フランス文学の愉しみ

No 12パリジェンヌは我が道を行く?とはかぎらない…

『クレール パリの女の子が探す「幸せ」な「普通」の日々』
オード・ピコー作/大西愛子訳/DU BOOKS
©DU BOOKS 2019

バンドデシネに描かれるある一人の女性の決断

このフランスの漫画(バンドデシネ)の主人公はクレールです。クレールは32歳、病院の新生児病棟の看護師で自分の職業に誠実に、熱心に向き合って働いています。よい同僚、友人にも恵まれていますが、ちょっと困ったことが…いまだ独身(恋人なし)なのです。 これは彼女にとってとても重大な問題です。人によって多かれ少なかれこの問題は厄介なものですが、フランスのパリに住む職業的にも安定している女性にとって、それほど大きな問題であると読者は想像したことがあるでしょうか。

物語は、実に日常的な主人公の生活の中で展開します。素直で優しそうな彼女はなぜか決まったパートナーに出会うことができません。理想が高すぎるわけでもなさそう…確かに彼女は特別美人でもスタイルが良いわけでも、とても優秀で高収入というわけでもありませんが、「普通に他の人たちのように、それなりに相手をみつけて一緒になる」ことができないのです。なぜでしょうか。それを理解して問題を解決しなければならない、それが彼女の真剣な悩みです。この彼女の自分探しの旅に、読者(彼女と同じ悩みがあるかどうかは別として)は導かれていきます。これだけ見ると、日本の読者には、パリジェンヌの日常と人生の歩み方への興味が先立つように思われますが、次第に国や文化の違いを超えて自分自身の問題が語られているように思えてきます。

クレールはただ、平凡でも優しく心を通い合わせることができる相手(男性)と生活し家族を作りたいという夢を実現したいように思えます。友人や同僚の助言やはげましに助けられて、ついにその「理想の男性?」フランクに出会い、交際を始めます。そして、その二人の生活は…そこで語られるエピソードは驚くようなものではありません。むしろ「今時のフランスでもこんなことが…?」と思えるような、実にちょっと古臭い「パートナーの家族」とのいらいらや、「普通の男性」への不満が描かれます。そしてグラフィックな漫画であるからこそさりげなく表現できるとても親密な悩みも、驚くほど率直に描かれています。フランス人の女性がこんな悩みを今現在抱えているのかと、みなさんは思うかもしれません。フランス人の、それもパリの女性、という“あるイメージ”が既にあるからこそ、この本を手に取ったかもしれないですから。

そんなことはともかくとして、どのようにそれらの問題に向き合っていくかが、主人公クレールの物語です。その経過を暗示しているのが、恋人フランクのアパルトマンで同居を始めた時から彼女を悩ませる、台所にある棚のエピソードです。彼女は何度もその棚に肘をぶつけて自分で高さを直すのですが、どうもうまい位置が見つかりません。あきらめるしかないのか…結局どうするのでしょうか。

彼と(そして自分と彼の家族と)の関係が物語のメインを占めていますが、彼女の職場における、問題があって早く生まれてしまった新生児とその親たちの、そして彼らとの交わりのエピソードは一般読者には新しい、そして非常に繊細な印象を与えるものでしょう。クレールの職場での姿を見ると、それだけでも、この女性はとても感受性が豊富で誠実で、責任感のある、むしろ献身的な人柄であることを想像させます。仕事を通して彼女は「親になること」は自然なことではあるとしても、時に全く不明確で辛い試練を伴うことでもあることを、自らが親になる以前に知っていくのです。普通に幸せになるなんて、そんなに簡単なことじゃないし、結局『イデアル・スタンダード(理想的な標準)』(この作品の原題)なんて、みんなの幻想、“絵に描いたもち”なんじゃないかと、気づかされます。

では、自分はどんな風に、どのような親になりたいのか。この問題については、主人公はまったく予期しなかった形で向かい合うことになります。そこでも、パートナー(子どもの父親)との確執が現れます。基本的にふたりは相互理解にいたることはありません。どうしてこんなに発想が違うのか、相手を理解できないのか、もどかしいばかりです。でも実はこの問題についてだけではなかったのです。最初から二人はお互いを知ることができず、わかりあえるまで努力をすることもなかったのです。「普通はこんなものだ」という言葉は多くの人が親、友人、そして自分自身から聞かされてきたことでしょう。理想であるどころか、標準を受け入れることは「仕方がない」という偽の諦めであり、問題は蓋をされがちです。問題は解決しないまでも、現状を改善していくために双方が努力するべきであり、そうでなければいつか突然の破局を迎えかねません。そして、この物語では残念ながら、クレールはひとりで決断します。他の道はなかったのでしょうか。

クレールの人生の理想が、物語の最初のまま「普通の幸せな人生」を見つける、手にいれることであり続けるのであれば、このラストは元に戻るということを意味します。でもクレールはそうではありません。「え~と、……もう待つのはやめます」「 “今“幸せでありたいと思います」「そしていつか幸せな男性と出会いたいです」と彼女の新しい人生について友人たちに告げます。実に平凡な言葉とも思えますが、彼女にとっては、それまでの脅迫観念やプレッシャーから解放された実感を表しています。パートナーがいないからといって、彼女は不幸ではないのです。そして不幸な男性とも一緒になりたくない。

日本の読者にとっても、パートナーの有る無しは、個人的な問題であり、人によってその重要度は違うでしょう。ただ、フランスに在住した期間がそれなりにあった筆者には、一人でいることの不便さが、フランスでは日本よりもはるかに重大と感じられました。日常的に単位が常にカップルを前提とされている社会で、独身というとすぐに相手を探しているだろうと偏見を持たれ、早く一緒に住む恋人を見つけろと言われる。遠距離恋愛さえもありえない。なぜか、という理由は、ここでは語りませんが、これはつらい、というか傷つくこともしばしばでした。(周囲の誤解を恐れて映画館に一人で行けないという女性がいました)ですから、クレールの心境は非常によくわかります。その「理想的な標準」を信じていたクレールが単純で、平凡で、フェミニストでもないからではなく、この問題はあらゆる環境に共通の、社会の「こうでなければならない」という基準の存在にあります。どこからそんな基準が生まれるかは、想像を超えて複雑な事情があるのではないかと思われます。なぜなら、世界中で21世紀の今でも、それは存在しているからです。確かに徐々に社会は変わる、法制度も独身者が不利にならないような制度を整える、等々はあっても、根本的には、なにかがこの「理想的な標準」を存続させ続けている。ではなぜなのか、という問いにはこの作品は答えをだしていません。クレールは自分が変ることを選びます。

さて、フランスの漫画、バンドデシネ(Bande dessinée)というジャンルを今回初めて取り上げました。みなさんは、バンドデシネをご存知でしたでしょうか。日本では、アメリカンコミックは有名でも、長い間フランスの漫画は一部の読者にしか知られない存在でした。バンドは『帯』、『デシネ』は絵が書かかれたという意味なので、もともとは昔の4コマ漫画のようなものをそう呼んだようです。日本で古くから知られている例としては『タンタンの冒険』があります。ただ『タンタン』は原作者がベルギー人で、フランスのバンドデシネはもともと(フランス語圏の)ベルギーとフランスの作家によって生まれたという歴史があります。バンドデシネは、なにが日本の漫画やコミックスと違うかというと、その最も目立つ点は、装丁の違いです。バンドデシネは伝統的にハードカヴァー、薄手でA4判の立派な本で、価格も日本ほど手軽ではありません。コマ割も日本の漫画のような自由さはありませんでした。最近はいろいろなスタイルのものが沢山でています。フォーマットも紙の質もさまざまです。このような変化は2000年代に入ってから顕著になりました。フランスでは日本のコミックスを «manga»と呼びます。この«manga»にとても影響をうけたバンドデシネが多くあります。特に故谷口次郎氏の人気はフランスでは絶大ですし、日本でも人気のコミックスは多くの翻訳がでています。以前はバンドデシネは男の子の読むものというイメージがありましたが、最近はヤング・アダルト系の女性作家によるバンドデシネも非常に人気があります。(ただフランスでは、日本におけるように、最初から「少年漫画」「少女漫画」という分け方はありませんでした。)日本の女性漫画家の作品で高い評価を受けている作品もあります。高浜寛さんによるマルグリット・デュラスの『愛人』の漫画の仏訳版が出版されました。一方で、ここ数年、日本ではフランスの社会派バンドデシネが数々邦訳出版されています。つまり社会問題を扱った作品ですが、今年の文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞した『未来のアラブ人 中東の子ども時代(1978-1984)』(リアド・サトゥフ作/鵜野孝紀訳)があり、今回ご紹介している『クレール』もその系列です。皆さんも、書店のマンガコーナーに立ち寄ってみてください。特にマンガを読まない方にも、思いがけない出会いがあるかも知れません。

最後に『クレール』の著者、オード・ピコーについて少しご紹介しましょう。オード・ピコーは、まだ美術学校の学生だった2004年に自伝的内容のMoi jeを自費出版しデビューを果たし、バンドデシネの作家としてのキャリアを歩みはじめます。作品のタイプもジャンルも読者層も幅広い作家です。最初はインディーズ系から現在では大手出版社で、すでに10冊あまりの作品を出版しています。特に「喪」を扱った『パパ』Papa(ラソシアシオン、2006年)、またさらにはエロチックなバンドデシネ『伯爵夫人』Comtesse (Les Requins marteaux,2010)が話題になりました。とても親密なテーマを扱いながら、多くの読者の共感を得ることができる作家です。『クレール』において彼女は、働きながら子どもを育て、その責任としなければならない多くのことに疲れ果てている女性の姿を描いたと語っています。自分はフェミニストではない(それほど主張しているつもりはない)けれども、女性の社会における現状とそこにある深い彼女たちの悩みの声を伝えているのだと。そのような内容でも、読者がすっきりした気持ちでこの作品を読み終えるのは、画風のシンプルさとその率直なメッセージにあるどことない品の良さを感じるからではないでしょうか。読者にポジティブな気持ち、希望と勇気を与える作品です。

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