No 38アイデンティティとは何か
彷徨えるユダヤ人家族3代の生きた記録
この夏はフランスでは驚異的な山火事、パリで40度を超える酷暑等々、もっぱら自然災害のニュースばかりが話題になっているようでした。日本でも、前回の地震から丁度10年後に熊本が最大震度7の大地震に襲われ、実に恐ろしく痛ましい自然災害のニュースに目を疑いました。その一方でこの夏も例年どおり沢山の戦争にかかわるドキュメンタリーがテレビでも流され、戦後81年ぶりに公開された資料や事実も多く見られました。思い出して見れば、ここ30年の間にも、人々の戦争に対する思い出や、向き合い方がずいぶんと変化してきたと気づきます。1990年代は、まだ第2次世界対戦の爪痕が生生しく人々の心に残っていて、タブーとされたこと、沈黙の中にとどまったままのことが今よりも多くあったと思います。最近の情報開示傾向は、今更ながらとはいえ、非常にショッキングな映像(人々は段々抵抗力が強くなっているのかもしれません)を含んだ初公開の資料などを、メディアを介して一般の視聴者にも惜しみなく届けています。私たちの世代には親の世代から生きた経験として伝えられたことが、現在では資料として流布されています。私が知らなかったこともたくさんありました。さらには過去のことだけではなく、現在起きている戦争のもたらす悲劇も日常的に報道されています。知りすぎるということはないのでしょう。ただそれは、起きてしまった、起こしてしまった人類の悲劇を知り、あくまでそれらを、反省を導き、2度と犯してはならない過ちとして記憶するためなのだと考えるのは、私のおめでたさなのでしょうか。それほど物事は単純ではないと?そうなのかもしれません。
今回ご紹介する作品は、まだ40代の作家アンヌ・ベレストのあったことのない曽祖父母、祖父母、大叔父、大叔母の運命をめぐる1919年から1942年までの、さらには1945年4月のヨーロッパにおける終戦の年までのファミリーヒストリーと呼べる小説です。作者の曽祖父母はロシアで成功した実業家でラビノヴィッチという典型的なユダヤ人の名前でした。タイトルの『ポストカード』は日本語では絵葉書という意味の原タイトルの英語読みです。物語はこのある一枚の絵葉書に関するとてもユニークな冒頭のエピソードで始まります。2003年の新年のある日、作者の両親の家に一枚の絵葉書が届きます。封筒はなく、差出人もなく、メッセージもなく、パリのオペラ座(ガルニエ)の写真のごく平凡なカードに、少し変わった筆跡で4人の名前が整然と縦に並べて書かれているだけでした。消印はルーヴル郵便局。それは母方の家族、曽祖父母と大叔母と大叔父の名でしたが、彼らは1942年にアウシュヴィッツ収容所で死去していました。(作者の母は1944年生まれです)すぐに作者と姉妹三人が父母の家に呼び集められ、このカードを見せられたのです…でもその時は誰も見当もつかない謎として、カードは引き出しにしまいこまれてしまっただけでした。母レリアにとっては特に嫌な出来事であったらしく、その後誰もその話をすることはありませんでした。そして10年後、出産を間近にした作者がふと今こそ祖先の人たちの話を聞くチャンスだと思ったのです。娘の問いを聞いた母親は、娘に自分が実はひそかに1942年に亡くなった家族について、それまでに起きたこと、経過について調べていたことを打ち明けるのです。とはいえ、本当の調査はそれから6年後にはじまります。作者の娘のクララが学校で「ユダヤ人は嫌いだ」と言われたからです。(クララは自分がユダヤ人だとは知りませんでした。)そこからが、この母レリアと娘アンヌの、家族についての協働の調査、または捜査(enquête)― 絵葉書は誰が何の目的でいつ書いたのか、なぜ2003年に届いたのかー となります。娘のアンヌは最後まで到達するかどうかも分からないまま知り得たことを書きとめ整理し、それに肉付けをして「本当の話の小説」として完成させました。
作者アンヌ・ベレストはインタビューに答えて、自らこの作品の中には三つの本(側面)があると言っています。一つ目は調査、二つ目は一族の物語、三つ目はアイデンティティーカード。この三つの側面が巧に絡み合って、邦訳版で543ページ、フランス語原書版で501ページの大部の作品を構成しています。
一つ目の本:「調査」
約2年間に亘る調査(小説は2021年発表)というのは、私立探偵をはじめ、犯罪学者、当時の役所や関係組織の資料、そして一般の人々にもたずねてまわるという、本当に警察顔負けの地道で詳細なものだったようで、それだけでも探偵小説、ミステリーのようなサスペンスがあります。私にはちょっと気が遠くなるような話ですが。ひとつひとつの聞き書きも実に詳細なもので、作者の脚色によるものか、証言者の忘れがたい記憶と誰かに伝えたいという気持ちによるものなのかはわからずとも強い印象を与えます。逮捕された人々がいつ、どこの強制収容所に連れて行かれて、いつ殺されたのかという事実が全てどこかに当時はデータではなく文字で記録されていたというのも、恐ろしい事務仕事と思われるのです。600万人ものユダヤ人をくまなく探し出していくつかある収容所に送ったり、その後の"処理"にまわすということを、5年ほどの間でやってのけたナチスの事務処理能力は、しかしながら、ドイツ人だけでなくフランス人の憲兵、公務員、もしくは対独協力者によるものでした。読んでいて恐ろしいのは、ユダヤ人を追い込んでいく人物たちが、次第にドイツによる占領時のヴィシー政権下のフランス人になっていくことです。この部分は多くの人にとって衝撃的でしょう。つまり、この小説に書かれているのは、ドイツにおけるユダヤ人の迫害ではなく、フランスにおけるユダヤ人狩りなのです。このような内容は、まさにフランスにおいて長い間タブーであったと思います。とはいえ、一方で、純粋な自己犠牲をもって、ユダヤ人(および占領下の対独協力政府に抵抗するフランス人)を逮捕から守ろうとする一般人の姿にも驚かされます。(画家フランシス・ピカビアの娘ガブリエル、通称ジャニンヌはまさに抗独運動の中心的存在でした。)彼らの多くは逮捕され悲劇的な最後を迎えました。そのような事実というは、歴史の中では"このようなことがあった"という記述に終わるのですが、作者は実際に自分でおこなった「調査」の末に知ることとなった一つひとつの物語として再構築しています。そうしなければ人々の生きた本当の話として後世に伝わることもなく、一部の人の記憶としてもいつか忘れられていくことだからです。
二つ目の本:一族の物語
登場人物は作者の母の系譜の3代にわたります。小説の物語の始まりに登場するのはナフマン・ラビノヴィッチと妻のエステル、彼らの子供たちのエフライム、ベラ、エマニュエル、エフライムの妻エマと彼らのこどもたち、ミリアム、ジャックとノエミです。ミリアムはやがてユダヤ人ではない夫ヴィサント・ピカビアと結婚します。戦争中はナチス・ドイツに抵抗しユダヤ人を匿って擁護するジャニンヌ(ヴィサントの姉)が活躍します。(この一族には当時の文学界の重鎮との驚くような繋がりがあったようです。ジョセフ・ケッセル、イレーヌ・ネミロフスキー、アンドレ・ジッドの名が見られます。)小説の冒頭1919年にナフマンが実に謎めいた言葉をもって、子どもたちにロシアの彼らの生地を去るように命じます。「嫌な臭いがするんだ」「これだけはわかってほしい。いつか必ず、やつらはわたしたち全員を消し去ろうとする」そしてそれぞれの希望や事情によって方角は異なりましたが、彼らはみなロシアを去り、最終的に作者の祖母、ミリアム(唯一人家族の中で生き残った)がロシアからラトビア、パレスチナ、パリという土地を放浪するという、まさに歴史上にみるユダヤ人の運命をそのまま踏襲する姿が描かれています。しかしながら、この物語を集団の運命とひとくくりにしてしまうことはできません。登場人物の一人ひとりに自分の人生に対する夢があり、想い描く幸せがあり、ユダヤ人であることをどううけとめるかを迷い悩む姿も描かれています。家族の中でも、直感的に進むべき、しかも選べない人生を運命としてうけとめるのはやはり古い世代の両親であり、なにかしら抗う道があるのではないかと奮闘する次の世代の子どもたちがいて、さらにその子どもたちは新しい時代に生き残り、祖先たちの生きた証や自分たちに託されたことを模索していきます。この残された世代のアンヌ・ベレストにとって、自らの一族の物語があってこその今の自分の生という意味で、これからの人生、さらには一族の物語の続きを生きる意味を考えることになったのではないでしょうか。
三つ目の本:アイデンティティカード
作者は出版後のインタビューでいつも次のような言葉を最後に口にしました。「ユダヤ人とは何か」。しかも「ライシテ(laïcité政教分離)」の国で。彼女の答えは「ユダヤ人とは、『ユダヤ人とは何か』と自問する者だ」です。読者の中にもこのような問いを一度でも自分自身に投げかけた人は多いのではないでしょうか。そうでなくても「なぜ日本に生まれたのか」とか「なぜ日本国籍に縛られるのか(自分で選んだわけではない)」「なぜ仏教徒と言われるのか」という問いにもなるのでしょう。自分のアイデンティティを政治的にまた実際に生きていくためのルールに結びつけるのであれば、日本人だと言わざるをえませんが、天照大御神の子孫であると考える必要はありません。特に日本のような島国一国の場合はあまり自問することもないかもしれません。しかしながら、作者のような「ユダヤ人」という特殊な分類の仕方?で自らも他者からも定義される集団は話が違います。思いもかけない時に知らされたり、自覚したりすることもあるのです。どういう由来なのかは無知なのでよく知りませんが、とにかく何千年も前からそういうものとして面々と現在にも受け継がれている宗教と血統を基軸にした"人間"のグループの分類ということであり、彼らはユダヤ人であり続けることで良いことも悪いこともあると思います。それでは、その宗教を捨て、血統も無視することはできないのでしょうか。できないはずはないですが、自分がそうしたくても、他者がそれを許さないという環境があります。この作品の中でその最もよい例は、作者の曽祖父にあたるエフライムです。彼はロシアで生まれ、社会主義者、無神論者であろうとしました。でも社会主義少数派で多数派からの迫害を逃れるために、妻子をつれてラトビアに逃れ、そこから結局両親が移住したパレスチナに行くことになります。そこでも将来に希望をもてず、今度はパリに移住することを決心しますが、パリでは「外国籍ユダヤ人」という分類におかれ、次には「無国籍の無職」、そして最後には「出身国不明」とされました。すなわち社会における完全なマージナル化であり、社会的存在の意味を剥奪されたのです。もちろん意図的に進められたユダヤ人の排除というプロセスにはまったのです。戦争中ではこうならざるを得なかったのでしょうか。そしてなぜ、戦後74年がたった人権とライシテとダイバーシティの国フランスでも「うちの家族はユダヤ人を好きじゃない」と何も知らない子どもに他人が言うのでしょうか。作者の娘だけでなく、作者の母親も、作者も、ユダヤ人であることをそうやって知らされたということです。いじめる理由になるものなら何でもよいからそう言ったのだ、ということでしょうか。私にはパレスチナとイスラエルのような、反シオニスムのような争いは本当の理由がよくわからない、特によそ者にはわからない、と思っていましたが、この作品を読んで、実は当事者にもわからないことなのかも知れないと思いました。皆さんはどう思われますか。
日本とは"全く違う事情"だらけのヨーロッパに住み始めた30年前は今とはやはり違いました。私はフランスで生活を始め、友人のご両親のお友達に会った時、アルザスの田舎の出身のその夫婦はフランス語の会話がほとんど私ぐらいのレベルだということに驚愕しました。彼らはもちろんフランス人ですが、当時は戦争中だったので、学校ではドイツ語で学ばされたのです(戦後も普段はアルザス語です)。大学では学友に、彼らが高校でドイツ語を学ぶことを祖父母に耐えられないと言われたと聞かされました。アルプスをローカル線で超えてイタリアへ行く最中に(特急はまだなかった時代です)古いガラガラの汽車の中で、アルジェリア人の営業マンとイタリア出身のおばあさんと三人でおしゃベリをしました。流暢なフランス語とイタリア語を話すのは人のいいアルジェリア人だけで、おばあさんも私もそれぞれ訛りのあるフランス語でしたから時々話がよくわからなくなると、彼が説明をしてくれました。ある時、おばあさんが昔話(戦争中とか)の最中に「中国人と日本人の見分けがつかない」というようなことを言ったのです。戦争中はアジアで何があったかもよく知らないようでした。私は中国の人が聞いたら嫌かなと思ったので、「日本人にはイタリア人とドイツ人の見分けはつきませんよ。同じことです」と言ってしまったら、おばあさんが突然激怒したのです。それからはそれまで親切で愛想のよかった彼女が私を無視するようになりました(イタリア語で話しはじめたのです)。何が起きたかわからない私に、営業マンが気の毒そうな顔をしてフランス語で会話を続けてくれました。後で気づいたのですが、おばあさんは戦争中にイタリアからドイツとファシスムを逃れてフランスに移住し、親戚には母国で殺された人もいたというようなことを話していたようなのです。つまり、人々の中にはまだまだ戦争の傷跡が生きていたということです。よそものは知らない、だからわからないトラウマの地雷を踏んでしまった、私の苦い思い出です。とはいえ、そのころフランス人は第二次世界大戦中のことをあからさまには話題にしませんでした。するとしたら、反独レジスタンスの存在があったことと、自由フランス空軍のことです。ですから、フランス人にとって世界大戦は第一次世界大戦(1914-1918)であり、その次の大戦はあまり関係ないし、知らないという感じが大半なので驚かされました。それが今では『ポストカード』のような作品が若い読者の支持を得ています。社会はやはり少しずつ変わってきています。ただそれが良い方向に向かうことを必ずしも約束しているわけではないと思いますが。
私はいつかこのような内容の作品を読むことができるとは予想だにしていませんでしたが、それだけに多くの人に読んでいただきたい作品です。フランスの書評では、内容の重さと難しさに反して、非常に読みやすい文体であることも、最後までサスペンスを失わないストーリー展開についても大変好評でしたので500ページに是非チャレンジしていただきたいと思います。
作者アンヌ・ベレストについて
1979年、言語学者の母と個体力学研究者の父のもとにパリで生まれました。パリ6区の名門フェヌロン高校卒業後、演劇学の論文を書き、脚本家として演劇の世界で活躍しています。一方で、『ポストカード』で6作目となる小説家としても高く評価されています。以前にも多くの文学賞にノミネートされ、複数の受賞を果たしていますが、特にこの作品では、2021年の「高校生が選ぶルノードー賞」を獲得しています。父方の祖父が画家フランシス・ピカビアであり、叔母は第二次世界大戦中に反独運動で指導者として活躍したガブリエル・ピカビアであることも有名で、その伝記を実妹の作家クレール・ベレストと共著で発表しています。2025年には小説『フィニステール(Finistère)』を発表し、またジョディ・フォスター主演の映画『私生活(Vie Privée)』(仮題)の脚本(共同)を担当し、映画は同年のカンヌ映画祭に公式出品作(審査対象外)として発表されました。