N響オーチャード定期

2016-2017 SERIES

91

朴葵姫(パク・キュヒ)

今最も人気のある若い世代のギタリストといえば、朴葵姫さんに違いない。スペインでの半年にわたる研鑽を終えたばかりの彼女に話をきいた。
(2016年7月21日・池袋にて)

まず、ギターを始めるきっかけは何だったのですか?
「母親が、ギターを習いたい、フォーク・ギターでビートルズを弾きたいと、ギター教室に行くようになり、3歳の私もついて行っていて、半年後、小さいギターで私も一緒に習い始めました。私は覚えていないのですが。そこのギター教室は、クラシック・ギターしか教えてなかったので、母は『禁じられた遊び』を弾くことになります(笑)。私はその教室で鍵盤ハーモニカを吹いたり、シロフォンを叩いたりして、音を覚えたそうです。  小学2年生のときにはトレモロができるようになり、『アルハンブラの思い出』が弾けるようになりました。そして小学4年生から大人の楽器を弾き始めました」
やはり才能が抜きん出ていたのですね。
「どうでしょう。ただ、指は小さいのですが、指の柔らかさや柔軟性はあると思います」
プロのギタリストになろうと思ったのはいつ頃ですか?
「小学生のときには、もう、自然にギタリストになると思っていました。最初に触った楽器がギターでしたから」
小学校のときはどのような先生に習っていたのですか?
「私はインチョン(仁川)に生まれて、3歳で横浜に移りました。5歳で韓国に帰り、15歳のときまでいました。小学校の頃は、インチョンで唯一のギターの先生である李如石(リ・ヨソク)先生に習っていました。新堀ギターオーケストラを見て、インチョンでギターオーケストラを作った方でした。当時は60歳くらいで、10年間習いました。学校が終わると先生の家に行ってそこでご飯まで食べて(笑)、家に帰って寝るという生活をしていました。
 15歳で日本に戻ってきたときにはすっかり日本語を忘れていて、15歳のときから大学までは池袋の現代ギターの教室で福田進一先生の弟子の金庸太(キム・ヨンテ)先生に習いました。そして東京音楽大学にギター科が出来るというので、第1期生の3人の一人として入学し、荘村清志先生に学びました。でも大学は半年でやめてしまったんです」
どうしてですか?
「大学1年生の夏に、ギター・フェスティバルでアルヴァロ・ピエッリ先生のマスタークラスを受けて、ひと目ぼれしました。『自分の演奏をどう思う?』と問われて、それまでは教えてもらったままに弾いていてどう思ったこともなくて、何も言えず、すごく恥ずかしく思いました。それが大きな転換でした。自分を持たないといけない、ヨーロッパで勉強しよう、ヨーロッパの人たちのレベルを知りたい、いろんなものを見たい、と思ったのです。先生から『ヨーロッパで勉強してはどう?』と言われて、今すぐに行きたいと思い、大学を退学しました」
それで留学されたわけですね。
「はい。ピエッリ先生は、南米出身で、ピアソラとも共演していた方です。それで、先生のいるウィーン国立音楽大学に入学しました。ウィーンには8年間いました。先生からは、音を大切にすること、美しい音を追求することを学びました。日本で勉強していた頃は、とてもシャイでしたが、先生や自己主張の強いヨーロッパの影響で、壁を越え、今ではそうではなくなりました。ウィーンは、音楽の都で、ギター以外のコンサートにもよく行きました」
今年はスペインでも学ばれたとききました。
「昨年、ウィーンから帰国して、今年の1月から6月末まで、バレンシアの近くのアリカンテにあるアリカンテ・クラシックギター・マスターコースの修士課程で学びました。4年前にできた新しい学校で、デイヴィッド・ラッセル、マヌエル・バルエコ、ぺぺ・ロメロらの9人くらいのマエストロが2週間ずつ、教えに来ます。6か月コースで、生徒は13人でした。身体学や指揮法も学びました。論文も書きました。スペインに一度、住みたかったし、溶け込んでみたいと思っていました。3月始めに仕事のために一時帰国した以外は休みをとり、半年間学校に通いました。良い機会でした」
今回のN響オーチャード定期で演奏されるのは、スペインの作曲家ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」ですね。
「その学校で、アランフェス協奏曲を、ぺぺ・ロメロさんに教わったのです。ロメロさんはロドリーゴさんと仲が良かったので、レッスンでもなかなかきけないようなロドリーゴさんの話をきかせてもらいました。
 アランフェス協奏曲は、有名すぎる曲で、弾けて当たり前のように思われていて、どう差がでるのか、今まで自信がなかったのですが、ロメロさんは、私がやってきたことを、これで正しいと言ってくださって自信をつけてくれました。私の持っていることを残してくれて、そのほかに、もう少しこうしたらと追加してくれました。

 たとえば、第1楽章のリズムを、ロドリーゴは、『カルメン』(アラゴネーズ)のリズムのようにしたかったそうです。第2楽章のカデンツァの、短2度の上昇と下降は生きることと死ぬことの音を表しているということが、はっきりとわかりました。私はロドリーゴのように娘を亡くした悲しみを体験したことはありませんが、その感情に近づくことが大事。作曲家の感情を伝えることができたらなと思います」
今回、N響と初めて共演されると聞きました。
「お話をいただいたとき、夢のような話だと思いました。これは本当? N響との共演はトップの方たちがなさってきたこと。自分にもそのチャンスがめぐってきて、絶対に逃したくないと思いました」
最後に、ひとことメッセージをお願いします。
「N響が素晴らしいことは、みなさんご存知だと思います。N響のファンのみなさまの前で演奏できることをすごく楽しみにしています。ギターをソロでやっていると幅広いお客さまに聴いていただけることはなかなかないので、そういうチャンスをいただいて光栄です。良いコンサートになるようにしたいと思っています」

インタビュー:山田治生(音楽評論家)