フランス文学の愉しみ

No 3戦後を生き延びた「ナチスの医者の“伝記(ノンフィクション)小説”」とは?

『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』
東京創元社 海外文学セレクション
高橋啓 訳
装丁: 柳川貴代

 現代の日本で、“ヨーゼフ・メンゲレ”の名を知り、誰で、何をした人かを知る人は恐らくとても少ないと思われます。“小説”とうたわれた本書のタイトルにあり、主人公であるヨーゼフ・メンゲレは、実は歴史上の実在の人物です。そしてヨーロッパの人々にとっては、未だに忘れられていない人物のようです。彼を知らない日本人読者にとっては、その理由を知らなければ、この作品を手に取る機会も、読んでみようと思う機会も少ないのではないでしょうか。作者のオリヴィエ・ゲーズは1974年フランス、ストラスブール生まれ。ストラスブール政治学院卒業後、ロンドンとブルッヘ(ベルギー)で学業を修め、その後フリージャーナリストとして国際的な大手メディアに寄稿。現在はエッセイスト、小説家、脚本家(注:彼が脚本を手がけた映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』は2017年1月にBunkamuraル・シネマで上映された)として活躍しています。『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』はオリヴィエ・ゲーズの2作目の小説であり、フランス2大文学賞の一つ、ルノドー賞を2017年に受賞しました。今回はまず、多くの称賛と読者を得たこの作品の背景となる歴史とあらすじを手短に紹介します。*

 日本が参戦し敗戦した第二次世界大戦中に、ヨーロッパでは、ヒトラーの率いるナチス・ドイツが、ユダヤ人、ロマ族(不定住のジプシーと呼ばれる人々)、ソ連当局者及び共産党員に対する大量殺戮(ホロコースト)を行いました。その中には政府にとって不都合なドイツ人も外国人も含まれていました。1933年に始まり1945年のドイツ敗戦までに犠牲者の総数は数百万人にものぼり、その多くは連行されアウシュビッツをはじめとする強制収容所への送還ののち、ガス室で殺害されました。しかし中には、ガス室には送られず、強制労働や医学的生体実験に付された人々も多くいたのです。1943年からアウシュビッツの主任医官となったのがヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele、1911-1979)です。彼は「死の天使」と呼ばれ、収容所に送還された人々が貨物車から降りてくるところで、オーケストラの指揮者の手の動きにも似た手振りで「ガス室行き」とそうでない人々を選別していたそうです。彼の指示、彼自身の執刀による凄惨極まる「生体実験」については、様々な資料が、写真集、テレビ、映画等で、戦後一般にも明らかにされていますが、実際にはごく一部のみ(双子や嬰児に対する実験等)が例としてよく知られているようです。(全てを知ろうとするには、相当の勇気が必要であり、心理的トラウマを被る可能性が高いでしょう。)日本では戦後と比べ、現在は当時のナチスの話を聞くことも大分少なくなりました。それにくらべて、アメリカ、ヨーロッパでは未だに忘れ去られることは決してない史実です。

 しかしながら、『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』において語られる出来事の大半は、戦争中にメンゲレが行った殺戮や実験についてではなく、彼が1949年から1979年に心臓発作で死亡するまで、ラテンアメリカに渡って、あらゆる戦争犯罪者への追跡から逃れ、逮捕されることなく逃げ延びた、その半生を描くものです。資料だけでなく、メンゲレが逗留した現場に赴いて多くの証言を集めたゲーズの取材がこの作品の骨子となっています。

 1945年の終戦の後、ドイツ人戦犯の追跡をフリッツ・ホルマンの名で逃れていたメンゲレは、1949年にソビエト軍による逮捕を恐れて、南アメリカへの脱出を試み幸運にも成功します。アルゼンチンにヘルムート・グレゴールの名で入国し10年を過ごしますが、その間は贅沢で王侯貴族のような生活を営んでいました。その背景には、旧ナチスの軍人を招き入れ保護するペロン政権(ペロンの妻、歌手エビータは日本でも知られています)と、戦後に巨大な富を得た農業機器会社であるメンゲレの実家の経済的支援があり、後者は最後までメンゲレに金を送り続けます。しかし、メンゲレの平穏な日々は1960年の、ブエノスアイレスにいたアイヒマンのイスラエル議会による誘拐によって終止符を打たれます。次は自分の番だと悟ったメンゲレは、ペーター・ホーホビヒラー名の身分証明書をもってブラジル、サンパウロ周辺のセラ・ネグラに移住します。そこでの彼の人生は一挙にみじめなものに変わっていきます。南アメリカに渡って来る時に妻と子供とは別れており、次に妻とした亡き弟の妻と甥もすでに彼の下を去っています。1964年にはドイツでは彼の全ての学位が、剥奪され、彼は衝撃的な屈辱をうけます。健康状態も悪化し、隠れ家の主の家族とは険悪な関係にあり、メンゲレは孤独と死に怯えるパラノイアに陥るのです。最晩年に実の息子のロルフがブラジルまで面会に訪れますが、ロルフは父を見捨てて帰国し、失望したメンゲレは老いさらばえた姿となり、1979年に海水浴中に心臓麻痺で死亡します。その亡骸は「ヴォルフガング・ゲアハルト」という偽名でたった3人の立会のもとにその地で埋葬されます。

 取材によって得られたおびただしい事実、証言と思われる記述は簡素で虚飾がありません。その政治的および個人的史実の記述の間を、登場人物のかなり露骨な心理描写が絶妙に紡ぎ、全体がアマルガムのようになって文体の調和を保っています。それがこの作品の際立った特徴の一つです。フランスでは著名な時事週刊誌『ヌーヴェル・オプス』の文芸担当編集者グレゴワール・ルメナジェと、同じく『フィガロ・マガジン』のジャン=クリストフ・ビュイッソンがこの作品がルノドー賞を受賞する直前に、各自の意見を戦わせました。**前者は「ゲーズは自分の主題をとても上手く扱っている。非常によく取材しているし[...]密度も濃いし、大作ではないが、主人公の逃亡の軌跡と彼という人間の複雑さをよく描いている」と評価しますが、それゆえ「自分にはなぜこの作品が小説と名乗るのかどうしてもわからない。本当にとてもよい本だが小説とする必要はない」と疑問を投げかけます。一方で後者は医者でありながら比類のない殺人者「死の天使」と呼ばれた主人公が、その逃亡生活において、いかにありふれて卑小でみじめな存在(人間)であったかを、ゲーズは卓越した筆致で描いていると称賛します。そして、取材により集められた事実と事実の記述の間に描かれる会話やメンゲレの見る夢の描写は純粋に「小説的romanesque」に書かれたのだから、この作品は立派に小説と言えると評します。そこでルメナジェはさらに切り返します。「多分そうかもしれないが、そのようなことが、読者の視点をどこに据えれば良いのか分からなくする。どこからが作家が脚色をしたことか、だいたいどこが影の部分(事実が不明な部分)なのかもわからない。それは歴史小説のジャンルの問題だ。[...] 私が不満に思うのは、この作品が事実に基づく伝記的物語の形式に制限を与えることだ。」それでは、伝記というジャンルが、そして歴史的人物を描くという試みが、フィクションと一線を画するべきものか、それともフィクションと区別をつけられがたいものになりうるのか、著者の手にゆだねられることになるのでしょうか。(例をあげれば、同じように小説と銘打った、2012年フェミナ賞を受賞したパトリック・ドゥヴィルの『ペスト&コレラ』も、詳細に主人公とその母の交換した手紙や日記を忠実に書き起こしたものでした。)オリヴィエ・ゲーズ自身の考えはどうだったのでしょうか。その点について、自らあとがきに記している発言があります。

「この本は、ラテンアメリカにおけるヨーゼフ・メンゲレの人生を詳細に物語っているものです。事実がはっきりとわからない部分は、恐らく将来も明らかにされることはないでしょう。ですから、小説の形式で書くことによってのみ、私はナチスの医師の死への軌跡について、もっとも真実に近いことを書くことができたのです。」(原書 p.233、筆者拙訳)

 作者の目的は、小説を書くことではありませんでした。彼自身が述べているように、あれほど多くの人を屈辱的で残酷な方法で死に至らしめたにもかかわらず、犯罪者として裁かれることもなく、あらゆる追跡から逃げ延びたメンゲレが、戦後にどのような人生を歩んだのか、人生に罰せられたのだろうかということが、ゲーズの第一の関心事でした。さらにメンゲレの信じられないような人生の後を一歩一歩記録と取材を頼りにたどりながらも、彼に乗り移られた「マリオネット」ではありませんでした。飽くまで客観的な立場から主人公を描いたのです。結果的に、驚くほど運と感のよいメンゲレの人生も、ゲーズにとっては「悪の卑小さ」***を表象するものでした。確かに悪は簡単に人の人生を思うように導くこともあります。アウシュビッツで有頂天になっていたメンゲレは、しかし、逃避行の中で、実に惨めな存在に陥っていきます。ゲーズの小説的な筆致による、家族にも見放され孤独に苦しみ、死の恐怖におびえる彼の姿は、悪は人を特別にするものではなく、その真実は「卑小さ」でしかないことを描いています。20年におよぶブラジルにおける彼の孤独、恐れと不安、人生への失望こそが、彼の犯した過去の罪に対する罰であるということ、それこそが作者の描こうとした客観的真実なのです。ゲーズが言うように、メンゲレがどうやって34年間も逃げきることができたのかということよりも、彼がいかなる人生を歩んだかを物語ることが目的であったとすると、“伝記(ノンフィクション)小説”というジャンルが成立する根拠となるのではないでしょうか。

 最後にこの作品の読了後の筆者の個人的な印象ですが、人間の本性にある悪の本質というものに対するヨーロッパの作家の執念ともいえるような追求がそこには感じられます。それは「人間の卑小さ」、やはりフランス文学の伝統ともいえるテーマを踏襲する姿と思えるのです。

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