フランス文学の愉しみ

No 2母とベビーシッターの歪んだ関係

『ヌヌ 完璧なベビーシッター』レイラ・スリマニ著/松本百合子訳/集英社文庫

 この小説は「赤ん坊は死んだ」という文で始まります。それに続く小説の冒頭は、2人の子どもが、そのベビーシッター、フランスでは「ヌヌ」と呼ばれる女性に刺し殺された直後のありさまで、映画やテレビで見るように殺人の現場が描かれます。特に赤ん坊の姉である3歳の幼児ミラの断末魔の描写がリアルで、そのまま読者は作品の世界に引き込まれます。

 ストーリーの、本来なら、結末のシーンから始まるこの物語は、その後すぐに、あたかも事件の担当警部がくまなく調べあげた事件の発端から最後までの調書を物語るように進行していきます。

 主要な登場人物はルイーズ(ヌヌ)、ミラとアダム(赤ん坊)、ミレイユとポール(子どもたちの両親)。ミレイユとポールは、弁護士(妻)と音響アシスタント(夫)の若い夫婦で、お互いに情熱的に仕事に専念しています。このヌヌとは誰か。ヌヌとは一晩だけの子守りではなく、日本でもかつては多くの家庭でみられた「乳母さん」とか「ばあやさん」と呼ばれた女性nourrice (ヌーリス)の略称です。幼児を母親代わりに育て、家事もこなす、子どもたちにとっては、実母かそれ以上の存在にもなることがあり、今でもフランスの共働きの両親にとって、自分たちの留守中に家と子どもを護ってくれるとても重要な人です。フランスでは、アフリカやその他の国からの移民の女性が、なんの資格もいらないこの仕事に従事していることが多いのですが、ポールたちは、フランス人のルイーズを選びました。ミレイユとポールは、テレビドラマにでてくるような素敵なカップルであると同時に、実際にはありふれた人々でもあります。ルイーズの奉仕のおかげで、母親が夜中まで仕事をして帰ってくること以外は、幼児を抱えた家庭の普通の生活が描かれています。ルイーズを取り巻く人物としては、娘のステファニー、亡夫のジャック、ルイーズの大家、子守仲間のワファ等が登場しますが、深くルイーズに関わることはありません。ルイーズには雇い主とその子どもたち以外の人々との繋がりが何もないのです。

 フランス語の原題、Chanson douceは20世紀後半のフランスの国民的歌手アンリ・サルヴァドールの有名な一曲の名で、フランスでは誰もが知っている子守唄です。ですからこのタイトルは、「ヌヌ」とともに「ママン」-母親-をただちに思い起こさせる言葉とも言えます。作者は自身の経験から、この母親とヌヌの「曖昧な関係」に興味をもったことがこの小説を書く動機となったと言っています。ヌヌの仕事とは、母親のすること、というわけで、この小説が描いている日々は、とりわけ珍しいこともなく、幼い子をもつフランス人の日常の「反復的な」生活です。毎日の子ども達の世話、保育園の送り迎え、掃除、洗濯、食事の用意(ルイーズは本当に料理の名人!夫婦の友人のためのパーティーもおまかせ、子ども達のパーティーの用意、演出もプロ並み)、バカンス等々、フランス人の日常の様々なシーンが描かれています。でもそのようなフランス人にとって月並みな生活の描写が、読者の興味を掻き立てるためには、母親の影のような主人公のヌヌ-ルイーズ-本人が、子どもたちとその両親に必死で尽くしながらも、とにかくエキセントリックであり、「怪物」と呼ばれるほど"異常" なキャラクターの人物である必要があったと作者は語っています。(どのように"異常"なのかということは、小説を読む楽しみとして言わずにおきましょう)世間では有能で好人物なキャリアウーマンのミレイユと、彼女の"母"という役割を肩代わりするルイーズ。口に出して頼まなくても、ミリアムたちの全ての望みをかなえてくれるルイーズ。最初はルイーズを「妖精」と呼んだミリアムも、次第にヌヌを疎ましく思い、嫌悪さえも感じるようになり、終には二人のいずれがより権力をもっているかも判然としなくなります。そして両者の間にある依存と反発の絡み合った感情が生む関係が、ストーリーの進行につれて、ありえないはずの結果-小説の冒頭で語られる殺人-を招くことになっていきます。とはいえ、レイラ・スリマニの卓越した"語り"は、直接的に感情を暴露するよりも、非常に微妙な身体的反応や、唐突な行動、そして自分たちの都合のいいようにしか他者の内面を見ようとしない、または無視する登場人物たちの振舞いを描くことによってより効果的な人間劇を構築しています。

 レイラ・スリマニは、小説中のミレイユと同様、モロッコ系フランス人であり、ジャーナリスムの勉強をした後、ジャーナリストとして『若いアフリカ』という雑誌の編集に携わり、2014年に処女小説『人食い鬼の庭で』Dans le jardin de l'ogreを発表しました。彼女の小説第2作『ヌヌ 完璧なベビーシッター』は2016年のゴンクール賞に輝きましたが、この文学賞史上稀な若い(受賞時35歳)女性の(12人目)受賞者です。またレイラ・スリマニは2017年にフランスのマクロン大統領によってフランコフォ二―担当大統領個人代表に任命されました。その経歴からも分かるように、彼女は社会問題や女性の解放に関する問題についての議論に積極的に関わっており、『ヌヌ』においても、その鋭い問題提起がうかがわれます。女性が男性と同じように社会で活躍するためには、もう一人別の女性が働かなければならないという現実。最愛の子どもを、あまり良く知らない他人に全面的な信頼をもって託す(「自分の子どもを愛してやってと頼む」)ということが雇用関係、しかも社会的な強者と弱者の関係の上に成り立っていることなど、さまざまな様相が描かれています。このようなフランスでは「ありふれた」状況は、現在の日本ではあまり見かけないことですので、特に日本人読者には驚きとともに新鮮に映ることかも知れません。

 前世紀までとは異なり、今日では文体に際立った特徴をもつ作家、美文に凝るという作家は少なくなったようです。どちらかというとシンプルな文体が読者にも好まれているようにも思えます。レイラ・スリマニもその例にもれませんが、彼女の文章は、奇異に思える出来事を読者が事実としてとらえられるような説得力を秘めているようです。このナレーションの巧みさは、小説の評価を高いものにしています。

 事実は小説よりも奇なり、とは言いますが、私の読後の感想は、「これほど一気に読んでしまったけれども、果たして本当にルイーズのような女性は存在するのだろうか」ということでした。それは、彼女が子どもを殺したことではなく、彼女のヌヌとしての怪物ぶりについての疑問です。(この点には、作者はすでに答えをだしています)ではなぜルイーズは子どもを殺したのか。その答えはそれぞれの読者にゆだねられます。それは警察の調書や裁判の判決とは異なる問題です。私にとって、文学とは人間の理解をこえる人々の心の闇-フランス文学の伝統的テーマのひとつ-が人生や社会を息づかせる原動力となっていること、人間の進化とはまた別の次元で、永遠の神秘として存在していることを気づかせてくれるものです。その点からみれば、『ヌヌ 完璧なベビーシッター』はフランスの伝統に忠実な作品と言えるでしょう。

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