フランス文学の愉しみ

No 35「嘘」は「真実」の鏡

『小さな嘘つき』の書影
『小さな嘘つき』 パスカル・ロベール=ディアール作/伊禮規与美訳/早川書房刊

法廷コラムニストが描く「嘘」の背景

3月3日はお雛祭りでした。多様性、性差の見直しが問われる現代でも、日本ではこの可愛らしいお祭りはいまだに伝統的な年中行事として欠かせない楽しみでしょう。各家庭で大事にされて育つ女の子はどんな女性になり、人生を送るのでしょうか。それぞれが夢を抱き、人々は彼女の幸せを祈ります。しかしながら、現実は必ずしも彼女にとって優しいことばかりではありません。それどころか、とてつもない試練が待ち受けていることもあります。戦争はなくても、耐えがたい日々を送ることもありえます。小さな女の子はその時、どう生きればよいのか、誰がそれを教えてくれるのでしょうか。
前回のおだやかな癒しをもたらすような作品と対照的に、今回はかなり辛い内容の作品です。日本語タイトルもフランス語の原タイトルのとおり『小さな嘘つき』La petite menteuse、(フランス語では特定の個人、すなわち主人公の一人を指しています)で、この小説の全てを凝縮しています。主人公は二人の女性、20歳の園芸の仕事をする大人になったばかりのリザ、もうひとりは50代のベテラン弁護士アリスです。嘘つきと呼ばれるのは前者で、彼女が15歳の時に起こした起訴事件を巡るストーリーです。アリスは、リザの依頼で5年前の裁判の再審におけるリザの弁護を引き受けます。この作品の主な語り手はアリスですが、リザの視点の語りも時折介入します。
実際、事件の内容は特別なものとは言えないようですが、それでも読者としての私は不意を打たれたような気がしました。口にはださずとも疑問に思っていたことをずばりと言い当てられたような。そして疑問への答えは想像以上に複雑でした。他人事ですましていたことも、知るべきだったと多くのことを学びました。

ストーリー

50代、被害者だけでなく、被疑者の弁護をすることを使命としている女性弁護士のアリス・ケリドルーは、最近自分の仕事に疲れ、いささか嫌気もさしているところだった。万人が弁護をされる権利があるという彼女の理想は高かったが、現実は彼女の思うようには当然いかない。失望や無力感に苛まれ、それでも事務所を切り盛りしていくために些末?な事件も引き受けるあわただしい毎日を送っている。どんな「げす野郎」でも弁護する彼女は生来"熱い"弁護士なのだ。そこにある日、弁護士を変えたいので自分の弁護を引き受けて欲しいと強引な依頼をする20歳の女性リザ・シャルヴェが現れる。最初はそれほど興味をもたなかったが、アリスはこれも仕事と話を聞くうちに、とてつもない事実を知らされる。5年前に未成年に対する強制猥褻でリザが告訴した男性は既に3年間刑務所にいるが、実は彼は無罪であるということだった。なぜなら彼女が「嘘」をついたからだ。被害者であった少女は今成人になって、男性の控訴審を前にして、この「嘘」を撤回したいと言うのだ。でも、その告白を法廷に持ちだせば、リザと犯罪者として服役中の男性の立場は逆転する。その先の人生をリザはどう生きる覚悟があるのだろうか。そして、アリスはどのようにして彼女を「弁護」することができるのだろうか。
この先に繰り広げられるストーリーは、「嘘」を「真実」に改め、「嘘」によって引き起こされた間違いをただすというプロセスが孕む、主人公と関係者の戦いと葛藤を描いています。関係者とは、当事者、裁判官、両方の弁護士だけでなく、家族、学校の同級生、教師など、前回の裁判に関わった人々、さらには控訴審の裁判官と陪審員たちです。

主人公以外の主な登場人物

マルコ・ランジュ:リザの家の工事に携わった左官工。アリス曰く「クリネックス(使い捨て)」人間で、不安定な家庭に育ち、児童養護施設に預けられた時期もあったが、成人して一時的に安定した環境にあった。その後伴侶の女性との破局を経て、5年前は荒れた生活をしていた。リザに対する未成年への強制猥褻の罪で服役しているが、無実を訴えて控訴中。

ベネディクト・シャルヴェ:リザの母。

ソレーヌ・シャルヴェ:リザの姉、非常に優秀な学生だった。

ローラン・シャルヴェ:リザの父、リザの母と離婚し新しい妻と家庭を持っている。

ポリーヌ・ヴァレット、フランソワ・ベーム:リザの学校の教師。

マリオン:リザの学校時代の同級生で親友。

セバスチャン、ジェレミー、ライアン:リザの同級生。

ローランタン:起訴時の裁判でのリザの弁護士。

裁判長、次席検事、書記官、陪審員、その他大勢の参考人。

本来「嘘」であったはずのリザのランジュに対する証言が「真実」として裁判で認められたことには、これらの全ての人々が関わっています。リザひとりが主張し、判決がくだされたわけではありません。判決は捜査の結果や証人の証言、弁護士たちの弁論を聞き、中立な立場から法律に照らし合わせて裁判官と陪審員が結論するものです。1)その判決によりリザは晴れて被害者(犠牲者)となり、ランジュは加害者(犯罪者)となりました。裁判制度については、私は全く門外漢ですが、作品の中で裁判の経過が詳しく描かれています。どうして、「嘘」に基づく告訴が真実とされたのでしょうか。そして、なぜリザは「嘘」をつき、さらにはその「嘘」を撤回する決心をしたのでしょうか。そこには、リザが「犠牲者」と自分が見なされなければならないと熱望する複雑な事情と、虚偽によって「犠牲者」であってはならないと思うに至った理由があります。さらには推定でも「犠牲者」という立場が周囲に、司法に与える驚くべき影響力が、作品において明らかにされていきます。

メインテーマ「嘘」

それでは、この作品の主題である「嘘」の本質とは何なのでしょうか。人間は「嘘」をつく動物です。むしろ本質的に人間は嘘をつくといってもおかしくないでしょう。「嘘」は必ずしも絶対に禁じられている悪でもありません。そもそも「嘘」をつくのは、まず自分が何かを得ようとする必要(欲望)があるか、なんらかの危険から身を守ろうとする時、もしくはその両方です。その「嘘」が罪に問われるのは、法という社会を管理する約束ごとがある世界で、その秩序を破る時です。冤罪によりランジュは服役したのですから、リザは「嘘」をついたことを告白し、その代償を払わなければならないでしょう。ところが、一方でその「嘘」を暴くことが、全体の大義を揺るがすことになりかねない時、あえて「嘘」を守り真実を覆い隠そうとすることは、現実の世界でありうることと考えられます。そのような意味で、皆が信じたリザの証言を「嘘」だったと明かすことで重大な司法の過ちを明らかにすること、そして#MeToo運動が常態化した現在(小説では2022年)に女性虐待の被害者であるはずの女性が「嘘」をついていたということの不都合を指摘する意見もでてきます。しかし、後者の意見については、作者はそうではないと述べています。なぜなら、少女は「なぜ嘘をついたのか」ということが重要で、そこに新たに社会にある潜在的な#MeToo問題が見いだされるからです。司法の過ちに関しては、作者は裁判官が原則的に必ず疑いをはさむことを主張します。2)何人かの男性の登場人物は最初の裁判の時点で違和感を覚えたと述べていますが、彼らは結局それを公にのべようとはしませんでした。このようなことが起こるというのは、現実にあるのかどうか、と思いつつ、日本においても思い当たる事件があることに気づきました。

作品の読みどころ

この作品における読みどころの一つは、以上のようなストーリーを形作っていく登場人物の心理描写が、多岐にわたる側面をもち、実に説得力をもち迫真にせまる点にあります。ストーリーだけをみるとTVドラマや映画にありそうな気がしないでもないのですが、TVドラマや映画と違うのは、登場人物たちの演技を見るのではなく、文字で描かれている心理をそのまま読者が生きていくからだと思います。作者はもともと司法問題を取り上げるジャーナリストですが、ノン・フィクション作品を既に複数発表していました。想像だけでなく実際に裁判の取材の場で見聞きした人々の姿を描くことに巧みなのだろうとも思います。そして、司法が間違いを犯す現場も目撃したことがあるのではないでしょうか。調書、口頭弁論、語りというように複数の文体の間を行き来しながら、「嘘」を巡る物語の初めから終わりまでを駆け抜けていきます。この筆致はパスカル・ロベール=ディアールの才能をうかがわせます。
裁判シーンの描写における裁判官、弁護士のポートレートや、裁判官の仕事のタイプが描き分けられていることも一般の読者には興味深い点です。そして、事件の捜査上で、聴取をうけた関係者の人となり、信条、そして感情的な思い入れというものが坦々と描かれ、最終的な司法の過ちへの道筋をつくったものを暗示しています。
加えて、リザが「嘘」をつくまで追い詰められたことには、現代の社会で重大な問題となっているSNSの影響力の強さと弊害が加担しています。数えられないほどの青少年を含めた人々が日常的にさらされている危険です。悲劇的な結果を引き起こしかねない危険な行為が、いとも簡単に行われていることには、一般の人間の全くの無責任、悪意、あるいは"未熟さ"が統制できない社会の矛盾を感じさせます。そしてやるせなささえ感じます。

小説か、ノン・フィクション小説か

ある少女の起こした冤罪事件を緻密に描く、そしてそこに絡む社会の"矛盾"と市井の人々に関わる多くの"問題"を明らかにする作品として、読者はこの小説が現在文学のジャンルの中で地位を確固にしつつあるノン・フィクション小説であると思われるのではないでしょうか。この点については、著者パスカル・ロべール=ディアールが自ら説明しています。リザのモデルになるような少女は実際に存在していました。ただ、その少女は自分のついた「嘘」の重みに耐えられず、打ちのめされてしまいました。ロベール=ディアールはこの本を書こうと思った時、彼女のためにもっと良い結末を望みました。彼女には立ち向かってほしかった。この状況に立ち向かい、嘘に立ち向かい、大人たちに鏡を突きつける若い女性であってほしかった。多感で複雑ですべてが不明瞭な思春期の心の真実を伝えるために、現実だけを伝えるノン・フィクションではなく、小説にしようと考えたそうです。3)文学なら事実をそのまま扱う司法(集団としての視野)の物事を白黒で分けるやり方ではなく、個人のもっとグレーゾーンの真実を明らかにすることができると考えたのです。そしてそれが重要なのだと主張します。非常に当たり前のような文学の定義にも思われますが、私にはそれが文学の本質だと言えます。ノン・フィクション小説、歴史小説、小説の区別はなかなか難しく、一般には著者の考え方で各作品は定義されていると思います。でも文学である限り、書く人の目指すことは、いずれでもほぼ同じでしょう。真実を追求する司法関係ジャーナリストであり法廷コラムニストの作者が行きついた手段がフィクションであることは、何とも興味深いことと思います。彼女にとって、フィクションは嘘ごとではなく、嘘は真実の鏡であるということではないでしょうか。

『小さな嘘つき』はフランスで発表当時大変な反響を呼び起こしました。多くのインタビューが行われ、作品は高い評価を受けました。フランスの読者はその主題の特異な側面(「嘘」というタブー)と重要な社会の問題に直結した側面に、さらにほとんどの登場人物たちの「善意」による作品の印象に魅了されたのでしょう。私が気になるのは、この作品の描く社会と人々の心が、日本の現状とどれだけ近いのか、それとも異なっているのか、自分ではよく分からないということです。お恥ずかしいことですが、今日本の学校で、若者たちの環境で何が起こっているのか。本当のところはどうなのか。ですので、多くの日本の読者にこの作品を読んでいただきたいと思うのは、その後の反響を知りたいという、大分消極的な姿勢でしかないと思いますが、それでもこの作品は幅広い層の読者にお薦めできることを確信しています。
【邦訳書の巻末にある弁護士太田啓子氏の解説は、司法関係者によるものとして大変詳しく、しかもわかりやすく書かれていますので、併せて読まれることをお薦めします。】

作者 パスカル・ロベール=ディアールについて

1961年生まれのフランス人、と言う以外に彼女の個人的な情報(家族、学歴、その他)は一切公開されていません。
1986年にフランスのトップ日刊紙『ル・モンド』に入社、長年政治ジャーナリストとしてのキャリアを積みました。2002年に念願かなって法廷コラムニスト(司法記者)となり、重大な事件(重罪院の事例、政治資金のスキャンダル等)だけでなく、小規模の犯罪事件、民事裁判、即時裁判等も担当しています。ジャーナリストとして活躍する一方、何度も本を出版しています。主だったものでは、有名なアニエス・ルルー事件を扱った2016年の『La Déposition(供述)』(未翻訳)が同年のフェミナ賞の最終リストにノミネートされました。また2021年には、高校の女性教師が自分の生徒との恋愛関係によって罪に問われたガブリエル・リュシエ事件についての著作でも注目を集めました。一般に彼女の著作はノン・フィクションであっても心理描写に長けていて、司法関係者にもよく読まれ評価されているということです。『小さな嘘つき』はロベール=ディアールの小説第一作で同年の2023年のゴンクール賞にノミネートされ、受賞こそしなかったものの、選考段階のセミファイナルまで残りました。パスカル・ロベール=ディアールは現在もル・モンド紙において法廷コラムニストとして活躍しています。

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