フランス文学の愉しみ

No 14イザベル・シムレールのゆめみる絵本たち

自然を瞑想と観察で描く幻想的グラフィックの世界

みなさんは子どものころ、はじめて絵本に出合った時のことを覚えていますか。きっとどの本だったかはもう覚えていないでしょう。でも、なんとなく素敵な絵本に出合ったことは記憶にあるのではないでしょうか。私にとってその記憶は両親とともに訪れた本屋さんでのある本との出合いです。いくつだったかも覚えていませんが、どの本かは覚えています。
その後、本は私の生活に欠かせない存在になり、それは今も変わらず、現在は本の仕事にたずさわっています。それがおとなになるにつれて、本は本屋さんや図書室で自分で見つけるのではなく、情報としてしてまず知った本を探すようになりました。良い本や興味深い本はいつでも、誰かがネットや情報誌で教えてくれるのです。それも便利で楽しいものです。
ところが、今回ご紹介する絵本とは、私がたまたま訪れた本屋さんの書棚で出合いました。
平積にされていた本の一冊がぱっと目にはいりました。そしてすぐに私の手の中にとびこんできたのです。まるで本の方がおいでおいでをしていたようです。なんでそうなったかを考える間もなく、私の頭のなかに驚きがあふれていました。小さな子どもだった時のようでした。一緒に並んでいた同じ作家の本をつぎつぎに手に取りました。そして、「この本は私が見つけたんだ」という誇らしい気持ちで一杯になりました。
その本たちは、イザベル・シムレールというフランスの絵本作家の作品でした。私はフランスの本が専門の司書ですが、それとは関係なく出合ったのです。一目惚れでした。

気になる本と出合った時にすること、手に取って読む過程は、普通の書籍と絵本ではちょっと違うような気がします。といってもこれは私の場合ですが。絵本の場合は目次をみたり作者についての説明をみたりする前に、とにかくまずページをどんどんめくっていって、イラストを楽しみます。それからストーリーである文章(多かれ少なかれあると思います)を読んでみます。そして最後にもう一度、(とても気に入れば)絵を見ながら文を読みます。
こんな風にすると、読んでみなければわからないおとなのための本と比べて、絵本というのはいろいろな楽しみ方があるのだと気づきました。

『あおのじかん』イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳/岩波書店

前置きが長くなりました。本題に入ります。今回はこのエッセイで初めてフランスの絵本を取り上げます。
私を魅了したイザベル・シムレールの本は、どんな本たちでしょうか。最初に日本で岩波書店から邦訳出版(2016年)されたのは、彼女の代表作ともいえる『あおのじかん』です。深く実に美しい「あお」にそまった風景と動物たちの絵が、見るものをとらえます。青はフランス人が最も好む色と言われていますが、日本人の読者にも、子どもにも神秘的と言えるこの色調は強くうったえるものでしょう。

そして、沈んでいく日と夜の闇の合間に自然の風景の中で浮かび上がってくる様々な生き物たちが登場してきます。アオカケス、ホッキョクギツネ、コバルトヤドクガエル、アオガラ、イワシ、モルフォチョウ、ルリツグミ、ネコ、カタツムリ、シロナガスクジラ、イトトンボ...大勢の生き物たちが、夜の闇につつまれるまで息をひそめる姿、でもその美しい色彩が彼らの存在をアピールしています。(実際完全に静寂なのか、それとも彼らの小さな鳴き声が聞こえてくるかは読む人によるかもしれません)すべてが深い青のベースの中に、細い細い様々な色の線で描かれている。見たことがあるような、でも初めてみるグラフィックの世界です。滑かな曲線が基調となり、生き物たちの体のボリュームが温かく伝わってきます。これほど青が支配的な世界は本当にあるのでしょうか。でも私たちはその世界に包まれていることを感じます。読んでいるそのひと時の間は。

『はくぶつかんのよる』イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳/岩波書店

もう一つ別のタイトルの本が横にありました。『はくぶつかんのよる』。このタイトルだけでも読んでみたくなります。この絵本には案内人が登場します。黄色の蝶々。舞台の博物館はフランスのリヨン市に2014年にできた「コンフリュアンス博物館」です。ですから、人間の歴史以前からの地球の生き物(生命のない物も)が、一緒に集まって暮らしている場所です。

昼間は見学者が歩き回っていて彼らは眠っています。でも夜になると彼らが目を覚まし、博物館の中を散歩します。そのありさまが、黄色い蝶々の案内に導かれながら描かれています。
動くことのない鉱物や、貝殻たちも目をさますと自由に空中を飛び回って自由時間を楽しみます。朝になって人間たちが戻ってくるまでは...この本が描いているのは、まさしく子どもたちの誰もが博物館を見学した後に思い描く幻想の世界です。夜になると、ここの住人たちはどうしているのだろうか...

『シルクロードのあかい空』イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳/岩波書店

もっと他のタイトルはないのかな、と思うと一緒に並んでいたイザベル・シムレール作の赤い本をみつけました。おや、青ではないなら、何が描かれているのかしら。表紙には砂漠とラクダの隊列が赤い空の下に広がっています。この本はその名も『シルクロードのあかい空』。

ちょっと平山郁夫画伯の絵を想起させるような美しく壮麗な景色とともに、作者はある若い女性の昆虫学者の視線で彼女が出会い発見するシルクロード(中国北西部、新疆ウイグル自治区)に生きる人々Tuwa、生き物を描き、そしてシルクロードにまつわる古代の“チョウの王女さま”のお話に思いを馳せます(シムレールはこの本の創作のために、実際に現地に取材旅行をしました)。ベースの色調は青から砂漠の乾いた土色に変わりますが、絵のタッチは前作と同じく様々な色の線が重ねあわされたもので、白のアクセントが効果的です。この絵本は夜ではなく、白日の下の人々と生き物、自然の姿を描いています。他の本に比べて文が多く、博物史的要素が新たな興味を与えています。

『ゆめみるどうぶつたち』イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳/岩波書店

シムレールの作品は他にもありました。当時新刊だった『ゆめみるどうぶつたち』は表紙の大胆な構図-コアラとキリンの寝顔なのですが-と、絶妙な色使いで目を引きます。

絶対に本を開いてページをめくってみたくなりますよ。そこには森と川、海に暮らすいろいろな生き物たちの、「眠り」という密やかな営みが短い(詩的な!)説明とともに描かれているのです。木の上で、水の中で、立ったまま、何カ月もの間、そしてたった何秒か。写実とイラストがあまりにも自然に融合しているので、読んでいると『ゆめみるどうぶつたち』の夢の中にいて彼らの体の温もりや、息遣いが感じられるようです。この作品の基調となるバックは夜の闇の色です。この現実から夢に繋がる世界観は、どうも読む人を包み込む力があるようです。

確かに、おとなも子どもと同様に夢想の世界にひたることはできますが、恐らく子どもたちにとっての方が、現実と夢想の間を行き来することは普通なのではないでしょうか。だいいち子どもたちはおとなよりもよく眠ります。それが一日の大事な営みです。

『ねむりどり』イザベル・シムレール文・絵/河野万里子訳/フレーベル館

そこで、もう一つのシムレールの眠りについての絵本を紹介しましょう。
この絵本の主人公は小さな子どもと、その子の大事な猫のぬいぐるみです。彼らは、大きな大きな白い鳥を発見する冒険に出かけるのですが、鳥は寝ているので起こしてはいけません...

子どもたちが眠りにつく前に読む絵本として描かれたそうですが、私もこの本でおだやかな眠りにつくことができそうです。

『しぜんのおくりもの』イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳/岩波書店

最後に、今年2月に出版されたばかりの一冊です。この本は横に細長い形で、多くの動物、昆虫、植物、魚-アリ、カマキリ、タコ、カバ、オカピ、ケツァール、バオバブ等々-が登場するスケッチ集です。作者自身によると、他の作品の生き物たちがどのように描かれていっているのかを知ることができる、「絵本の舞台裏が見えるよう」な作品です。

みなさんのお気に入りはどれでしょうか。タツノオトシゴや、いままで知らなかったバシリスク属、絶滅危惧種のアイアイまで、本当に盛り沢山です。それに自分でも色鉛筆で書いてみたくなります。ですから、イザベル・シムレールの絵本は本当にさまざまな愉しみかたができるのです。

それでは、イサベル・シムレールのプロフィールをここでご紹介しましょう。
フランスの絵本作家、イラストレーター。ストラスブール装飾芸術学校卒業後、広告、アニメーションの分野でディレクター、シナリオライター、イラストレーターとして活動していました。2012年に最初の絵本『羽根』を刊行した以降は、絵本、子どもの本づくりとワークショップ、展覧会等の活動に専念し、国際的に活躍しています。(2020年には来日イベントが予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大のため延期となっています)
彼女の情熱は絵を描くこと。彼女にとって絵を描くことは、自ら「観察と夢想の間をさまようこと」と表現しています。その観察の対象は、《自然》とそこに暮らすすべての《創造物》です。それでは、なぜ動物や植物、昆虫たちに惹かれるのでしょうかという質問に「動物、植物、昆虫は私たちをどこか本質的なところへ引き戻してくれます」と彼女は答えています。そして「彼らは人間から見るととても異質ですが、とても身近な存在」であり、「自然は驚異」であり「たくさんの好奇心を刺激し」てくれるとも言っています。* 自然に注目するというのは、その生態系、生命と死の輪廻について考えることであり、それぞれの生き物のもつ不可思議な、驚くべき体の構造、生態や能力を観察することでしょう。その精緻な観察が、シムレールの筆を通して描かれると同時に、彼女のとても《詩的(ポエティック)》な文となってあらわれています。もっぱら絵が主役のような作品と思われるでしょうが、シムレールは言葉でも、彼女の世界を語ることが巧みです。シムレールの作品は単にグラフィックの芸術的な側面からだけでなく、瞑想による思想的、夢想による詩的、そして博物学的な教育的側面から眺めることができるのです。こうして自然に恵まれた、または自然から離れた環境にいる子どもたちに、環境に対する興味、自然に対するより深い愛情をはぐくむことになるのではないでしょうか。

生き物を描くというのは、ただ対象を眺めて絵に描くというだけではありません。シムレールは『ゆめみるどうぶつたち』出版の際のビデオインタビューで、動物たちの眠りについてそれぞれいろいろ調べてみたという話をしています。**ところが、なかには非常に情報が少ないものもあり、例えばアリの睡眠についてはなかなか見つからなかったそうです。やっとわかったのは、アリはほんの一瞬しか眠らないということです。ライオンはよく眠るけれど、ライオンをおそれる動物たちは、ぐっすり眠るということはできません。イルカは定期的に水面にでて呼吸をしなければならないので、眠りません。事前の詳しい情報と資料調査によって、生態系の理解を深め、瞑想を促すことにもなるのでしょう。単なる幻想の世界ではなく、科学的な根拠にもとづいた描写であるからこそ、読む人により強い印象を与えるのではないでしょうか。シムレールの世界において幻想や夢想は、非現実ではなく、現実により深く結びついているのです。

イサベル・シムレールの作品は実はとても沢山あり、ここで紹介した絵本とは違ったタイプのイラスト集も多くあります。ご興味のある方はぜひ彼女のオフィシャルサイトをご覧ください。

http://isabellesimler.com/

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