆の一つの動機となっているのかもしれません。《多様性》を認識し受容することの困難の後に、他者たちとの共生は果たして実現するのでしょうか。

最後に、モルガン・スポルテスの文体の特筆される部分を一つご紹介します。大変な博識と雄弁さは勿論のことですが、それに支えられた、ほとんどブラックと言えそうな彼の「ユーモア」がしばしば登場することです。例えば、「キリスト教の地獄は、仏教のそれとは違って永遠だというわけだ。」「ある年老いた農民の女がラテン語で祈るとき、いつも 《アヴェ・マリア》とはなく、 《アベ・マリア 》と言っていたのを思い出した。」発音の違いかと思っていたら、そうではなく 、その日本人はマリア様は「安倍マリア」(安倍川のそばで生まれたからだ)という名と思っていて、死ぬ時もそう唱えていただろう、というような一節。さらには、幕府側はプロテスタントの神とカトリックの神は同じキリスト教でも別々で二人いると思っていたこと。笑えないけれど、笑えるといったら不謹慎かも知れませんが。

今回の一風変わった、しかも日本とヨーロッパの衝突の歴史を描く小説『天は語らず』を、日本を他者の視線で発見する機会としてもご一読いただくことをお奨めしたいと思います。

貴重な資料をご提供いただいたCorinne QUENTIN氏(フランス著作権事務所)に深くお礼申し上げます。

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