N響オーチャード定期

2017-2018 SERIES

99

ヘルベルト・ブロムシュテット

4月13日午後、N響の練習場でリハーサルのあと、マエストロ・ルームにてブロムシュテットさんにインタビューしました。

©Greg Sailor

マエストロは、1981年の初共演から30年以上、N響を指揮されていますが、N響のどのようなところに最も魅力を感じますか?
「まずは鍛錬された美しさ。彼らは自分たち自身で完璧にコントロールできています。そして、注意深く、反応が速いところですね。初めて共演したときから、リハーサルで『275小節目から』というとすぐにそこから演奏できるのです(笑)。当時、彼らは英語をそんなに話さなかったのですが、私の言うことはわかりました。それらがすごく印象的で、感銘を受けました。N響は、高度にプロフェッショナルで、とても能力のある、ヴィルトゥオーゾ・オーケストラですね」 
最初の頃と今とではN響はどのように変わりましたか?
「40年近く定期的に来ていますが、彼らは素晴らしく成長しました。昔は堅苦しく、私のアドバイスに従って、義務を完璧に行っていましたが、今はそれだけでなく自分たちの感情を出すようになりました。ベートーヴェンなどのよく知っている曲では、彼らは、外国の音楽ではなく、自分たちの音楽のように演奏します。それは大きな進歩だと思います。それは個々のプレイヤーについても言えます。ただ楽譜を演奏するのではなく、自分自身を通して、個性を外に出す。それは、レパートリーや解釈に自信を持つことではじめてできるのです」 
N響との演奏会で、特に印象に残っているのは何ですか?
「N響とのコンサートはすべてが特別な出来事です。たぶん150回から200回くらい共演していますが、毎回がイベントなのです。それはオーケストラが持っているものをすべて出すからです。

 とりわけ、近年では、2014年のチャイコフスキーの交響曲第4、5、6番、2013年のブラームスの全交響曲にとても感銘を受けました。

  それから2008年のオール・シベリウス・プログラムも本当に素晴らしかった。前半に、素晴らしいイングリッシュホルンのソロがあった「トゥオネラの白鳥」、シベリウスの最後の大作である「タピオラ」、そして後半に交響曲第2番というプログラムで、オーケストラがシベリウスに特別な感情を持っているように感じました。フィンランドと日本とは遠いのですが、考えてみたら、言葉に似ているものがあります。たとえば、日本語の「一(いち)」をフィンランド語では「イクシ」と言います。フィンランド人はシベリアから来ていてアジアの影響を受けているからでしょう。N響事務局のスタッフがコンサートの前に『シベリウスの第2番は私の父が大好きな曲でした』と言っていたので、終演後、『お父さんは今日の演奏を気に入りましたか?』と訊いたら、その方は『はい、父は20年前に亡くなりましたが、天国から聴いて、とても気に入っていたと思います』と応えました。シベリウスの交響曲は日本の男性に人気が高いのですね。感情のバックグラウンドが通じるのでしょう。東京にはシベリウスを演奏するためのアマチュア・オーケストラがあると聞きました」 
アイノラ交響楽団ですね。
「アイノラ交響楽団!! シベリウスを中心に北欧音楽を演奏するオーケストラと聞きました。こういうオーケストラは東京にしかないでしょう」 
今回はベートーヴェンの交響曲第7番と第8番を演奏されます。ベートーヴェンは、マエストロのライフワークに違いありませんが、ベートーヴェンには毎回、新しい発見があるのでしょうか?
「もちろん、毎回、新しい発見があります。新しい発見がなければ演奏する意味がないじゃないですか(笑)。私は新しい音楽しかやりません。バッハもベートーヴェンも、私は毎回、新しいと思います。19世紀ドイツの最高の詩人の一人、フリードリヒ・リュッケルトがこう言っています。『すべての音楽は古臭くならない。しかし、新しい音楽は直ぐに古臭くなる』。質の高い古い音楽はいつも新しく、毎回、発見がある、ということです。1回の演奏ですべてを理解することはできません。特にベートーヴェンは一生かかって理解するものだと思います。

   ベートーヴェンの交響曲はオーケストラのレパートリーの中心であり、約150年間、同じ版で演奏されてきました。しかし、15~20年前に、ベートーヴェン学者のデル・マールが新しい史料に基づいて校訂したベーレンライター社の新しい版が出ました。その新しい版には、従来の楽譜には入っていなかったメトロノームの速度指定が入っています。1817年にメトロノームが発明されて、ベートーヴェンは自分の楽譜にメトロノームの速度指定を書き込みました。新しい作品だけでなく、20年前に書いた交響曲にも書き加えたのです。この速度指定に関しては、今も論争の的となっています。19世紀では、ベートーヴェンの交響曲はもっとゆっくりとしたテンポで演奏されていました。たとえば、ワーグナーは、200ページに及ぶベートーヴェンの本を書きましたが、『ベートーヴェンのアダージョは、どんなにゆっくり演奏してもやり過ぎはない』と述べています。私が生まれ育った時代もそうでした。特にフルトヴェングラーは、ワーグナーの影響を受けていて、アダージョをとてもゆっくりと演奏しました。フルトヴェングラーは、私の若い頃のアイドルで、何度も彼の演奏を聴きました。私は、今、フルトヴェングラーが亡くなったときよりも20歳以上年上になりました。私ももうフルトヴェングラーから自立してもよいのかなと思います(笑)。フルトヴェングラーは好きですが、ベートーヴェンの楽譜を見ると私は彼から自立してよいと考えます。私にとっては、楽譜に書かれていることがバイブル(聖典)なのです。それで、私はベートーヴェンの書いたメトロノーム指定を実行しようとしているのです。

   たとえば、交響曲第9番の第3楽章は『アダージョ・モルト・エ・カンタービレ』と書かれていますが、メトロノームは♩=60で、こんなテンポです。(マエストロが歌い出す)。一方、フルトヴェングラーはこうです。(マエストロがかなりゆっくりとしたテンポで歌う)。素晴らしい音楽だけど、これはベートーヴェンではありません。

   私がベートーヴェンを再考したのは、史料(楽譜)が変わったからです。今でもテンポについては論争の的になっています。ベートーヴェンの書いたメトロノームのテンポは速すぎるという人もいますが、たとえば、ベートーヴェンの記したスラーやボウイングはベートーヴェンのメトロノームのテンポの方が合うのです」 
交響曲第7番と第8番の魅力について教えていただけますか。
「第7番と第8番はぴったりと引っ付いています。第7番が作品92で、第8番が作品93と続いています。第7番のエネルギーが溢れ過ぎてもう1曲できたのが第8番だと私は思っています(笑)。もちろん、2曲はまったく異なる曲です。

  私は第8番が大好きなのです。第7番も好きですが。私が第8番が大好きな理由は、第7番ほど人気がなく、しばしば軽く見られているからです。私は、第8番が第7番と同じくらい素晴らしいことをみなさんに証明したい。第8番が軽視されていることはベートーヴェンも意識していました。彼の時代も第7番と第8番が同じコンサートで演奏されました。誰かがベートーヴェンに『どうして第7番の方が第8番よりも人気があるのでしょうか?』と訊いたとき、ベートーヴェンは『第8番の方が、出来が良いからだよ』(注:出来が良すぎて、聴衆には人気がない)と応えました。もちろんそれは挑発的な言い方で、第7番が悪いと言いたかったわけではありません(笑)。第7番は40分くらい掛かって長いですが、第8番は28、9分くらいで短い。でもそれぞれの上に広がる空は同じくらい広いのです。

 たとえば、第8番の第2楽章は『アレグレット・スケルツァンド』。5分ほどの短い楽章ですが、完璧なのです。(マエストロが冒頭部分を歌い出す)。喜びに満ち、ユーモアに溢れている。まさに天才の筆致です。

   第1楽章は(マエストロが冒頭部分を歌う)、いきなり主題で、序奏がありません。『エロイカ』でも2小節の序奏があったのに(笑)。『アレグロ・コン・ブリオ』、『付点二分音符=60』です。ゆっくりではありません。ベートーヴェンのテンポでやるべきです。第4楽章の『全音符=84』は、とても速い。ほとんど不可能に近いテンポ。とくに8分音符の3連符は。でもユーモアに満ちている。(マエストロは376小節目からを歌う)。突然、ド♯が出てきて驚かされますが、そのあと嬰ヘ短調となり、ド♯が嬰ヘ短調の属音だとわかり、それがジョークであったことがわかるわけです」 
マエストロは、何度も日本にいらしてますが、日本での好きな場所はありますか?
「私は日本に何度も来て、いろいろな街もまわりましたが、日本に旅行者としてきたことがありません。東京はすべての街角ごとに雰囲気が違いますね。日本人は小さな場所に良い雰囲気を作るのに長けていると思います。高層ビルのすぐそばの街角に、小さな路地があり、古い家がある。そしてそのどの家も違うのです。盆栽などもある。そこに特別な雰囲気が作られています」 
リハーサルのあと、お疲れのところ、どうもありがとうございました。

インタビュー:山田治生(音楽評論家)