フランス文学の愉しみ

No 15人間の尊厳は「データ化」できるのか?

『透明性』マルク・デュガン作/中島さおり訳/早川書房

全ての情報の「透明性」が地球にもたらす未来

新型コロナウイルスという人類の歴史上未曾有の災厄に見舞われ、その感染拡大の脅威との闘いを余儀なくされてから一年半となり、現在の世界の関心を最も集めているのも、そのニュースである日常が続きます。その他の問題もなくなりはしないけれども、まさに世界的脅威としてはこの疫病が現在トップに位置しています。その一方で、以前からある重大な人類の課題である環境汚染の深刻化や、AIのさらなる進歩による人々の生活の変化も続いています。
今回取り上げる作品『透明性』はまさに、この状況が始まる直前、2019年春にフランスで発表され大きな反響を呼び、2020年秋には既に邦訳が早川書房から出版されました。原作の執筆中には新型コロナウイルスの問題は知るよしもなかったと思われます。ですが、それでこそ、この病禍の影響を抜きにした世界の現状と未来というものが描かれている作品として、非常に興味深く、記録のような役割をも果たすのではないかと思われます。

この小説は、一般的にはSFとか空想未来小説(フランス語ではroman d’anticipation)と呼ばれるジャンルに分類されるようですが、作者マルク・デュガン自身は後者にあたると述べています。というのは彼の定義ではSFというのは、詩的で人間の妄想の世界を描く作品であり、この作品は現実の認識の上にたつ未来の社会像を描くものだからということです。後にも述べますが、作者デュガンは、1998年に『将校たちの部屋』La Chambre des officiersという作品を発表し1999年にドゥマゴ賞をはじめ20の文学賞を受賞しました。その後も、多岐にわたる分野の実在の人物を題材とした時事的なドキュメンタリーの要素の濃い作品を多く発表しています。

『透明性』の舞台2068年、主人公はその名が示すとおりの、(恐らく50才ぐらいの)アイスランド系フランス人カッサンドル・ランモルドティルです。20代はじめで「トランスパランス」といういわばマッチングサイトの会社を立ち上げた後、グーグル社に入社しますが、その理由はグーグル社のもつ膨大な個人情報とその収集能力を利用するためでした。そして小説の現在の2年ぐらい前にアイスランドに「エンドレス」という会社を12人の忠実な協力者たちともに設立し、着々と世界を動転させる計画を用意していたのです。その計画とは、“人々に永遠の命を与える”というものであり、トランスヒューマニストなグーグル社の目指す“人間の生命の限りない延長”による新しい人類の創造を凌駕するものです。カッサンドルはこのプログラムの第一の成功例を自らをもって示すことにより、世界の市場の株価は暴落、混乱に陥れ、エンドレス社はグーグル社を傘下に収め、世界ナンバーワン企業になることにも成功します。(「グーグルとその他のデジタル大企業は、2030年には、一種の横断的な国家となって」いました。)そのプログラムとは、エンドレス社のもつありとあらゆるレベルの個人の情報-健康、経済活動についてだけでなく生理、感情にいたるまで-に基づいてできた脳科学的に完全な個人のコピーを、科学技術によって完成された完全な肉体的コピーにいれるというものです。* そのコピーは人々の死後に作成され、生前の個人と同じように生きますが、体は魂とともに不滅です。コピーは何度でも残ったデータで再生できるからです。しかしながら、子孫の生産という機能はもたず、新しい生命、人類はそこで途絶えることになります。(2068年における人類の自然的再生産能力は危機的に低下しているという前提です)この「不死」を手に入れるというプログラムの恩恵を被るのには費用はかからず、どれだけ生前に多くの自分の情報をデータ会社に与えているかが重要です。そして、アルゴリズムが、誰がコピーを作成することに値するかどうかを判断します。選ばれる人々の地位や財力による差別はありません。権力やお金によって権利を得るという方法は、その判断には無効です。つまり、自分が、死後にこのプログラムに選ばれるか、生き残れるかどうかというのは本人にはわからず、どうすることもできません。その選別の基準というのは、実は意外と倫理的、人間的なものなのです。
「人徳、精神的な価値だけが選別基準です。」(邦訳89p)
「エンドレスはその決定の理由を知らせる義務はない。アルゴリズムが勝手に決めて、もう何も影響を及ぼすことはできない。アルゴリズムは、人一人につき、何十億ものデータを混ぜ合わせて、一人の人間が永遠に生きるために必要な資質を表しているかどうか、もし表していない場合は、人格を形成した時期に、その人が恵まれていたか、むしろ不遇であったかを測る。エンドレスは決して善悪二元論ではない、一人の人間が道を踏み外していれば、それを明らかにするだけでなく、仕組みを知り、どこにその深い原因があるのかも知ろうとする。」(同187-188p)

主人公のプログラムの真の目的は、自らが招いた存続の危機にある地球と人類を救うということでした。それまでの拝金主義を排し、権力者たちが支配するそれとは全く違う、およそ理想主義とも思える主人公の描く社会に対して、彼女が出会う何人かの最高権力者たち-グーグル社長、アメリカ大統領、ローマ法王、フランス大統領、アメリカ諜報局司令官-は明らかに有効な反論をなすすべを知りません。「自分を神とお思いですか」という法王の問いに彼女は答えます。「あまりそうは思ってはおりません、教皇様。どちらかというと、新しい救世主(メシア)と思っています」(同155-156p)

ここでいう、神と救世主が意味することは、明らかに、「不死」という問題です。つまり、「不死」を可能にするプログラムの鍵を握った彼女には抗えないからなのです。

この作品は、環境破壊が止まることもなく進み、デジタル情報システムの進化に伴う情報の「透明性」が人々と社会をどうしようもなく行き詰まりに追い込んだ、いわゆる世紀末的な諸相を描いています。2018年の社会が出発点となっているので、今の私たちからも想像ができる範囲内です。(50年後グーグル社がまだあるかという疑問は別としても。実際、50年後を描く空想未来小説と言う意味では、もっと想像を超えるような科学や社会の進化があるのではないかと考えるくらいです。事実、新型コロナウイルスのような問題も現れました)2068年には環境は破壊されつくし、このままでは人類は滅んでいく運命です。その時、デジタル企業や権力者たちのように、人類を救うよりも「不死」という人間の歴史始まって以来の大問題にこだわり続ける人間の姿には正直言って驚かされるばかりです。
その社会については、先に述べたような複数の権力者との会話、または独白的な主人公の語りの中に、環境、情報社会、経済、世界情勢についての分析と批判が繰り広げられています。ただ、それを一つずつ紹介するよりも、(それは実際に作品を読んでいただき、また優れた書評家の方たちの考察を読んでいただく方がよいと思います)私としては、この作品のプロットとして、もっと小説としてなじみのある部分について書いてみたいと思いました。この小説には「不死」以外にも人間がこだわり続ける問題が同時に、また十分に描かれていることを見逃すことはできないからです。それは、主人公、このウルトラデジタル社会でのトップキャリアウーマンと呼べるカッサンドルという女性のプライベートの物語です。トランスパランスというマッチングサイトの社長でありながら、彼女は自分自身の恋愛については、トランスパランスによるメソッド**を利用することを躊躇ったのです。「私がエルファーと出会ったのは偶然だが、今思うととんでもない偶然だった。」「私は運という、この時代遅れなものが一人の男性と出会わせてくれるのを待った。」(同33p)レイキャビクのレストランでたまたま見かけたエルファーに一目惚れをして、次に思いがけず職場の会議で出会った地震と火山の自然災害リスクの研究員である彼に、再びレストランで出会うことをひたすら待ち続けます。彼女にとってエルファーは既に伝説のヴァイキングの一人として、夢の王子という存在でした。この男性は、実にそのイメージのとおり、かなり野生的?な風貌と性格の、むしろ人嫌いなタイプで、彼女とは恋に落ちたけれども、彼女の作ったシステムには興味を持たず、情報公開社会、監視社会を軽蔑していました。(このようなシステムのせいで、人々は自分自身で思考をすることさえもできなくなり、GPSなしには自分がどこにいるかも分からなくなってしまっていたのです。)それでも二人は自然に愛し合ってカップルとなり、ルイという子どもが生まれます。しかしながら、この男の子は二人の間に自分の場所を見つけられないまま、17歳で失踪します。母性というものを一度も本当に感じたことがなかった彼女は、「人生をかけて愛する対象」であったエルファーとの「ただ偶然の出来事だけから生まれ得る本当の愛」(同143p)の証拠として生まれたルイに関心をはらうことがなかったからです。息子の失踪はエルファーを苦しめ、危険を冒してまで探しまわります。一方で、カッサンドルは会社の協力者の助けを得て、GPSを介して、失踪した息子が野生の熊の群れに近づき襲われて命を落としたことを知るのです。それをエルファーに隠していたことが、エンドレス社のプログラムの発表を旅から戻ったエルファーが知った時に彼に知れてしまい、夫婦の関係は決定的に壊れてしまいます。エルファーは、ルイのような子ども(社会不適応なパーソナリティー)を復活させることがないだろう妻のプログラムにも、完全なコピーになってしまった彼女にも、神のような存在になった妻が彼に与えるだろう生活にも嫌悪を示したのです。子どもの死は夫婦の間に取り返しのつかない溝をつくり、彼は妻の元を去ります。主人公がトランスパランスのメソッドに従っていたら、こんな運命とはならなかったはずなのに。なぜ彼女は“運命の恋” 「本当の愛」にこだわったのでしょうか。トランスパランスの創始者としては矛盾した感情と行為で失敗をしてしまったのです。それだけでなく、彼女の人間的な誤算が小説の最後に彼女自身を致命的な失敗に導きます。
それにしても、個人のすべてを知っているはずのトランスパランスのようなシステムは、本当に人間の運命を操ることを可能にし、人間を真の幸せに導くものであり得るのでしょうか。

この小説にはなおさらに、とんでもない落ちが最後に用意されていますが、みなさんにはご想像がつくでしょうか。ぜひ本書を読んでお確かめください。

一見、非常に先進的な視点をもった空想未来小説でありながら、この小説のような恐ろしく古典的な、しかも普遍的なモチーフによって小説内のストーリーの骨子が作られていることに、はなはだフランス的なものを感じる読者も少なくないでしょう。しかしながら、そのアイロニーをまとったフランス的な小説の世界、フランス的な社会批判の精神は、人間的といわれる人間の弱さや愚かさにあくまでも否定的ではない、そして宗教的な視点さえもいまだに感じさせる人間への愛というものを孕んでいるのではないでしょうか。私にはそう思えるし、そう思いたいのです。人間は真理を求めながらもそれを手にすることはない、すなわち”善”だけを行い、“悪”を排除することはできず、その両方の見分けもはっきりつかない中で、それぞれが思考錯誤して、時に苦悩をともなう決断をし、最善の道をめざして生きていくしかない運命にあるのだということでしょうか。そこにこそ、人口知能にはない人間の尊厳があるのだと。現実に、2020年に新型コロナウイルスのパンデミックという集団的災厄に見舞われることを避けることはできなかったのですから。はたして、この戦いに勝つには、人間の何が必要なのでしょうか。

最後に作者のマルク・デュガンのご紹介を少しいたしましょう。
フランス人ですが、アフリカのセネガル生まれで、6歳からフランス南東にある都市、グルノーブルで育ちました。グルノーブルの国立政治学院を卒業し、公認会計士となった後、金融の世界でのキャリアを積み、リヨンの商工会議所付属のビジネススクールで教鞭もとっています。また、2000年には航空会社の要職につきました。しかし、30歳となった1997年に文筆の道に進み、1998年に小説第一作『将校たちの部屋』を出版します。この作品は彼自身の祖父が第一次世界大戦中に顔面に重大な負傷をした士官たちが収容されていた病院で働いていた時の話が原案となっているそうです。主人公は出征直後に爆弾によって顔面が大きく破損する重傷を負い、第一次大戦中一度も前線で戦うこともなく、同じ負傷に苦しむ戦友とともに繰り返される手術を受け続けます。その病院にいる負傷兵たちが絶望に苦しむ姿と、主人公とその仲間が戦後に社会に戻り、幸せな結婚をするまで苦難を乗り越えていく姿を描いています。私も非常に感動的な作品であると思いましたが、この小説の主題が2013年のゴンクール賞受賞作品であるピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』と同じ主題であることに驚きました。先駆けとなったデュガンの作品は、密室的な状況にある、顔を失いさらに耐え難い手術にも耐えた登場人物と、家族にも拒否される苦しみに耐えかねて自殺する負傷兵たちの姿をシンプルでストレートに描き、それでも悲観的には終わらず、地道に努力をし、希望を失わない生命の力を現実的に伝えています。『将校たちの部屋』は2000年に映画化され、名優のキャスト陣を迎えて2002年のセザール賞(助演男優賞)を受賞しています。ドゥ・マゴ賞の受賞は、この小説を優れた作品として世に知らしめ、作家のその後のキャリアを実現させたきっかけを作りました。
デュガンはこの作品でデビュー後もコンスタントに作品を発表しています。『FBI ― フーバー長官の呪い』邦訳2007年(La Malédiction d'Edgar, 2005)、『沈黙するロシア ― 原子力潜水艦沈没事故の真相』(Une exécution ordinaire, 2007)邦訳2008年、『ビックデータという独裁者 ー「便利」とひきかえに「自由」を奪う』邦訳2017年(L'Homme nu. La dictature invisible du numérique 2016)等、現実の人物や問題を扱った作品が目立ちます。さらに彼自身が監督となり、映画やテレビで小説作品を映像化しています。取り扱うテーマが社会の問題と強く結びついていることは、幅広い読者に親しまれ、作者自身も映像化に積極的であることに関係しているかもしれません。多才な作家ですので、これからも多くの作品の執筆、制作を実現してくれることを期待しましょう。

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